3401号「苦手な人、きらいな人が近くにいる理由。近くの人と対立する理由」
砂邊光次郎
講義録34001
(2013/10/26)
ご訪問、心より感謝申し上げます。
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世間を見回すと、仲が悪いのに、なぜかいつまでも一緒にいて、なかなか離れない人がいます。
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仲が悪いのに、不思議なことに、いつまでも同じサークルにいたり、夫婦になっていたり、嫁姑(よめ・しゅうとめ)であったり、同じ職場にいる人がいます。
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たとえば、会社などでも、この人はイヤだ、と思っている人が、人事のたびに、同じところに配属される、などということがあります。
あるいは、会社の中に、仲がすごく悪い人がいて、
しばらくして、どちらかが会社を辞めて、離れ離れになったとします。
ところがそういう人にかぎって、たとえば、駅のホームなどでばったり会ったりするのです。
そういうときは、どういう顔をしていいか、困ったりするものです。
それも1度だけではなく、2度も会ってしまう、という人もいるのです。
こうなると、この人との出会いは、
偶然ではなく、必然ではないか、と思ってしまうわけです。
偶然ではなく、なにか引き付けるものがあって出会うのではないか、と思うわけです。
何か、強い「縁がある」と感じてしまうのです。
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今言ったような、「苦手なんだけど、なぜか近くにいる人」には、
二つの意味があると思うのです。
ひとつは、「前世からの縁」です。
もうひとつは、今回の人生でできた縁ですが、
「自分の器の小ささを学ぶために配置された、天からのプレゼント」
という意味がある、と思うのです。
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前世からの縁、と、自分の教育のために与えられた人物、
この二つの意味があると思うのです。
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(一つ目の、「前世からの縁」という意味についての説明)
仲が悪いのに、親戚だとか、ご近所だとか、夫婦とか、嫁姑とか、職場が一緒であるなど、いつも近くにいる人というのは、
たいていは、「前世でも知り合いだった」という場合が、多いのです。
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仲が悪い二人がいつまでも近い関係にいると、私たちは、「仲が悪いのに、なぜいつまでも一緒の場所に居るのか」と、非常に不思議な感じがします。
それは、
この世に生まれる前に、霊界で「前世では、仲が悪かったけど、今度の人生では、頑張って仲良くしよう。だから、出会おうね。」と、約束していたのだと思います。
その約束があるために、無意識的に、引き付けあっているのだと思います。
だから、お互いに、知らず知らずのうちに、いつも離れず、一緒にいるのだと思います。
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AさんとBさんは、前世で、非常に仲が悪く、けんかばかりしていました。
しかし、二人とも、あの世に戻ったとき、後悔して、
「これでは、カルマが残る。今度生まれるときは、お互いに仲良くしよう。」
と約束したのです。
それで、今回の人生では、二人が出会えるような環境に、生まれているのです。
同じ会社に勤めるとか、隣に住むことにするとか、夫婦になるとか、親子になるなどと、近い関係を選んで生まれているのです。
そういう約束して生まれてきた可能性があるのです。
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仲が悪いのに、一緒に居るというのは、今言ったように、お互いにカルマの刈り取りのために、約束してこの世に生まれてきているからなのだと思います。
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仲が悪いのに、いつまでも一緒に居る人の、二つ目の意味は、
「自分の器の小ささを学ぶために、その人が配置された」
という意味があると思います。
自分が、どうしてもなじめない人がいる、ということは、
自分は、まだ、その人を許せるまでの器がない、つまり、器が小さい、ということなのです。
そこで、そういう心の狭い自分を鍛えるために、
天から人物を配置されたのです。
そう考えると、いいと思うのです。
(実際、そうなのです。)
ですから、今仲が悪い人というのは、天からのプレゼント、なのです。
人生の目的は、どんどんと愛の心を広げることです。
多くの人を、公平無私の心で、愛で、包むことです。
その修行のために、天から、「この人を愛せますか?」と与えられたのです。
天からの教育として、自分が、今、一番苦手な人が、目の前に配置されたのです。
こう考えると、いいと思います。
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自分が苦手な人というのは、
「自分の器を広げる、教材である」、
「天から与えられたプレゼントである」、
ということなので、
この苦手な人を、愛で包むことができたら、自分は、また一歩成長できるわけです。
逆に、この苦手な人を、同じように苦手のままにしていたら、結局、成長はない、ということになるのです。
自分にとって、「試金石」が与えられたのです。
この問題を、「いやだ」と避けるか、あるいは、「オーケー、愛で包みましょう」と前向きになるか、そこが、分かれ道になるわけです。
以上です。ありがとうございました。
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