未来さきどりのパワーについて、もう一本、ポジティブな後押しをもらいました。以前から、「未来をインストール」を唱えておられるこの方の記事。以下引用。「先に思い出す」パワー。
今年とくに意識していたのは
「最高の1週間を先に想い出す」
ということです。
たとえば、月曜日に
友人と食事と書いてあったら、
どんな楽しい食事だったのかを
先に想い出してしまうことをしていました。
想い出してしまうと、
もちろん楽しい食事になるのですが
想い出した以上に楽しい食事に
変化するんです。
火曜日はお休みという予定なら、
どんな良い休日を過ごすか、
先に想い出します。
お昼はベランダで風を感じながら
ランチをして・・・
その後はゆっくり読書。
夜はアロマキャンドルをつけて
ゆったりバスタイムなど・・・
こうして1週間を想い出していき
最後にこの1週間は
「どんな良い気持ちで過ごしたかな」
と感じてみます。
そしてそれを手帳に書いておくんです。
大切なのは、想い出した通りに
予定をこなすんじゃなく、
「想い出した良い感情を体験すること」
想い出したことは脳に影響を与え、
それ以上の未来を引き出してくれます。
☆これをやれば「未来不安」的なものは消えますよね!
そう思って、ふと考えてみると、未来をこうやって一週間以上決める、なんてやったことがないということ。
何でやらないのか?
①やってもしょうがない、という、時間は完全に過去から未来へ流れるという観念から抜けられないから。←却下
②もうひとつは、設定しろと言われても漠然すぎて思いつかない・・・・・・ほんとに望ましいことって何? 何があったら嬉しい?
思いつかないということは、まるで目隠しして列車を運転しているような状態です(おまかせで不安なレールの上を走るだけ)。
でも————地面はレールじゃなかった!
このリブログを読んでいたら、「楽しい感情を再体験」ということなので、感情ならまずは感じられるかも・・・・・・と思って、朝、駅から歩いてきました。そうしたら、紅葉黄葉いっぱいのキャンパスで、上からざわっと葉と光が降ってきました。
まるで、くす玉が頭上で割れたように。
あ、こういう感じの未来を考えればいいんだ。具体的に何がどうして、ということではなくて。
くす玉、さわさわパーン。
☆そして「今ココ」について考えました。
久しぶりにスマホで音楽を聴きながら職場まで来たのですが、こういうスマホ的な個人空間を最初に創ってくれたのは、ソニーのウォークマンだったな、と思い出しました(どんだけ昔)。
それまでは、物理的にいまいる空間(混んだ電車や何もない風景や雑踏)から逃れられませんでした。そしてみんなその中にいたのが、自由にワープして、自分空間にいることができるツールとして登場したウォークマン。ものすごいブームになりました。
好きな音楽の世界(ミュージカルなら舞台がよみがえったりも)のカプセルに入って、外は関係なし。
これは別の意味で「今、ココ」にいることなのでは?
携帯電話が普及しはじめたころも、だれかが車中や道で、他の空間とつながっていると、白い目がありました。「みんなここで一つの物理的な時間空間を共有すべきなんだ」みたいな。
そうかもな・・・・・・と当時思っていました。「今ココ」にみんなでいるべきなんだ。
でも今はみんな自分のシールドというかカプセルの中にいます。物理空間からのがれて、友達と話していたり、好きな音楽の世界にくるまれていたり、またはゲームでシューティングしていたり。それは個人の時間空間の中での「今ココ」を楽しんでいる、というか、そういう世界体験を「創り出している」。
そして、ウォークマンに触れて新鮮だったのは、別の世界に入るだけでなく、自分のいる空間自体が一変すること。
好きな音楽の世界に入ると、外の風景もまったく別の色にぬりかえられて見えることでした。映像に(映画)音楽をつけたとき、映像が違う意味あいをまとい、嬉しくなったり、悲しくなったりする、あれを日常で実感しました。
同じところを同じふうに歩いているのに、そこには「ドイツの森風味」の風が吹いていたりする。次元が重なりあって重層化して、豊かになってゆく・・・・・・
(個人個人がそれを持ちよれば蜂の巣のような大きな幸せな世界もできてゆく・・・・・・)
☆エイブラハムが「できごとの旅」(降りかかる偶発事や事件の中に受け身でいる態度)から「感情の旅」(自分の感情の中でものごとを意味づけして変容させる=例えば癒やしやイニシエーション、ラッキーとみなす態度)へとシフトしなさい、と言っていたのを思います。
いまはもう、みんながそれぞれに自分の時空間を創り出していいんです。今ココそのものを。