「精神鑑定の結果、その子は重度のTransfurphiliaと診断されました」
「……まあ、そうだろうね。ビーストトランスにやって来る子はだいたいTransfurphiliaであることが多い。というか、そういう子が選ばれ

てくる」
「Transfurphilia? 何ですか? それ?」
 カリンは初めて聞く言葉に疑問を抱いた。
「あれ? 知らない? Transfurphiliaというのは、獣化性愛……つまり、獣化(人から動物に変身する過程のみ)に対して性的魅惑を抱く性的嗜好のことだよ。動物そのものに性的魅惑を抱くズーフィリアとはまた別の特殊性癖……わかりやすく言えば、精神病だ」


「うち、そんなにおかしいんですか?」
「うーん、まあ、この業界では普通かな。一般の人から見るとおかしいという基準になるけれど」
「ふーん」
 カリンは店長の勧めで様々な検査を受けていた。
 カリンが♂犬と融合して体が♂犬化した謎はまだ解けそうもない。
 今日は精神鑑定を行った。
「体現は行動から入ると言うのが、一般的な定説だが、それをすべて当てはめると、Transfurphilia発症者はすべて獣化できることになってしまう……しかし、それはおかしい。重度と言ってもカリンちゃんのTransfurphilia値は普通だよ」
「うーん、ようわからへんけど……うちは普通なんですね」
「ああ」


 ♂犬と入り混じったカリンの体。
 未だに治る気配はない。
 この状態では、男トイレと女トイレのどちらに入ったらいいのかという基本的なことから、私生活に支障が出る。
 コノハに店長の研究室に連れてこられてから、カリンはしばらく研究所で暮らすことになっていた。


 増言鈴によって言霊の力を増した少年の死の宣告。
「?」
 しかし、その言の葉はめえとナナミには効かなかった。
 いや、その言葉の意味を理解できなかった。
 何故なら、めえもナナミも死を体験したことがない。
「ッチ……賭けは無理だったか……」
 言霊は相手がその言葉の意味を理解していなければ通じない。
 もし仮に、めえとナナミがこれまでに生死の堺を体験したことがあったとすれば、一気にその状態にまで陥ったことだろう。
「あ、動けるようになった」
「あ、ホントだ。めえちゃん、もっと距離を取ろう」
 ナナミの提案で二人は少年から遠ざかる。
 少年から離れても二人が少年を見失うことはまずない。
 何故なら、二人の視力は桁外れ位に高いから。


「……」
 少年は思案する。さすがに妖魔二匹を相手にするのは分が悪い。
 増言鈴を使ったことで、気力も限界に近い。
「お父様……」
 気が弱る。
 しかし、ここは彼のテリトリーではない。
 助け舟はどこからも来ない。
「クソッ……」
 焦る気持ちがさらに判断を鈍くする。


 一方、めえ達は楽観的だった。
「どうしたんだろ? 動きがなくなったね」
「ふにゅ~、疲れたのかな?」
「あ、そうそう。めえちゃん、この前借りた漫画返すね」
「お、了解了解。面白かった?」
「うん。面白かったよ。私も続き買おうかな~」
「わーい、話せる友達ができると嬉しいな!」
 脅威が薄れると、すぐに日常モードに切り替わる二人であった。


「っち……距離を取られた。言霊が届くかどうかギリギリのところだな……」
 少年は憔悴し始めていた。
 このままでは両方逃してしまう。
「クソッ……もう妖魔二匹相手に勝てる気がしない……だったら、せめてダメージを与えておきたい」
 少年は考える。
 そして、最後の手段に出た。


 ――チリン
 ――チリン
 ――チリン
 ――チリン


 増言鈴によって言霊の力をひたすら増す。
 少年の周りに濃厚な〝気〟が溢れ出す。
 少年は懐から小さな石を取り出し、カチッと擦り合わせた。
 その瞬間、石は摩擦面で小さく発火する。
 その火を言霊で強制的に強化。
「〝燃えろおおおおおおおおおおおおお!!!!〟」
 少年の手元から発火した火は油に注いだ火のように凄まじい勢いでめえ達の方に向かって地を這う。


「ナナミちゃん! 何かすごいのきたー!」
「めえちゃん、火! 火だよ!」
 日常的な会話をしていた中で、めえ達は自分達の方に走ってくる火の直線を見た。
 火は周囲の草を媒介に勢力を増し、炎と化す。
「ナナミちゃん! 水!」
「持ってないよ!」
 迫る火柱。混乱する二人。
「めえちゃん、とりあえず、横に散ろう」
「わかった!」
 火は直線的に迫ってくる。
 そこでナナミは左右に避けることを考えた。
 そして、その判断は正しかった。


「うわああっ!」
「熱っ!」
 めえとナナミが左右に避けた瞬間、今いた場所を火柱が走り抜けた。
 あのまま突っ立ていたら直撃していたところだった。
 恐ろしい。
「めえちゃん! シッポ! 燃えてる!」
「えっ? ▂▅▇█▓▒░(’ω’)░▒▓█▇▅▂うわあああああああ
 チリチリと燃えるめえのシッポ。
 めえは涙目になってシッポをブンブン左右に振る。
 しかし、火はさらに大きくなってしまったので、地面にシッポを押し付ける形で消火した。
「うぅ……汚れた……禿げた……」
 めえのシッポの燃えた部分の肌が露出している。
 火柱は幸運にも、進行方向と真逆に吹く強い風によってかき消された。


「ちっ……」
 最早打つ手なし。
 少年は力を使い果たし、舌打ちをして前のめりに倒れた。
「あ、倒れた」
「あ、じゃあ、もう襲ってこないかな?」
 二人はゆっくりと少年に歩み寄る。
「つんつん、つんつん」
 めえはそこらへんで拾った長めの木の棒で少年の体を突く。
 少年はただの屍のように動かない。
「大丈夫みたい」
「良かった。ひとまず安心」
「そうだね」
 二人でほっこりするめえとナナミ。


「ねえ、ナナミちゃん」
「ん?」
「この子、どうしようか?」
「うーん……」
 自分たちを襲ってきたので懲らしめてやりたいところだが、もう意識はない。
 息をしているので眠っているらしい。
 このまま放置しておくのもありだが、少年は近くで見るとやはり幼かった。
 しばらくどうしようか悩むめえとナナミであった。


