何ともいえない後味を残す小説『猫忍』。家族小説? 動物小説? その重なり合うあたりの領域がじんわり心に響きます。
↑「父上」(太った赤毛猫ですが、主人公の忍者は父が変化(へんげ)した姿と信じて疑わない)
★いま、犬や猫の飼い主は動物病院などで、ペットの名前を自分と同じ名字で書きます。すでに
「使役動物」→「家族」です。
TVの動物番組でも、愛犬、愛猫のそばにいる人に、レポーターは「パパさん」とか「おかあさん」(妙齢の女性にでも「ママさん」)とか呼びかけます。
動物好きの役者さんのブログでは、「うちの息子ふたり」というタイトルで、えっ、と見ると、犬の写真。
ほとんどのケースで、飼い主が「親」。ペットは老犬、老猫であっても、「ウチの子」。
いくつから飼い始めたかによって、微妙に「コンパニオン、相棒」くらい。
★そんな動物と人間の「家族関係」において、猫が「父上」(戦前では尊属)と呼ばれる逆のケースは、たいそう新鮮です。ただの愛称ではなく、ほんとうに「父親」として遇されているのです。『猫忍』は、そういうユニークな設定の本。
霧生の里という忍者村で育った主人公、陽炎太は、仲間ふたり(虎眼、燕)とともに上京、江戸詰めの上忍の指図を受けて動くことになります。
米の横流しの証拠をつかめ、と言われて、潜入した金貸しの屋敷の天井裏で、遭遇したぼてっとした猫のおかげで危険を逃れます。これこそ十五年来探していた(偉大な忍者の)父上に違いない、と歓喜した青年は、猫を家に連れ帰り、敬いつつ、なれないながらも面倒をみます。
『猫侍』に続く二匹目の泥鰌ということで翌年TVドラマにもなるのですが、『猫侍』の久太郎が、最初、「たかが猫」の上から目線だったのに対し、こちらは思い切り下から目線、「父上」なので、猫があらぬところに漏らしても、「父上。粗相でござりまする!」と飛び退くだけです。
★こちらの面白さは、猫が自分を救ってくれたのかどうか判断が微妙な場面にも、「父上のおかげ」「ありがとうござりまする」と喜ぶ主人公のけなげさと、それが微妙にじわじわと「猫といういきもの」自体への愛着へと変わってゆき、そのぬくもりや、にゃーんという声に、情けとか温かみとか、忍者には無縁だった安らぎを感じはじめてゆく、という変化です。
その試金石エピソードとして、「父上」が自分のところの迷い猫だ、と主張する少女があらわれます。猫相書きを見ても、どうやら本当らしく、陽炎太は、「父上」を返すはめになります。人間に戻ってくれない以上、返さないわけにはゆかず。父の形見の金色の襟巻きを巻いてやり、最後の晩はいっしょに寝ます。そして、いなくなったときの寂しさ。
「脇を見ると、主のいない座布団が暗がりに沈んでいる。呼んだら返事があるのではないか。そう錯覚するほど、父上の匂いは部屋の中に染みついていた。
『・・・・・・父上』
返事はない。天井を見上げ、陽炎太は目を閉じた。
風にのって声が聞こえてこないかと、ほのかに願った。」
この「声」は、「にゃーん」だとしか思われません。
なつかしいのは「猫」なのか「父上」なのかが、読者にもだんだんわからなくなってゆきます。
陽炎太は、父上はなぜ人間に戻らないのか、と初めはしきりと悩んでいましたが、このあたりを読むと、父親が猫である、という状況自体を受け入れてしまい、そのありかたに満足しています。
そして、この「父上」は、ほんとうに何を考えているのかがわからない存在感。元の飼い主だと主張する少女にもなついて、甘えた姿を見せるし(未練がましく、天井裏に忍び込んでそれを見下ろす陽炎太)、それなのに、陽炎太が仲間を討たねばならない、という辛い掟に苦しんで、暗い家に茫然と帰ってきたときには、闇の中から「にゃーん」と言う。座布団の上に座っている「父上」。引き留めてはいけない、と思いながらも、すたすた帰りそうな父上を追いかけてしまう・・・
やはりこの物語の魅力は「猫」のあいまいなふしぎなありかたそのもののようです。
犬だったら、もっとはっきり意思表示をするし、しっぽを振るでしょうが、ここでの「父上」はつねに状況にゆったり身をまかせ、気持ちのよいときはぬくぬくと目を細め、ごはんを食べ、お鍋に入ってまるまっています。受け身のような、それでいて自在なような。
はっきりと表現をしないこの「父上」は、そもそも何を考えているのかわからず、それが逆に寡黙な人間のようにも見えますし、その不確かなありかたは、若い忍者にとっては、尊敬する父の教えをいろいろと(拡大)解釈する余地になったりもします。猫ならでは、が生み出す余白の大きさ。
元飼い主らしき娘から、「父上ちゃん」を最後にゆずってもらい、ふたりは旅に出ます。好きなときに「焼き芋」を要求し、好きなときに寝てしまう気ままな動物の「父上」は、ストイックに生きてきた陽炎太に、逆に、人間らしさを教えてくれる存在でもあります。
「猫に変化した」父親こそ、じつはほんとうの「忍びの極意」を体得しているのかも・・・
猫だからこそ成り立つ、伝説の忍者もの。
将来、巻物が見つかって、父が人間の姿に戻ったら、それはある種の退化かもしれない・・・と思わせるほど、そんな、禅のような境地の猫の世界です。
猫の新たな魅力を浮き彫りにしてくれる本。
映像化がどうなっているのか、けっきょくこっちも見る予定です・・・・・・。
↑「猫のせがれ」と呼ばれるにいたった忍者のTVドラマボックス版。
★諸星崇『猫忍』(上下)実業の日本社文庫 2016