11月に入ったので、喪中ハガキが届き始めました。気がつけば、年賀状も発売されてます。いやもう、暑いから、年末っぽさがなくて、え、もう年賀状? って感じではありますが…、年末なんですよね。びっくり。
久しぶりにリアル書店に行ったら、年賀状デザインのムック本もたくさん並んでいました。カレンダーや手帳は9月くらいから見ていたけれど、年賀状の本が並び出すと、いよいよか、という気分です。
最近はネット書店ばかりでリアル書店にあまり行かなくなってしまったけれど、書店に並ぶ本で季節を感じるんですよね。春にはNHKの教育番組のテキストが並んだり。夏には読書感想文の課題図書が並んだり。冬になるとクリスマスの絵本が並んだり。年末には家計簿が並んだり。家計簿っていまだにロングセラーなんですかねぇ。スマホのアプリもあるけれど。
そういえば、年賀状も出す人が減っているけれど、まだまだ年賀状印刷やデザインの広告は多いです。引きこもり生活なだけに、年賀状の文化がなくなっちゃったら、ほんとに人との繋がりがなくなってしまいそう。
喪中ハガキは、以前は祖父母のことが多かったけれど、最近は本人や配偶者の親が亡くなったという連絡が多いです。そして、うちの両親(後期高齢者)の世代だと、ご本人の逝去を親族が知らせてくれることも増えました。その前に、年賀状をやめる方も多くなりましたね。
年賀状のやりとりをやめてしまうと、その後のことがわからなくなってしまって、ご本人が亡くなったとしてもこちらは知ることができなくなってしまう。のですが、それならそれで、いいのかな、とも思ったり。情報が届かないということは、もうその人と繋がる共通の知人などもいない、ということで、お互いにそっとフェードアウトしていくのでしょう。
逆に、こちらが亡くなったとしても、相手には伝わらないわけですし。それでもいいと、相手が思っているから、「年賀状じまい」するのでしょう。
お互いに高齢だし、もう、葬式にも出なくていいんじゃないですか、っていうことなのかな。お葬式も、家族葬が増えましたしね。
年賀状じまいの文例など。
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私たち世代(アラフォー、アラフィフ)だと、今後はSNSやメール、LINEでのご挨拶に変えます、ってお知らせがたまにあります。しかし、実際にメールなどで年賀の挨拶が来ると、逆に返信が大変なことも。内容によってはやりとりが続いてしまうこともありますし。それが複数だとちょっと面倒になっちゃう。
1年に一度、ハガキで生存確認がてら送るのが、ちょうどいいです。メールやLINEだと転居したことなどが分からず、そのやりとりが途絶えると所在不明になってしまうところも、ちょっと不便というか、もやっとするというか。別に、その住所に行くとか、年賀状以外のなにかを送るとかじゃないのだけど、なんとなく、リアルな友人は、ちゃんと所在を知っておきたいです。
SNSをやっている友人は、リアルな住所を知らなくても全然良かったりするし、そういう友人も多いのだけど、学生時代からの友人はSNSなど一切やってない人も多いので(私が知らないだけかもしれないけれど)、年賀状が頼みの綱です。
まぁ、もうまったく連絡する用もなかったりする人たちは年賀状のやりとりをやめてしまうこともあります。相手から来なくなることもあれば、こちらから出さなくなることもあり。お互いに返信がなければ、自然消滅。今後はそういう人たちも増えていきそう。
老後に向けて、ゆるく、人間関係も断捨離してゆく(されてゆく)のかも。それでいいのかも。
と、今年(2023年)の正月に届いた年賀状を見ながら、コロナも収束しつつあるし、そろそろ一緒にごはん食べたいなぁって、友人たちの顔を思い浮かべてます。…コロナ、もっと完全に収束して、治療法も確立したら安心できるのだけど。
【今日の撮影機材】
カメラ:FUJIFILM X-T20 → 価格.com
レンズ:XF80mmF2.8 R LM OIS WR Macro → 価格.com
date:2023/11/4
※写真は縮小しています。