「ちっ……」
 少年は舌打ちをする。
 状況は確実に悪化している。
 狐型の妖魔を滅する予定だったが、もう一匹増えてしまった。
 二対一では分が悪い。
 双方ともヤれるだろうか……?
「お父様……」
 他国に修行に来てみすみす妖魔を逃すなんてこと……お父様に知られたら一生顔向けできない。
 少年は焦っていた。


 一方、めえとナナミは殺意の彷彿する少年に相反して少し和やかな雰囲気を醸し出していた。
「めえちゃん、めえちゃん。あの子追っかけて来たらバラバラになって逃げよう。あの、おっきなイノシシ倒した時みたい

に!」
「オッケ~、ナナミちゃん!」
 めえはナナミが現れたことで弱気が払拭された。
 少年に怖い目に合わされたので、少しお仕置きをしないといけないという気持ちが芽生えている。
「! 来るよ!」
「! うん!」


「〝速く〟〝速く〟〝速く〟肉体の限界まで、リミッターを解除せよ――」
 少年は中国語を呟き、自らに言霊を掛けた。
 そして、油断している二匹の妖魔に襲いかかる!
「めえちゃん! 速くなってる!」
「ふにゅ~~~~! なんで!?」
 めえとナナミは驚いた。
 少年の走るスピードがさっきよりもさらに速くなっている。
 このままではすぐに追いつかれてしまう。
「走るよ!」
「うんっ!」
 二人は少年から逃れるように駆け出した。


「……どっちからヤるか……」
 少年は迷っていた。
 一見、ユルように見えて、あの二匹は人型に変化する。
 妖魔の中でもそれなりにクラスは高いものと思われた。
 二匹は寄り添うように並走して少年から逃げ始めた。
 二兎追うものは一兎をも得ず――今はまさにこの状況。
 二匹逃すのはマズイ。
 それなら、どちらか片方だけでも仕留めなければ――
 少年は高速移動しながら、小さく口を開け、大気から〝気〟を取り入れる。
 そして、言葉に気を同調させ、言霊を生成。
 それを日本語にして、二匹に〝意味〟を理解させる。


「〝止まれえぇぇぇぇぇー!!〟」

 少年が発した言霊を理解した周囲のあらゆるものが動きを止める。
 その言霊は確実に二匹にも届いているはずだった。
「!?」
 しかし、二匹は走るのを止めない。
 しくじったのだろうか?
 いや、めえとナナミは少年との数回の抗争で、『何かわからないけどとにかく彼の言葉を聞いていはいけない』という対策を既に立てていた。
 めえとナナミはよく、耳の先端を内側に曲げ、耳の筋肉で挟み込み、周りの音が聞こえないようにするという遊びを子供の頃にしていた。
 その経験が今、役に立っている。


 言霊は相手にその言葉の意味を理解させないと効力を発揮しない。
 聞こえていないのではただ叫んでいるだけだ。
 少年の言霊は失敗に終わった。
「クソッ……」
 しかし、少年は確実にめえとナナミに追いついている。
 少年は短剣を強く握り直し、攻撃態勢に入った。

「ふえぇぇぇ~、あの子、殺る気満々だよぉ~~」
 めえはナナミと並走しながらチラチラ後ろを振り返り、少年の殺意のオーラに泣きそうになった。
 ナナミとの話し合いで、少年から逃げるだけじゃ埒があかないという話になり、少しお仕置きが必要ということでまとまった。


 今はお互いに耳を塞いでいるので声は聞こえない。
 しかし、アイコンタクトである程度意思疎通ができる。
 めえとナナミは少年の動きに注視しながら、四足で走る。
 精一杯走っているのに、向こうの方が速い。
 少年のスピードは確実にオリンピックのランナーを超えているだろう。
 追いつかれる……
「→」
「←」
 少年が二人の真後ろに追いついた時、めえとナナミはアイコンタクトで大きく二手に分かれた。
 しかし、少年はこの作戦を読んでいたようで、迷いなくめえの方を追ってくる。


「ふにゅ~~~~! 何で、めえばっか!
 めえは文句を言いながら必死に逃げる。
 ナナミの姿は周囲に消えてしまった。
「〝止まれえぇぇぇぇぇー!!〟」
「!?」
 不覚にも少年の声がめえの耳に届いてしまった。
 その言葉の意味を理解してしまっためえは、強制的に体が硬直した。
「うわああああああー!」
 体が急に動かなくなり、走っていた勢いで草の上に転げ回る。
 少年はそんなめえに、冷徹に刃を向ける。
 斬りかかる風ではない。
 短剣の先端から突き刺しに来るようだ。
 しかし、めえは動けない。
 絶体絶命――――


「はあああああぁぁぁぁー!」
 少年がめえを突き刺そうとする直前、先ほどと同じシチュエーションで、二手に分かれたナナミが草むらから飛び出て少

年に体当たりする。
「うぅっ」
 少年はナナミの体当たりを受けて呻いた。
 しかし、シカの体当たりを受けてもその程度のダメージしか与えられないとは……常軌を逸している。
 そう、これは作戦だった。
 片方が捕まった場合、もう片方が隙を見て助ける。
 少年はめえ達を倒すのに必死だ。
 目の前の敵に集中して周りに気を張る余裕はないはずだと。
「――ハッ。解けた!」
 めえは体の痺れが取れたのがわかるとすぐに少年との距離を取った。


 痛みを堪える少年はナナミの目を見る。
「!?」
 その瞬間、ナナミの体が動かなくなった。
 少年は言葉だけでなく、眼力も持ち合わせているようだ。
 ナナミはめえの方を見る。
 めえはすぐにナナミの視線に気付き、状況を理解した。
 二人同時に動きを制限させられてはいけない。
 少年がナナミに襲いかかるタイミングで、少年に攻撃しなければならない。
 案の定、少年は体当たりしてきたナナミの方に意識が向き、距離を取っためえは後回しにされた。
 少年は近くて動かないナナミに短剣を向ける。
「ちょこまかとうっとおしい。お前から先に始末してやる……」
 少年がナナミに短剣を振り下ろそうとしたその時――


「ダメって言ってるでしょぉぉぉぉぉー!」
 めえが少年の脇腹を頭突きした。
「いぎぃっ!」
 少年はめえの頭突きでよろめいた。
 その隙に、めえはナナミを抱えて渾身の力でジャンプ。
 その途中でナナミの拘束が解けたようで、それぞれ着地し、少年と距離を取った。
「くそっ……厄介……」
 少年は舌打ちする。
 このままでは埒があかない。
 体力だけが削がれていく。
 敵ながらこのコンビは賞賛に値する。


