「決める」という捨て身ワザ(HAPPY哲学の生き方)=受け身ではなく自分に力を戻すため | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

【超神回 HAPPYちゃん】HTL限定配信 わたしが決める!この3つあったら、この地球界を難なくやり過ごせる。シンプルなこと。

 

⭐️これなんですが、三つってどれとどれか?

 三回視聴したのですが、そこのところだけ、よくわかりませんでした(笑)

 

 今回強烈にパワフルなのは、しようがなくやることも「自分で決めた」ことにするワザ(目から鱗)です。

 

ふだん意に添わないことをするとき、不本意な行為をしいられたとき、がまんするときなど、それをしている自分に、「自分純度が低い」と減点をつけていました。

 

あ、腹を立ててしまった・・・・・・とか、いやなことをいやいやながらやっている・・・・・・

 

というとき、もっと完全にポジティブな意識でとらえなおす(「ありがたい」とか)べきだ、と思っていました。自分減点。

 

ところが、そんな聖人君子になれなくてもいい、というのが

 

絶対に自己否定から自分を救うHAPPYさんの偉大さ!

 

☆「嫌われるのがいやだから気を遣う」のも、自分でそうするんだ、と決めればいい

「ここは愛想笑いをする」と自分で決める。「偽造の私でいい」と決める

 とストレスがなくなる。

 

自分でない自分で存在しよう、と決める。

 

→「その力強さをもった人が現実創造できないわけがない。」

 

ここに完全に降参しました。うーん、これは秘儀レベルです。自己啓発書を書くような人、修行した人はこれは表立って言わないでしょう・・・・・・

 

☆そして否定的なことが起きた場合は

「リラックス・呼吸に意識を向ける・蓮の上・ウェルビーイング」というヴォルテックスへ。蓮の上というのは、仏画にあるような蓮の花の上ではなく、蓮の葉っぱの上。

 丸の内のKITTEのKONCENT店にいた白いイエティがうちにきました。

全身くたーとなっています。見習いたい身体感。

 

☆そして、存在そのものがすべて(自分には)在る。

 

☆さらに言えば自分が選択したのだから、その結果はぜんぶ自分で引き受ける。

(たとえば占いでも人の言葉でも、自分が決めて取り入れたことは、全部自分責任で引き受ける・自分が決めたこととする

 

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⭐️特にこの最後の態度については、感銘を受けた別動画があります。それは「HTL」(ハッピー理論ラボ)の60日講座を始めようと決めたとき、とちゅうで体調や何かでできなくなるかもしれない。

 そういうときどうするか。

 どうしてもやめざるをえないことになったら、についての発言。

 

 「自分に対して甘くする・過保護にする」「辛かったらやめよう」というのがこのスピ界であちこち誤解されて通用している「自己チュー」イメージですが、HAPPYさんのは違う。

 HAPPYさんのは「自分の頭の中だけは、自分に対して優しく過保護にする(絶対に否定しない)」というのと、もし途中中止にした場合「きちんと全員に説明し、返金し、すべて責任を取る」というのを両立させる態度。

 

 後者の覚悟があるからこそ、「自分の好きなように動く」ことができる。

 

⭐️「気がのらなくなったからやめる」と逃げて、他の人に迷惑をかけるのを正当化するのが、本来の生き方ではない。

 HAPPYさんの、「ふわスピ」ではなく、すべてを「自分のこと」とする、つまり自分を大いなるものとする、ところが凄いと思います。

「自分で決める」=「受け身・されている・無力」ではない

 

 天からお告げがきたからその通り動く、守護霊がこう言っている、など自分でないものにのっとられるのではなく、たとえそうする場合でも、自分で決めてそうした、責任は自分だ、というスタンス。受け身ではなくて、あくまでも自分が主体。

 

それは(おまえには力がない、と責めてくる)エゴキンマンを圧伏し、抵抗をはがしてゆく道でもある。

 

 いや、こういう道もあったのですね。

 

⭐️自分で決めたこととしてやる=力を自分に戻す

 

 ・・・・・・最近はウェブ会議ばかりなのでありませんが、だらだらと長い会議があって、どうしてもふてくされてしまうとき————「不快な気分になることを、自分で決める」(自分に許す、ではなく、もっときっぱりと決断する感じ)にすればいいのか、と思った瞬間、自分がすべてを動かしている主人公だ、という感じが戻ってきました。