「ちっ……」
 少年は舌打ちをする。
 状況は確実に悪化している。
 狐型の妖魔を滅する予定だったが、もう一匹増えてしまった。
 二対一では分が悪い。
 双方ともヤれるだろうか……?
「お父様……」
 他国に修行に来てみすみす妖魔を逃すなんてこと……お父様に知られたら一生顔向けできない。
 少年は焦っていた。


 一方、めえとナナミは殺意の彷彿する少年に相反して少し和やかな雰囲気を醸し出していた。
「めえちゃん、めえちゃん。あの子追っかけて来たらバラバラになって逃げよう。あの、おっきなイノシシ倒した時みたい

に!」
「オッケ~、ナナミちゃん!」
 めえはナナミが現れたことで弱気が払拭された。
 少年に怖い目に合わされたので、少しお仕置きをしないといけないという気持ちが芽生えている。
「! 来るよ!」
「! うん!」


「〝速く〟〝速く〟〝速く〟肉体の限界まで、リミッターを解除せよ――」
 少年は中国語を呟き、自らに言霊を掛けた。
 そして、油断している二匹の妖魔に襲いかかる!
「めえちゃん! 速くなってる!」
「ふにゅ~~~~! なんで!?」
 めえとナナミは驚いた。
 少年の走るスピードがさっきよりもさらに速くなっている。
 このままではすぐに追いつかれてしまう。
「走るよ!」
「うんっ!」
 二人は少年から逃れるように駆け出した。


「……どっちからヤるか……」
 少年は迷っていた。
 一見、ユルように見えて、あの二匹は人型に変化する。
 妖魔の中でもそれなりにクラスは高いものと思われた。
 二匹は寄り添うように並走して少年から逃げ始めた。
 二兎追うものは一兎をも得ず――今はまさにこの状況。
 二匹逃すのはマズイ。
 それなら、どちらか片方だけでも仕留めなければ――
 少年は高速移動しながら、小さく口を開け、大気から〝気〟を取り入れる。
 そして、言葉に気を同調させ、言霊を生成。
 それを日本語にして、二匹に〝意味〟を理解させる。


「〝止まれえぇぇぇぇぇー!!〟」

 少年が発した言霊を理解した周囲のあらゆるものが動きを止める。
 その言霊は確実に二匹にも届いているはずだった。
「!?」
 しかし、二匹は走るのを止めない。
 しくじったのだろうか?
 いや、めえとナナミは少年との数回の抗争で、『何かわからないけどとにかく彼の言葉を聞いていはいけない』という対策を既に立てていた。
 めえとナナミはよく、耳の先端を内側に曲げ、耳の筋肉で挟み込み、周りの音が聞こえないようにするという遊びを子供の頃にしていた。
 その経験が今、役に立っている。


 言霊は相手にその言葉の意味を理解させないと効力を発揮しない。
 聞こえていないのではただ叫んでいるだけだ。
 少年の言霊は失敗に終わった。
「クソッ……」
 しかし、少年は確実にめえとナナミに追いついている。
 少年は短剣を強く握り直し、攻撃態勢に入った。

「ふえぇぇぇ~、あの子、殺る気満々だよぉ~~」
 めえはナナミと並走しながらチラチラ後ろを振り返り、少年の殺意のオーラに泣きそうになった。
 ナナミとの話し合いで、少年から逃げるだけじゃ埒があかないという話になり、少しお仕置きが必要ということでまとまった。


 今はお互いに耳を塞いでいるので声は聞こえない。
 しかし、アイコンタクトである程度意思疎通ができる。
 めえとナナミは少年の動きに注視しながら、四足で走る。
 精一杯走っているのに、向こうの方が速い。
 少年のスピードは確実にオリンピックのランナーを超えているだろう。
 追いつかれる……
「→」
「←」
 少年が二人の真後ろに追いついた時、めえとナナミはアイコンタクトで大きく二手に分かれた。
 しかし、少年はこの作戦を読んでいたようで、迷いなくめえの方を追ってくる。


「ふにゅ~~~~! 何で、めえばっか!
 めえは文句を言いながら必死に逃げる。
 ナナミの姿は周囲に消えてしまった。
「〝止まれえぇぇぇぇぇー!!〟」
「!?」
 不覚にも少年の声がめえの耳に届いてしまった。
 その言葉の意味を理解してしまっためえは、強制的に体が硬直した。
「うわああああああー!」
 体が急に動かなくなり、走っていた勢いで草の上に転げ回る。
 少年はそんなめえに、冷徹に刃を向ける。
 斬りかかる風ではない。
 短剣の先端から突き刺しに来るようだ。
 しかし、めえは動けない。
 絶体絶命――――