「使うか……」
 少年は躊躇いながらも奥の手を出すことにした。

「!?」
 めえとナナミは依然、少年を警戒する。
 距離を取って少年の動きを見る。
 すると、少年は服の中から小さな鈴を出した。
「鈴……だよね?」
「う、うん……」
 見た目は単なる鈴。
 しかし、あの不思議少年が持っているものだ。
 単なる鈴ではないはず。
 新しいアイテムの登場で二人の警戒度はさらに増した。


「これを使いこなせる自信はまだないが……試す価値はある」
 少年は懐から出した鈴を指に付けて垂らし、上下にゆっくり降って鳴らし始める。


 ――チリン
 ――チリン


 その鈴の音は少年と距離を取っているめえ達の耳に、すぐ近くで鳴っているかのような感覚で聞こえた。
 恐ろしいまでに透き通った音色。
「宝貝(パオペイ)〝増言鈴〟」
 〝宝貝〟――かつて存在した中国の仙人達が作り出したと言われる秘具。
 かの中国三大怪奇小説『封神演義』にも登場する神秘アイテムだ。


 ――チリン
 ――チリン


 少年は鈴を鳴らす。
「何……しているんだろう」
「わかんない……」
 不可解な少年の行動にめえとナナミは動揺する。
 しかし、少年が鈴を鳴らすことには大きな意味があった。
 今の状態のめえ達には視えないが、少年が鈴を鳴らすことで、彼の周囲に著しいほどの〝気〟が発生していた。
 通常、気は自然に発生し、取り込めば自然に充足されるまで枯渇する。
 しかし、この増言鈴は強制的に気を作り出すことができ、言霊の効果を倍増させることができる。
 少年は鈴を鳴らしながら、口を開く。


「〝動くな〟」
「「!?」」
 少年は大きな声を出していない。
 しかし、本来聞こえるはずのない距離感で少年の小さな声が耳元に届いた。
「う……そ……」
「動……けない……」
 とうとう二人共動きを封じられてしまった。
 全身が石のように重くて動かない。
 これは相当ピンチだ。
 そして少年は最悪の言霊を口にする。
「〝死ね〟」

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「こたろぉ……」
 再び繰り返す記憶。最初に襲われた日と同じ。
 あの時は自分でもよく覚えていないが、助かっていた。しかし、今回はそういうミラクルは起こらないようだ。
 スローモーション。
 少年が短剣をめえに向かって振り下ろす。その動作がすごくゆっくりに見えた。
 しかし、やはり体の縛りは解けない。
 めえはコタローの助けを切望するが、彼は依然消息不明。


 ――ガサガサと遠くで何かの動く気配がした。

 ねえの言いつけを守らなかったことを激しく後悔した。

 ――その音はこちらに近付いてきているようだ。

 涙が出そうにも出すことさえできない。

 ――もしかしたらこれが命運を分ける瞬間だったのかもしれない。

 この瞬間、一つの命が散った……

 ――何故なら、少年は本気で殺しにかかっていた。


「めえちゃーん!!!」
「!?」
 少年が短剣をめえに突き刺す寸前、草むらからフルトランスしたナナミが飛び出して来た。
 ナナミは少年に体当たりし、涙目でまたフルトランスしてしまった小さなめえを器用に口で咥えて、距離を取った。
「くそっ……」
 少年が突き刺した短剣にはミミズが突き刺さっていた。

 ナナミは優しく咥えていためえを地面に降ろした。
「はぁはぁはぁはぁ」
「ふえぇぇー、な、何でナナミちゃんがここに?」
「はぁはぁ……ねえさんに頼まれていたのよ……はぁはぁ……めえを見ておいてって」
「ねえ姉……」
「めえちゃん、早くおっきくなって! あの子、また来るよ!」
「う、うん!」
 めえは完全獣化した状態から、全身をヒト型に近付け、再び獣人形態に変化した。
 ヒトはを忌み嫌う。
 ヒトはを最大の恐怖とする。
 それは、太古より受け継がれ遺伝子に刻まれた禁忌だから仕方がない。

 しかし、多くのヒトは目を背けている。
 この世界は生ではなくで成り立っていることに。

 人々が喰らうのは肉。
 貴方が食べているその肉は生きていますか?

 人々が行くのは骸。
 貴方が歩くその道ですべてのダニを避けられますか?

 豊かな暮らしは常に多くのの上で育まれている。

 が恐ろしいのは、それまで動いていたものが永遠に動かなくなる事。
 二度と動かなくなる事。
 そう、永劫に……

 ゾンビは者ではない。
 は動くことを許さない。
 
 嗚呼、また境界が薄れてゆく……
 聖者はよみがえる。
 生とを分かつ壁がもっと穏やかなものであればいいのに――
 
 僕らは騒ぎに騒いだ。
 飲みに飲み、喰いに喰い、精一杯遊び倒した。
 山火事になってはいけないとのツバキの指摘でハッとなり、僕らは結局、霊獣化して研究所を訪れることになった。
 しかし、研究所の火は消えていた。
 諸雨教授がどうなったのかはわからない。
 探そうとは誰も思わなかった。
 そして向かえた運命の日。
 2012年12月23日。
 マヤ歴の終わり。
 セイガイが出現する日。

「ん……」
 僕は目覚めた。
 既に日が昇っていた。
 生きている。
 もしかしたら、今までの出来事は全部杞憂に終わるかもしれない。
 部室ではやおよろずの全メンバーが酔いつぶれて寝ていた。
 それを見てホッとしながら、欠伸をしつつ、お茶でも買ってこようと部室の扉を開けて――
「な……んだ……あれ」
――絶望した

 一言で言うと、逃げ場などなかった。
 空を鬼が埋め尽くしている。
 動かずに見定めるようにして空中に停止している。
 まさに嵐の前の静けさといった感じだった。
 太陽に透けているので、陰りは見えない。
 その異様な空の下で、僕ら以外の視えない人たちは今日も日常を繰り返すのだろう……
「大変だ! みんな起きて!」
 しかし、僕は視てしまった。
 あれがどういうモノであるのかを知っている僕は気が気ではなかった。
「起きろー! 大変なんだ!」
 僕は徹夫の肩を揺らした。
「んあ?」
 寝ぼけたままだったが、徹夫は起きた。
「徹夫! 外! 外!」
「外?」
 まだ眠そうに目を擦りながら徹夫は外に出る。
 そして、目をぱちくりさせて叫んだ。
「なんじゃこりゃああああああああああ!!!」
 徹夫は急いで残りのメンバーを起こして回った。

