今回も痛い2点の指摘がありました。
最近アート作品に関わることにワクワクしなくなった、という男性の質問者に対して。
「それは仕事を、その言い訳にしていますね。他の人がアートを作るのを助ける仕事なのですね」
「そうです」
「それは望まない方向なのですね」
そこでバシャール————
「行きたくない方向を見ると、そちらへ行くことになりますよ」
が〜〜ん。
質問者は、「わかりました。では、望むことにフォーカスすることにします」
ここでバシャールはもうひとつ釘をさします。
「望むこと=ではなく、せずにはいられないこと」です。それだけがワクワクの中心だから。そのまわりにあなたの人生が回るようになると、そちらへ運命が流れてゆきます。
「本当にやりたいこと=やりたいこと ではない」というタイトルの意味がわかりました。
私たちは、次善のものとか、とりあえずのとっかかり、代替品として、とか、本命よりは落ちるけれど、とりあえずやりたいことの関連……を選んで
「やりたいこと」と言ってしまいます。
🌟ぼんやり(たとえば○○業界というくくりで)望むのではなくて、
望むとは
純度の高い、それだけいつまでもやっていても疲れない、やらずにはいられない、ひとりでにやっている=それが
バシャールのいうワクワク、情熱、エクスタシーです。
🌟これは、一昨日もとりあげた、「なんとなく、ひっぱられる感じ」に、むしろ通じていると思います。
頭で、「これはやりたいことに少し近い」と自分を納得させ、「ワクワクしない(けど)」ことをやるのではなく、
「何かわからないけれど、引っ張られる、ひとりでにやってしまう、そっちへ行ってしまう」状態に「論理をこえ、説明ではない」状態。これのほうが、頭で考えたルートよりも断然、第四密度に近い、ということになります。
🌟楽……なのかな。これこそ。
そういえば、ここ何日かいろいろな資料館や展示会の「お雛様展示」を見てまわっています。別にこれは論文のテーマでも、授業の関連仕事でもないです。
ただ、……なんか、「赤くてきらきらして、優しいあの階層社会」を見たい、のです。
どこへ向かっているのかわかりませんが、そのうちにあっ、となるのではないかと……ちょっとワクワク。
なぜかわからないけどおひなさま……
「三月ひなの月」(石井桃子・文 朝倉攝・絵)とか「りかさん」(梨木香歩)とかお雛様関連のファンタジーがあったなぁ……ざわざわ