投資をするとは  金融リテラシーの大切さ | 裏街道を往く

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 先日、元の職場のメンバーとのランチ会があり、その中の一人が、「来年定年だから、次の仕事先見つけなくては」とつぶやきました。でも、いい仕事先は見つかりそうにない、という話の流れになったので、僕は「もう勤めは止して、投資を始めては?投資信託なら100円から始められるよ」と言ってみたのですが、ある人から「よ、証券マン」と揶揄されて、投資の話は、何の関心も引くことなく、立ち消えになってしまいました。

 僕が信頼されるような人でもないことが、投資に関心をもってもらえなかった第一の理由だと改めて思ったのですが、今日本で新NISA制度が始まっても、若者を除いて、投資を始めようとしない人々がまだ多い理由には、投資に対しての認識、意識が低いのではないかと思います。どうも、お金は汗水流して働いて得るのが良いのであって、投資で得るような不労所得は、好ましくないと思っている人がまだ相当いるのでは、と考えます。そういう考え方から、投資はギャンブルとさえ言い放つ人も未だにいるのではないでしょうか。投資(少なくとも長期投資)は決してギャンブルではなく、賢明な人生設計の一環とも言えます。

 お金は勤労で地道に得るものという金銭観が、確かに人を勤勉にしてきたという意味でも、お金を大事にするという意味でも、道徳的価値をもつことは認めます。日本人が勤勉であるのも、こうした金銭感覚がしみ込んでいるためとも考えられます。しかし一方で、勤労所得は、お金が大きく増えないということも本当だと思います。概略的に考えると、資本主義経済社会では、多大な富を得るのは資本家側であって、決して勤労者側ではないという真実です。しかし、投資することによって、資本家側にシフトする、そうしてお金を大きく増やす機会を得るということを今は考えるべき時がきています。

  昔は、それなりの資金がないと、株式市場などに参加できませんでしたが、今は少額でも、面倒な手続きもなく、ネット証券を通じて参加できます。ポイント投資というやり方さえあるくらいです。スマホ一つあれば、世界一のNY市場にもいとも容易に加われる時代です。さらに、NISA(少額投資非課税制度)は拡充して、少額とも言えないような制度になりました。NISAの頃から投資している人は、新制度になって、本当にありがたく感じていると思います。

 新NISAは、今の年金制度の十分な維持が困難との予測から、各自が老後に備えて、資産運用をするための制度でもあります。こんな制度を作ったのだから、国に任せきりにすることなく、一人一人ちゃんと資産作りをしなさい、と言わんばかりです。

 新NISAに反対する、馬鹿げた著名経済評論家(アナリスト)がいますが、これから予想される(日本が長年経験したこともない)インフレに打ち勝つ手段が他にあるのでしょうか。節約せよ、貯金せよ、と言われますが、インフレに対処するのは無理です。それにお金を使わなくなるところから、消費はやせほそり、景気は悪くなるばかりです。一方、投資する人が増えれば増える程、お金がよく循環することになり、経済がますます活性化するわけです。

 今、高校の家庭科で、金融知識を学ぶそうですが、僕は、大人こそ金融知識を早急に十分に学ぶべきと考えています。経済の循環の仕組みをしっかり学べば、投資の重要性も分かるはずです。

 僕も、以上のように偉そうに訴えていますが、実は、お金の勉強を怠った(馬鹿にした)ばかりに、わずかな額の国民年金しか受け取れないという大失敗をしてしまったのです。金融知識をしっかり身につけていたら、もっと楽に老後を過ごせたでしょう。幸いぎりちょんで何とか間に合い、今は、勤めることなく好きなように暮らし、月一回好きな旅行にも出かけることができるようになりました。長生きしてくれた母と米国株・債券などに投資しているおかげです。ともかく、今、投資(ただし自己責任と無理のない余裕資金で)を行わないことは、重大な機会損失と考えています。