「……これはまぢでやばいっす」
 全員青ざめている。
 空を埋め尽くすこの鬼の軍勢が地上に降りてきたらもうどうしようもないだろう。
 しかし、その時は来る。
 今日中に……
「シズ、体調は万全?」
「呑み過ぎだけどそれどころじゃないから大丈夫」
 強引な答えだった。
「よし、アキも大丈夫?」
「うん」
 恐らく、この状況下で誰かを守ることなんてできない。
 だから僕らは個々が身を守り、生き抜くことを誓った。
 日中、日和は鬼から情報を取ろうとして、鬼文字を展開させたが、動かない鬼に全く意味はなかった。
 そして、夕刻。
 いよいよその時が訪れたようだった。

「動き始めた……シズ、結界を!」
「わかった! がんばる!」
「アキ、以心伝心を!」
「うん!」
 鬼は尾天山のサンピラーを中心に円を描くようにぐるぐるとゆっくり動き始めた。
 空に停滞していた鬼達は散り散りになり、もう地上に降りている鬼もいる。
 大学構内を見ていると、悲鳴を上げて動物にされる生徒を多数目撃した。
 僕は目を瞑った。
 今は自分自身を守るので精一杯だ。
 他人を守ることなんてできない。
 過去に起きた生物の大量消失がこれから起こるなら、次世代に繋ぐために第一に自分達が生き残る事を考えないといけない。
 一つ、救いがあったのは、僕の能力は縁を伝って、羽紋を持つ人たちと、その家族まで拡大することが前日にしてできるようになっていた。
 血に繋がりか、羽紋がなくても家族までなら結界を伝える事が出来る。
 周りが良く見える大学の中庭に僕らは移動した。

「はああああああ!」
 シズが結界を発動する。
 遅れて、僕も以心伝心を発動する。
 少なくともこれで、羽紋を持つ百八人は結界に包まれたはずだ。
 超能力を発動するタイミングはジャストだった。僕らの周りも鬼が旋回する。
 結界に当たっては横に逸れて、また別の個体が結界に当たっては横に逸れて……波の中にいるような感じだった。
「さあて……ここからは根競べね。私達が先に力尽きるのか、鬼の捕食が先に終わるのか」
 日和はこの現象を捕食と表現した。
 それは実に的を得ている。
「これだけいたら情報も取り放題じゃない」
 日和は日和で鬼文字を展開する。
 走りながら空中に赤い軌跡を残していく。
「――っ。やばい。何かわからんけど、いろいろ送られてくる」
 日和が頭を抱えた。
「おい、無理すんなよ、日和」
「わかってるよ、徹夫」
 しかし、日和は止めない。
 鬼の弱点を突くためにラストチャンスを窺っている。

 ここで僕は初めて鬼が増殖する瞬間を見た。
 微生物のようにむにゅーっと分裂するのだ。
 分裂したての鬼はスライムのようにうねうねしている。
 しかし、しばらくすると何かしらの動物の形に収まるのだ。
 よく視ると、鬼達は一個体一個体が別のように今まで視えていたが、細い線で全個体が繋がっている。
「もしかして……実は1個体……? それじゃあ、本体がどこかにいる? 日和、もしかして鬼は全部繋がっているんじゃないか?」
 僕は日和に叫んだ。
 しかし、日和はその場にうずくまっている。
 鬼は最早、隙間などないくらいに地表から上空まで空間を占めていた。
 夕暮れが迫る。
 光の角度で今まで視えていなかったものが新たに視えた。
「尾天山のサンピラーだ……何で今まで気付かなかったんだ。あれにすべての鬼の線が繋がっている!」

 行くべきか行かざるべきか?
 しかし、鬼に対して攻撃する術はない。
 行ったところで何かできるだろうか?
「狸天……何か情報は?」
「うむ……残念じゃが、ワシはこいつについての情報を持たぬ。力を貸してもいいが、覚悟が必要だぞ」
「……」
 そう、シズの能力には一つ欠点があった。
 それは、僕らが霊獣化すると、何故か結界は解かれてしまうのだ。シズ本人でさえも。
 鬼達が占める空間の隙間を巨体な霊獣の姿で飛んでいけるか?
「無理だ……」
 そうなると、尾天山までは獣化では遅い。
「くそ、何か、何か手は……!?」
 僕が必死になって考えているその時、鬼にさらなる動きがあった。
 空中を漂っていた鬼達がすべて地表に降りてくる。

「――わかった! アキ! あたしのイメージをみんなに伝えて!」
「え? わ、わかった!」
 日和が僕に向かって手を伸ばす。
 僕はその手を掴み、全身全霊で以心伝心した。
 日和から多大な情報が送らてくる。
 その中から鬼の苦手なものを強調する。
 鬼が苦手なのは――
「あ、しまった! アキ、やっぱ送っちゃダメええええええ!
「えっ?」
 日和の叫び声は既に僕が以心伝心した後だった。

「――――――はっ!?」
 突然体の中がぐっと押さえつけられるような感覚がした。
「くそっ、鬼を舐めてた……まさかむこうからこっちをハッキングしてくるなんて……何かの能力をロックされた!」
 日和が悔しそうに親指を噛む。
「狸天、何か体におかしいところある? あれ? 狸天……?」
 まさか。
「ダメだ、狐天もでない……霊獣化できなくなった……」
「……」
 日和が呆然と立ち尽くす。
 このままでは危険な気がした。
 僕は日和の手をしっかり握りしめようとしたその時、空から降りてきた鬼に阻まれ、日和の手が離れてしまった。
 鬼は僕達を個々に分断するように結界の範囲以外を埋め尽くし……粘菌のように融合し始めた。

「何だよこれ!」
 いわば、僕らは海の中で宇宙服を付け入るような状態。
 融合した鬼が地上を埋めてゆく……
 自分の身長の二倍以上の高さまであるこの鬼の融合物。
 恐らく、触れたらその時点でアウトだ。
 となると、生き残る可能性がある人達はこれより高い場所にいるか、地下にいるか……
「日和、しっかりしろ! 霊獣化できなくなっても狐天や狸天は僕らの中にいる!」
「!」
 昨日の今日で何かを失うのは精神的にきついかもしれない。
「うっ、私……そろそろ限界かも……」
 シズが唸り声を上げた。
 もしかしたら最悪のタイミングで結界が解けるかもしれない。
 僕らの周りは鬼の融合体で覆われている。
 しかし、鬼にも動きがあった。
 高さが減ってきている。
 日が沈み、とうとう夜を向かえた。

