「おうち神社化計画」のつまみ食い | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

ものすごく売れている本、というので、片付け苦手なのにまた手を出してしまいました。

あまりにも素敵な表紙!

「おうち神社化計画」とは何とも魅力的なインビテーションなのですが、神棚を作ろうという単純にスピリチュアルな本ではありません。もちろん精神をクリア クリーンにして、空間を浄化するという狙いなので、神様目線も少し入っていますが、

 それ以上にいろいろ「空間浄化」の参考になりました。

 ①まず、音楽を流すことの意味。

 

空間に音楽を流すことは、場を浄めるのみならず、それは自分の「空間」を育てることでもある。

「空間に聞かせる」この言葉が刺さりました。

 「空間を友として生きる」保江邦夫先生のご本のことも思い出されました。

 空間は、着るものや生き物のように、自分のまわりに生い育ち、進化してゆく!

 これが一点。ただなんとなくTVを流しっぱなしにすると、たしかにそこは「雑気」の場となってしまいます。

 

②それから最近これは特に感じていたのですが、

 

断捨離的お掃除でモノを捨てたりすると、スッキリするというより、確かに、空間を動かし、いじり、変容させるので

 

めちゃ

 

 疲れます。あれこれ捨てたらスッキリする、と書いているヒトが多いのに、これはなぜ? と思っていましたが、場や状況を改変すると、それだけで、ちょっと

「空間を手術」したみたいな感じになるのですね。特に好きなモノが多い私の空間だと、かなりダメージを与え、自分の内面空間にも、そのダメージを食らうみたいです。

 

③そして3つ目は、これ。本は「置いておくだけで、中身がなぜかココロに入ってくる」と大嶋信頼先生も書いておられましたが、これはほんとうです。タイトルを見て何か思いつく、という意味ではなく、コンテンツ自体が生物の体内のようなものなので、何か(芯熱のような、あるいは匂い)が伝わってきます。

 

 なじんだ自分の本でなくても、神保町の古本屋さんに行くと、

 なんて、いい、空間なんだ

 と思うことがよくあります。量から言うと圧倒的にごちゃごちゃして密集しているのに、そこには店主の目配りと愛とこだわりがあり、なぜか、いい匂いの空間になっていて、

「ここに住みたく」なるのです。

(そういえば又吉直樹さんが「本屋さんに寝泊まりしたい」という番組に出ているのを見たことがありましたっけ)

 

🌟ということで、この本の全体像にはまだ達していないのですが、あちこちこんな素敵な発見と示唆があり、見慣れた空間がたいへん新鮮なものに、そして生き物なのだ、と感じられるようになりました。

 

(朝、大きめの地震があって、空間がこわれたショックが。しかしきちんと積んだところは、なぜか崩壊していません。心は膠か)