「旅」とはデタッチメント | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

近場でちょこっと箱根に行きました。

箱根神社では九頭竜の龍神さんに歓迎の小雨を降らせてもらい、それから

 

 

 

 

彫刻の森へ行きました。

 

 

 

ペガサスとベレロフォン

 

 

風流のきわみのお鍋

 

これ「揚げ物」の皿です。さすが割烹の宿。

 

翌日、稀代の名品揃いの岡田美術館。外観↑

 信じられない厳重警備です。

 写真が撮れないどころではなく、携帯、金属、瓶、工具などをロッカーにあずけたうえ、飛行機の手荷物検査のように、手提げバッグもベルトに乗せ、超音波装置を通します。

 開催中の屏風展も2フロアいっぱいに使い、狩野派などの巨大屏風が何枚あるのか……

この美術館、五階建て体育館ほどの大きさに、唐、五代、宋、南北朝、明、清など中国の官窯の「完品」の壺や器が並んでいて、博物館10個分以上の凄さです。これは、ヒトの手が触れた骨董ではなく、宇宙から来た「美術品」。

 屏風は狩野派のものが多かったのですが、旧大名家の旧蔵品など、こちらもあまりに状態がよく、ぴかぴかです。

 

🌟博物館には「骨董」があるものだと思っていましたが、まるで人が触れたことのないデッドストックな冷たい完璧感に満ちあふれた、おそろしいまでの神の美術館でした。

「骨董」は人のぬくもりや、少し欠けたり、色褪せたり、人が使っていた、ほっこりした感じが切り離せませんが、そうでないまっさらの品は、何というのでしょうか?

 

🌟で、いろいろ違う巨大な場所(宿含む)で、時間を過ごして帰ってくると、自分という普段4DKの輪郭が

 

ばらけて

 

飛び散って電子か何かのように、崩壊する感じがします。きゅっと締まってまとまっていた「自分の輪郭」がなくなり、なんだか、どうしていいのか。これを一週間もやると「自我崩壊」が天然に起きて、自分をくくっていたアイデンティティのひもが切れ失せるような……

 

🌟場所に負ける、というのか。

自分の場所(家や職場やなじみの場所)では、自分が空間にはまりこんでぴったり合わさっているのですが、知らない場所、それも巨大な空間に行くと、その手がかりがなくなり、いままでの現実からデタッチしてしまいます。

 

世界じゅうを旅してまわる旅人って、鉄より強固なメンタルの持ち主か、と、つくづく思いました。

 

帰りに、無重力空間のサービスエリアで食べた「ちびまるこちゃんどら焼き」が異様においしかった。

 あらゆるものが一個一個にばらけながら、自分に刻印されてゆく。これが旅。