「雪が……」
 いつの間にか出ていた雲から雪が舞い降りる。
 本来なら嬉しいはずのクリスマスイブイブ。
 この雪は祝福なのかあるいは呪縛なのか?
 夜を向かえて鬼は視えにくくなった。
 しかし、少しずつ高さが低くなっている。
 低くなった分の鬼はどこに消えたのか?
「もしかして地底に潜り込んでいる?」
 そんなような気がした。
 しかし、それが本当かどうかを確かめる術はない。
「シズ。もう少し、もう少しがんばってくれ! 鬼の嵩がなくなれば、逃げ道ができる」
 それは僕の希望だ。保証はない。
「がん……ばる……」
 シズはもう限界を迎えているのかもしれない。
 体がガクガク震えている。

 鬼の嵩が減っていく。
 頭の高さ……
 胸の高さ……
 腰の高さ……
 膝の高さ……
 踝の高さ…………
ごめんなさい! もう無理みたい!」
 シズが謝って結界が解けた。
 僕は覚悟した……
「終わった……?」
 地表には何も残っていなかった。
 始まりがあれば終わりもある。
 滅びのイベントがあるなら、そのイベントにも終わりがあるはずだ。
「みんな、無事?」
 僕は周りを見渡した。
 誰一人欠けていない。
 おそらく、世界中で犠牲になった人は多いだろう。
 幸か不幸か、僕らは生存に成功した。
「終わった……よね?」
 確証はない。また出てくるかもしれない。
 そうなったらもうみんなおしまいだ。
 しかし、鬼の気配はなくなっていた。

「日和! やったよ、乗り切った!」
「……。そう……だよね? 終わったんだよね?」
「そうだよ! 鬼はもうどこかに消えたんだ!」
「うぅ……よかった……あたしの親友だけでも無事でいてくれて」
 気丈な日和が涙を見せた。
 子供のようにわんわん泣き始める。
 それを見て、僕らは微笑みながら、日和を見守った。
「シズもありがとう」
「アキもね」
「みんなよかったよおおおおお」
「ほら日和、今はとにかく胴上げだ!」
「うん……」
 鬼の波に引き離されて僕らと日和には少し距離があった。


 日和が泣き笑いしながらこちらに駆けてくる――その時、


「うあっ」


「!!!!!?」


 日和は最後の最後に残っていた鬼の残骸に触れてしまった。


 鬼の残骸はすぐに地下へと消えた。
 しかし、その影響は確実に日和を犯していた。
「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「日……和……?」
 日和の体がみるみる小さくなっていく。
「うそだろ……」
 着ていた服がすぐにその場に落ちた。
 日和が消えた。
「えっ……日和……? 日和いいいいいいいいいいい!!!!」


 僕は日和に惹かれていた。
 しかし、僕はとうとうその気持ちを、日和に伝える事はできなかった――



 第四章 未来日記α 了
 2012年12月22日。
 運命の日の前日の夜。
 昨日はマヤ歴の終りの21日説が大々的に取り上げられ、メディアは大賑わいだった。
 しかし、結局何事もなく、クリスマスの前夜祭的な雰囲気になっていた。
 僕らは部室で宴会をしていた。
「そういえば日和は?」
「諸雨教授に呼び出されたって言って、行ったよ」
「そうなん? 早く帰ってきてってメールでも送っておいて。うまい酒が飲めるのはこれが最後かもしれないからな」
「就活がうまくいかなかったからって……はいはい。コンビニでつまみでも買ってくるよ」
「おー! ありがとう。気が利くね、アキ」
 もうすでにメンバーは出来上がっている。
 僕もお酒を飲んだが、少し酔いを冷ましに外に出たい気分だった。

「はぁー」
 吐く息が白い。
 夜の冷たさに、すぐに酔いが冷めそうだった。
「よし、買いに出掛けるか」
 僕は大学の構内を歩く。
 すると、山の方が何故か明るく見えた。
「あの方向は……!?」
 諸雨教授の研究所がある方だ!
 煙が上がっている。
 もしかして火事でも起ったのか?
 嫌な汗が出てきた。
「日和っ」
 僕はすぐにケータイで電話をかけた。
 しかし、何度かけても繋がらない。
「ウソだろ……」
 様子を見に行くしかない。
 僕はやおよろずのメンバーに協力を求める事も忘れて、無我夢中で駆けだした。


「はぁ……はぁ……はぁ……」
 僕は走りながら獣化する。
 服なんて後からいくらでも返る。
 今はそれよりも失ってはいけないものがあった。
 明日のために霊獣化のチカラは温存しておかなければならない。
 しかし、最適な姿になる分には多少無理しても問題はないはずだ。
 走りながら、僕は獣化していく……シッポのバランスを取りながら、より速く、僕は駆ける。
「ハッハッハッ――!?」
 研究所の少し手前の森の中で、何かが動く気配があった。
「! 日和? おい、どうしたんだ!」
「あれ……アキ……?」
「そうだよ! 何でこんなにボロボロなんだ?」
「えへへ……あの教授はダメだった。みんな……騙されていたんだ……」
「……あれは日和がやったの?」
「うん……大丈夫。研究所には教授以外、誰もいなかったから」
「一体、何が……説明は後でいい。とにかく帰ろう。みんなが待っている」

 僕はそう言って、日和を背負った。
 日和はいつものように覇気がなく、僕の指示に従ったように思えた。
「アキ……強くなったね。最初会ったときは女の子と話すだけでも緊張して鼻血出してたのに」
「……。全部、日和のおかげだよ。とにかく帰ろう。みんなが日和を待ってる」
「うん……」
 僕は研究所を顧みずに、日和の保護を最優先に行った。