「はあああああぁぁぁぁー!」
 少年がめえを突き刺そうとする直前、先ほどと同じシチュエーションで、二手に分かれたナナミが草むらから飛び出て少

年に体当たりする。
「うぅっ」
 少年はナナミの体当たりを受けて呻いた。
 しかし、シカの体当たりを受けてもその程度のダメージしか与えられないとは……常軌を逸している。
 そう、これは作戦だった。
 片方が捕まった場合、もう片方が隙を見て助ける。
 少年はめえ達を倒すのに必死だ。
 目の前の敵に集中して周りに気を張る余裕はないはずだと。
「――ハッ。解けた!」
 めえは体の痺れが取れたのがわかるとすぐに少年との距離を取った。


 痛みを堪える少年はナナミの目を見る。
「!?」
 その瞬間、ナナミの体が動かなくなった。
 少年は言葉だけでなく、眼力も持ち合わせているようだ。
 ナナミはめえの方を見る。
 めえはすぐにナナミの視線に気付き、状況を理解した。
 二人同時に動きを制限させられてはいけない。
 少年がナナミに襲いかかるタイミングで、少年に攻撃しなければならない。
 案の定、少年は体当たりしてきたナナミの方に意識が向き、距離を取っためえは後回しにされた。
 少年は近くて動かないナナミに短剣を向ける。
「ちょこまかとうっとおしい。お前から先に始末してやる……」
 少年がナナミに短剣を振り下ろそうとしたその時――


「ダメって言ってるでしょぉぉぉぉぉー!」
 めえが少年の脇腹を頭突きした。
「いぎぃっ!」
 少年はめえの頭突きでよろめいた。
 その隙に、めえはナナミを抱えて渾身の力でジャンプ。
 その途中でナナミの拘束が解けたようで、それぞれ着地し、少年と距離を取った。
「くそっ……厄介……」
 少年は舌打ちする。
 このままでは埒があかない。
 体力だけが削がれていく。
 敵ながらこのコンビは賞賛に値する。


「使うか……」
 少年は躊躇いながらも奥の手を出すことにした。

「!?」
 めえとナナミは依然、少年を警戒する。
 距離を取って少年の動きを見る。
 すると、少年は服の中から小さな鈴を出した。
「鈴……だよね?」
「う、うん……」
 見た目は単なる鈴。
 しかし、あの不思議少年が持っているものだ。
 単なる鈴ではないはず。
 新しいアイテムの登場で二人の警戒度はさらに増した。


「これを使いこなせる自信はまだないが……試す価値はある」
 少年は懐から出した鈴を指に付けて垂らし、上下にゆっくり降って鳴らし始める。


 ――チリン
 ――チリン


 その鈴の音は少年と距離を取っているめえ達の耳に、すぐ近くで鳴っているかのような感覚で聞こえた。
 恐ろしいまでに透き通った音色。
「宝貝(パオペイ)〝増言鈴〟」
 〝宝貝〟――かつて存在した中国の仙人達が作り出したと言われる秘具。
 かの中国三大怪奇小説『封神演義』にも登場する神秘アイテムだ。


 ――チリン
 ――チリン


 少年は鈴を鳴らす。
「何……しているんだろう」
「わかんない……」
 不可解な少年の行動にめえとナナミは動揺する。
 しかし、少年が鈴を鳴らすことには大きな意味があった。
 今の状態のめえ達には視えないが、少年が鈴を鳴らすことで、彼の周囲に著しいほどの〝気〟が発生していた。
 通常、気は自然に発生し、取り込めば自然に充足されるまで枯渇する。
 しかし、この増言鈴は強制的に気を作り出すことができ、言霊の効果を倍増させることができる。
 少年は鈴を鳴らしながら、口を開く。


「〝動くな〟」
「「!?」」
 少年は大きな声を出していない。
 しかし、本来聞こえるはずのない距離感で少年の小さな声が耳元に届いた。
「う……そ……」
「動……けない……」
 とうとう二人共動きを封じられてしまった。
 全身が石のように重くて動かない。
 これは相当ピンチだ。
 そして少年は最悪の言霊を口にする。
「〝死ね〟」