 時は遡ること三時間前。日和の視点より――




「明日はどうなるかわからないから、今日はいっぱいはしゃがなくっちゃ! 何を食べようかな~ん? 電話? 教授からだ。珍しいな……」
 日和はスーパーで惣菜ものを買おうとしていると、諸雨教授からのコールがかかった。
「え! 本当ですか? 薬が完成した! 行きます、すぐに行きます!」
 日和は驚いて、既に籠に入れていたものをその場に置いて、スーパーを出た。
「はぁはぁ……ついに……完成したんだ! 動物化させられた人達を元に戻す薬が……」
 日和は嬉々して研究所に入っていった。
 教授のところに寄る前に、動物にさせられた人達の様子を見ようと、その部屋に寄ってみる。
「あれ……? もう人間に戻ったのかな?」
 しかし、檻に入れられていた人達は誰もいなかった
 首輪で繋がれた狼少女を残して。
「ごはん……ごはん! ごはん!」
 セキが日和を見て反応する。
 人間の姿をしていた。
 日和はセキを見て何だか悲しくなった。
 ごはんというのはエサをねだっているわけではない。
 人間の言葉を覚えたから連呼しているだけだ。
「服も着せてもらえないで……ごめんね、セキ……」
「ごはん! ごはん! ごはん!」
 日和は逃げるようにして教授の部屋に向かった。


「教授! 薬が完成したって本当ですか?」
「おぉ、来たね。狐塚君。君のおかげでついに完成したよ」
「すごい! これで鬼に動物化させられた人を人間に戻すことができますね! よかった。明日から大変なのに」
「ん? 明日から?」
「あっ……まあいいか。明日、鬼が世界を覆うかもしれないんです。それで、人間に戻すことができる薬は必需品なんですよ」
「それは何の情報?」
「あたしのフィーリングです」
「……。まぁ、狐塚君のいう事だから信じよう」
「下の檻に入っていた人はもう人に戻ったんですか?」
「?」
「あれ、違うんですか?」
「嗚呼、下にいたサンプルは全部使ったよ」
「使っ……た……?」
「君は何か勘違いしているようだね」
「勘違い?」
「まぁ、実物を見た方が早いか。向こうの部屋を見給え」
「えっ……なに……あれ……」
 教授が指差した方の部屋を見ると、白衣を来た人間と猫の混ざり合ったような人たちが寝転がっていた。

「私の推測は正しかった。獣人ばかりを調べていても人を獣化させる薬は完成できなかった。人獣も研究する必要があったんだ」
「きょ、教授……何を……言って……」
「しかし、改良の余地がある。人をネコ化させることはできたが、刺激が強すぎて彼らは死んでしまったようだ」
「何を……」
 日和はものすごく悪い予感がした。
「これだよ、狐塚君。これを飲めば、君のような特殊な人間じゃなくても、誰でもネコに変身することができる」
「教……授……?」
「何をそんな畏怖した顔をしているんだ? もっと喜んでおくれよ。この薬が完成したのは君の助けがあってこそだ」
「その薬は……?」
「そう、この薬は人間を動物に変える薬だ。この国の言葉で動物変身薬とでも言おうか。その第一弾として、ネコへの変身を対象とした」
「違う……」
 日和は方が震えて、涙を流した。

「違う?」
「違う! 話が全然違う!」
「どうした? 何が違うんだ?」
「あたしが……教授に協力していたのは……動物にさせられた人達を……元に戻す薬を作るからって……」
「ああ、忘れていないよ。これからね! でも獣化を愉しむためには元に戻す薬より先に変身させる薬が必要だろ?」
「そんな……」
 日和は絶望した。
「使ったって。動物にさせられた人達はどうしたの?」
「ん? 彼等は天に召されたよ。何事にも犠牲は必要だ。それは君もわかっているよね? この薬を作るためには実際に動物化させられた人々の体を調べる必要があった」
「そんな話、あたし聞いていない!!!!」
「嗚呼、そうだね。言っていなかったから」
「何で! 何で殺したの!?」
「殺したんじゃない。犠牲になったんだ」
「死んだらどっちも同じじゃない!!!!」
「そう怒るな、狐塚君。じゃあ、君は彼等を養うことができたのか?」
「……。でも、殺す必要は……」
「だから言っているだろう。彼等はこれからの人達のために犠牲になったのだよ。動物に変身する薬は完成した。これで元に戻すという次のステップに移行できる」
「みんな……みんな死んじゃったのに……そんなのもう待てないよ!!!!
 日和は大声で叫んだ。

「ふむ……そうだな。改良が必要だがこの国ではもう十分技術は掴んだ。あとは量産が可能な中国にでもいこうか。向こうは人が有り余っているし」
「何を言って……」
「安心したまえ、元に戻る薬ができたら君に連絡する」
「また誰かを殺すの?」
「人聞きが悪いなぁ……むしろ、人口増加で余っているところを助けるんだよ。それで動物になって人間に戻れる動物変身薬が完成したら一石二鳥だろ?」
「おかしい……間違ってる!」
「何が間違っているんだ?」
「わからないの!!!!?」
 日和は頭に血が上って、顔が獣化しかけていた。

「……。私は君達が羨ましいよ。どんなに望んでも私は獣化することはできない。自らの手でつくるしかないんだ。アリスを愛したあの日から」
「もう何も聞きたくない!!!!」
 日和はシッポを出して、教授の持っていた試験管を弾いた。
 その試験管は、放物線を描くように飛びあがり、中身は口を開けていた教授の口に入った。
「ぐあっ……何を……」
「もういい。こんなところ……最初からなければ良かったんだ!!!
 日和は叫び散らして、部屋を出た。
 そして、獣化していく……
「ははっ。飲んでしまった……アリス、見ているか? 私もいよいよ君のようにネコに変身できる……」
 教授はそう呟いて、その場に倒れた。



「こんなとこ! こんなとこ!」
 日和は怒りに任せて、研究所の中を壊して行った。
 乱暴にシッポを振り、何かものを掴んではあちこちに投げまくった。
「! ごはん! ごはんごはん!」
 檻の部屋に来たとき、セキが日和を見て反応した。
「セキ……ごめんね。あなたの仲間もいなくなちゃったけど……生きて……」
 日和は渾身の力を込めて首輪を捻じ曲げて壊した。
「さあ、逃げて!」
「ごは……。……」
 セキは自分の身が自由になったことに気付いたらしい。
 人に乞うような鳴き声はやめ、本来のオオカミの姿になり始めた。
「ごめんね。人間は自分勝手な生き物なんだよ……」
「……」
 獣化し終えたセキは、日和をしばし見つめた後、何も鳴かずに階段を下りて行った。
「……。セキだけでも助けられた良かった……うわぁぁ……うわあああああああああん
 完全に涙腺が崩壊した。
「狐天、力を貸して」
「……。人は複雑だのう。まぁ、暴れられるなら良かろう」
 日和は霊獣化し、研究所が燃え盛るまで破壊し尽くした。


 
 僕は日和が背中で話す話を聞きながら走っていた。
 どう慰めてあげたらいいのかわからない。
「あたし、教授を殺しちゃったかもしれない……これじゃあ、教授と一緒だね」
「……違う。日和は違う。日和は教授は殺してなんかいない。教授は自分自身の薬を飲んだから自業自得だ」
「……ありがと……」
 弱々しい日和が愛おしくて、僕も泣いていた。
 動物に変身できる。
 それを犯罪に使うわけでもない。
 なのに、僕らにはいつも悲しみが纏わりついてくる。
 もし、普通の人間だったら、こんな悲しみを背負うことはなかったはずなのに……

 僕は無言で泣いた。
 一刻も早くみんなに会いたい。
 僕一人でこの話を終わらせるには荷が重かった。
「日和、もうすぐ。みんなが待っているから」
「うん……」
「鬼についての情報を整理しましょう」
 運命の日が差し迫ったある日、部室にて日和がやおよろずのメンバーを集めてこんなことを言ってきた。
「これまで何度も遭遇して、対戦してわかったことをもう一度確認するの」
 これはみんなで知識を共通させることで、事前に認識不足を防ぐやり方だ。
「まず、これまでに確認できた鬼は角の数が一本から三本まであるやつがいるってこと。三本以上の数の鬼や角無しを見たことがある人はいる?」
 全員が首を横に振った。
「オッケー。それじゃ、鬼の種類は三つってことね」
 そう、鬼は角の種類で三つに分けられる。
 鬼は様々な動物の姿をしているが、それは分類基準に当てはまらない。

「一本角……こいつは人が触れると自分の姿の動物に強制的に変身させる機能がある。一本角は私達の鳴き声で方向を変えることができる。一本角は一定の方向にまっすぐ浮遊する。

 二本角……こいつは人が触れると何になるかわからない。でもたぶん、今までに吸収した生物に変えるんだと思う。古代生物とか行方不明になった人とか。記憶もそのままに。これがおそらく、よみがえり・死者復活のからくりだと思うわ。

 三本角……こいつは人が触れると吸収されてしまう。死んでしまうのかどうかはわからないけど、二本角によって他の生物の体を使って作り変えられた際に出てくることを考えれば、記憶もそのままみたいだし、眠ったままみたいな状態じゃないの
かな」
「おぉー! 確かにそうだ。日和、理系みたいだね」
「えっへん」
 日和の気分が良くなったところで、日和は続ける。

「私達の声が通じるのは一本角だけ。二本角と三本角には通じない。でもシズの結界はすべての鬼を妨げる効果があったわよね?」
「うん!」
「鬼に対して攻撃する手段はあたし達はもっていない。不来方の百鬼夜行中に遭遇して、鬼を破壊する力を持つアマテラスの一族もここ最近、みんなで探したけれど、結局出会えなかった。だから、あたし達は鬼に対して攻撃手段を持たない。シズの結界も大きさが決まっている……そこでアキの出番ね」
「うん」
「アキの以心伝心はあたし達、背中に羽の痣――『羽紋』を持つ人たちとの縁を繋ぎ、アキの任意の能力を強制的に伝える事が出来る。つまり、シズに触れた状態で使えば、みんな個別の結界を展開できる」
「うん」
 実際に実験してみたことがあったが、その時はうまくいった。
 大学の普通の友人に以心伝心を何度か試してみたが、羽紋を持つ人にしか伝わらないようだった。

「とりあえず、鬼に対して攻撃はできないしても、防御策はできるようになったと」
 僕らは攻めの一手が無い。守りを固めるしかない。
「それで、鬼が一体何者なのかよくわからないんだけれど……あたしはミトオシサマが言うセイガイのことなんじゃないかって最近思うようになったわ。よく思い出してみて。鬼とセイガイは似たような部分がたくさんある」
 あの時聞いた話しを思い出してみる。
 しかし、あの時はいろいろあり過ぎて、僕の記憶は薄かった。
「ミトオシサマは言ったのよ。セイガイは他の生物同士を混合させ、その時に一つの生物に他の生物の遺伝子が組み込んだって。セイガイが現れる時、死者が蘇ったりするかもしれないって」
「!」
 聞いたような気がする。
 確かにその話を聞くと、鬼を連想してしまう。
「ミトオシサマは鬼は地上の生物をコピーしたり、作り変えたり、乗っ取ったりする。寄生を主とするやっかいな輩と言っていたわ。あたし達とは違う生物の概念で霊的生命と。そして、鬼はこのまま増え続け、やがて地上のほとんどを覆うようになる。それが滅びだと。鬼=セイガイと言えるでしょう?」
「……」
 僕はここでミトオシサマの予言を思い出した。


――2012年12月23日。人類は、この星の生物は選ばれる。生き残る者と、消え去る者と。すべての者が一つになる。性も生も星も聖もすべてを超えて……


 生き残るものと消え去るもの。
 おそらく、シズの結界のような超能力を持ちえた人達が、鬼に抗い生き残る。
 そして、そういった超能力を持ちえなかった人たちが消え去る。
 2012年の滅びをテーマにしていた漫画などでも超能力者だけが生き残る世界を描いているものが多かった。
 つまりそれらはこういったことなのではないだろうか。
「もう地球規模でやられると、あたしらもどうにもならないね。尾天だけでいっぱいいっぱいなのに」
「……」
 それはまるで残酷な神話に描かれる使徒の来訪のような光景だ。
「霊界欠書を全部じっくり解読したわ。すると、やっぱり過去にもそういう事例があったのよ。最も有名なのはよく歴史の教科書で取り上げられる恐竜絶滅の時代の話。たぶん、あれにも鬼が関わっているだから、鬼に変えられた人達が恐竜みたいになることもあったのよ」
「!」
 そんな昔から関わって来たのか?
 しかし、そう考えると、いろいろ辻褄が合ってくる。

「それじゃあ、僕らのこの獣化能力も……」
「ええ……元々は鬼が原因じゃないかな」
「……」
「たぶん、昔に人と動物が鬼によって混ぜられて、それが代々引き継がれて、今のあたし達になったんじゃないかな。ミトオシサマもそんなことを言っていたし。だから、人間はみんな、何かしらの他の生物の遺伝子も持っている。でもそれを発現できるのは羽紋を持つ人だけ」
 僕らが獣化できるカラクリはこういったところなのだろうか?
「なるほどね……それじゃあ、狼少女のセキは私達とは逆のパターンかな」
「うん。きっとそう。元々オオカミだったところに、人間の遺伝子が混ぜられた。それを昔から引き継いできたか、もしかしたらごく最近なのかもしれない」
 そう、人間が中心に思われるが、動物も被害に遭っている。

 そういえば、最近、セキはすっかり元気を失くして大人くなってしまったと聞く。
 それでも僕らに抵抗しているのか、人間の姿をしていることが多い。
 体は様々な実験で傷付けられ、見ていられない状態だった。
 セキが人間の状態を長く維持することで人間に関する知能指数が上がったらしい。
 誰が教えたのか、人間の言葉を覚えたらしい。
 最近はリアルが忙しくて、ここ数週間、僕は直接セキの様子は見に行っていない。

「ああ、それとあたし、最近気付いたんだけど、あたしの鬼文字ね。どうも鬼に鬼文字を触れさせると、情報が読み取れるみたいなの」
「え? どういうこと?」
「えーっとだから、あたしが何かしら鬼文字を空中に描くでしょ。それに鬼が触れると、何か鬼の情報があたしに送られてくることに気付いたの。ハッキリこの感覚をいう事は難しいなぁ……狐天、わかる?」
「日和の感覚は伝える事は無理じゃ。強いて言うなれば、超能力を使っている感覚じゃろうて」
「だって。そんなとこ。だから、あたしは鬼を見かけたら、鬼文字で触れさせてみようと思うの。それで何か弱点がわかるかもしれないし」
 日和は一人で二人の会話をしているように話した。
 僕らは霊獣化しなくても人格を交代できるようになっていた。
「弱点がわかるとありがたいけれど……無茶は絶対にしちゃダメだよ」
「わかってるわかってる」
 日和は笑顔でこう言った。
 しかし、僕には絶対に無茶をするような嫌な予感があった。
「百鬼夜行中に鬼が現れるとはまさに本末だな」
「もお、呑気なこと言わないで下さいよ、彩音さん。ホントに危なかったんだから」
「あははは。すまんすまん。ありがとう、アキ」
 僕は気が付いたら部室に運ばれていた。
 結局、僕らは鬼から逃げる形で退散することになった。
「鬼は……」
「わからん。でも少なくとも、シズの結界で少しの人は動物に変えられずに済んだ」
「……」
 僕らは鬼に対して攻撃する術を持っていない。
 一体どうしたらいいのだろうか?

「それにしてもさっきの彩音の周りに展開した結界は……シズじゃないよね?」
「うん。私はあんなことできない。自分の周りだけ」
「じゃあやっぱりアキ?」
「……わからないけど、たぶん」
 僕は初めて超能力を使ったかもしれなかった。
 しかし、その感覚はもう失われている。
 あの時どうだったのかあまり覚えていない。
「実感があったのなら、アキが使ったんだよ。でもどういう超能力なのかなぁ? シズと同じ系統で結界を任意の場所に展開できるものかな?」
「うーん……」

 いよいよやおよろずのメンバーもSFめいてきたなと思ってしまった。
「まぁそのうちわかってくるね。アキは開花。他の面子も超能力が目覚めたら教えてね!」
 これで今回の百鬼夜行は解散になった。


 その後、僕の能力は非常にわかりにくかったが、検証を重ねた結果、羽の痣を持つ人々に自分の獲得した能力を一定期間伝えるということがわかり、『以心伝心』と名付けられることになった。



 さらに月日が過ぎ、2012年12月
 僕は大学三年生も後半に差しかかっていた。
「ふぃー、寒い寒い。今日、雪降りそうじゃない」
 僕が部室でまったりしていると、そう言って日和が入ってきた。
「就職浪人とか……むうう……」
 大学四年生になった徹夫は就活がうまくいかず、とうとう卒業間近にまで働き先が決まっていなかった。
 本当に起こるのかどうかわからない世界の終り。
 その最終月になっても、僕らは今までの社会の中で日常を繰り返していた。
「徹夫はやっぱりがたいイイから工事の人とかいいんじゃない?」
「そう簡単に言うなよ。もっと面白そうな仕事があるかもしれないだろ?」
「例えば?」
「それがわからん」
「そりゃ就職決まらんわー」
 ちなみに他の上級生であるツバキ、ユイ、彩音は内定取得済だったりする。

「あー、世界の終り来てきんないかなー」
 徹夫の口から都合のいい声が漏れる。
「こらこら。そんなこと望まない」
 今まで煽るようにマヤ歴の終り=世界の終わりを伝えていたマスコミ関係はその日が近付くにつれ、それまでの内容と一変して否定的な立場を取るようになっていた。
 これはもしかしたら1999年のノストラダムスや2000年のY2K問題で過剰な放映をしてしまった教訓かも知れない。
「最近、また鬼が増えたね……」
 日和はタッチPCでネットニュースを見ながら言った。
「そうだね……」
 今や鬼は一日に一度は見かける状態になっていた。
 その日と鬼の関係性は濃厚のようだった。
 しかし、一体何が始まるのか……

「それに対してあたしらは打つ手なし……」
「……」
 結局、超能力を使えるのは日和、シズ、僕の三人だけだった。
「アキを見付けてからぴったりと獣化できる人も見つからなくなったしなぁ」
 日和はまだ仲間集めを続けていたようだ。
 日和は思ったことをぽろぽろと零す。
 年の瀬はその一年を振り返ってしまう傾向があるらしい。
「よし、それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ」
「乙~」
「ほいほーい」
 僕はコートを着て、部室を出た。
 日が暮れるまでに家に帰り、今日はこたつに入りながらテレビでも見たい気分だった。

 大学の敷地から出ると、雄々しく聳え立つ尾天山が見える。
 夕日がその尾天山の向こうに暮れて行く。
 逢魔ヶ刻。
 尾天山から空に向かってまっすぐ伸びる半透明の光の筋が見える。
 最近、世界中で報告されるようになり、とうとうニュースでも取り上げられるようになった謎の現象・サンピラー
「……」
 夕刻に見えるようになるサンピラーはいわゆるパワースポットと呼ばれるところばかりだった。
 尾天山もそう呼ばれるスポットが確かに存在する。
 気になった僕らはサンピラーの出元を調査しに行ったことがあったが、何も異常は確かめられなかった。
 あるコメンテイターはそのサンピラーに対してこういう発言をした。



「あれはまるで地上と宇宙をまっすぐに繋ぐ『軌道エレベーター』のようだ」と。