【六道とは?】
【地獄界・餓鬼界・修羅界・畜生界・人間界・天上界】の六つを指し、何れも『迷の世界』のことです。
聞いたことのある、『六道輪廻』とは、その迷の世界をグルグル廻って、どうにもこうにも『~抜け出せられない、或いは、出たり入ったりしている様子~』 を、形容したものです。
実際にそんな場所がないことはいうまでもありませんし、『道』と表現されますから、あくまで精神世界の話しです。但し、倶舎論にもとづいて正確に描くことは可能で、1由旬(ゆじゅん)7Kmで計算するととんでもない大きさに相当します。
一歩、仏教から離れた見方で云えば、六道とは現代社会に生き、日々移ろい変わる私たちの心模様、心の階級そのものなではないでしょうか。因みに、それら六つの精神世界は以下のように分かれています。
『天道』
天道とは天人が住まう。天人とは聞こえが良いが実はそうでもない。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は上へ行くほど更に長い。苦しみも人間に比べて少ないが、全く無いわけではない というのがミソ。 マトリックスのネロのように、自由に空を飛ぶことができる。
おぉーそれは是非やってみたいので、一度は行って見たいもの。 享楽のうちに生涯を過ごす幸せな?場所。 だが、ここに居る以上は、煩悩から解き放たれては居ないから、恐ろしいオチがちゃんとある。厳密にいえば天道は、大別すると『欲界、色界、無色界』の三つに分かれる。更に細分化すると、全部で三十の『天界』がある。天界の詳細はまた今度。
『人間道』
一番分かりやすい、文字通り人間が住む世界の象徴である。食欲・色欲・睡眠欲という動物的本能の他に、名声・利欲の二欲を加えた五欲の世界。ある意味、ここで起点でもあり終点でもある。 最も美しく最も汚く、最も楽しく最も苦しく、騙し騙され裏切り裏切られ、信じ信じられる苦楽相半ばする表裏一体の世界。ただ唯一、誰もが仏になりうるという救いもここにある。
『修羅道』
修羅道とは修羅の住まう三毒の「瞋恚」の世界。十善戒にもあるよね?「不瞋恚(ふしんに)」分けも無く怒らないってこと。だから修羅とは終始争いごと大好き人間の世界のこと。争わなくっちゃあ生きていけない。その分、苦しみや怒りが絶えないが、それが大好きなので地獄のような場所には感じない。苦しみがあるとすれば、それは自らに帰結するところが大きい世界である。う~~~ん・・先天性突発性激怒症候群の自分には耳が痛い。
▼ここから下が、三悪趣(三悪道ともいう、地獄・餓鬼・畜生)。
『畜生道』
婆ちゃんが生前、人を罵倒するときに「犬、畜生!」と叫んでいたが、畜生道とはその通り動物に例えられる人間以下のイメージである。殆ど本能だけで生きている。すなわち自己コントロール不能状態にある。人間に使役されるがままという点においては、自らの力で仏の教えを得ることの出来ない末期状態であり、救いようの少ない世界とされる。三毒では「愚痴」の境地。愚痴ばっか言ってる輩はこんなトコにいるってこと? そう思うと、少々愚痴も減らそうかしらと戒める人もいるだろう。
『餓鬼道』
餓鬼道とは餓鬼だから、ガキの世界である。三毒でいう、「貧欲」貪りの世界。いくら手元にあってもまだ足りない、まだ足りない。イライラ、ガツガツしている貪りの状態。地獄絵図で見る餓鬼は、腹が膨れた姿の鬼。食べ物を口に入れようとすると、灰となって消えてしまい、更なる餓えと渇きに悩まされる。前世で食べ物を分け与えないなど、他人を慮らなかったために落とされる。
▼いよいよ、最低最悪の最下層
三悪趣に修羅を加えた四悪趣の1つ、また六道から修羅を除く五悪趣(五趣)の1つ。
いずれもその最下層に位置する。どんな風に分けても最下位に変わりない。
『地獄道』
地獄道とは生前の罪を償わせるための世界とされているが、人間誰しもここへ簡単に墜ちる。大乗仏教が発展した現在では、地獄は死後に赴く世界だけではなく、その精神的・行動的な境涯から、今生(こんじょう)、すなわち生きながらにして堕する世界と見なされる。
結局、私たち人間はこの六つの世界を生きながらに、ヨイショヨイショとぐるぐると回っているようなものです。要するに、天界を含めてどこにいても悟りは開けておらず、例え天界に居ても一瞬で、テレポートのように同じ人が地獄へ墜ちます。
例を出しましょうか。
哲学や科学・倫理や道徳・美術や芸術に打ち込んでいる状態を、「眞・善・美を愛する」といいますが、例えば魂が磨かれるような素敵な音楽祭に出掛けたとします。上質な音楽を聴いているうちは、天界で遊んでいるような気分です。しかし、帰りにタクシーがなかなか捕まらない。
「すぐに捕まるよ」と言っていた亭主の顔を思い出し腹を立てだす。もう地獄の一歩手前です。仕方なく電車で帰ることにしたが、混雑した車内で下したての新しい靴を踏まれて、「ちょっと気を付けてよぉ!」と八つ当たり交じりに憤慨する。 ハイ、これでもう貴女は地獄に墜ちてます(笑。
ところが、一緒に連れてきた子供がお腹が空いたと言い出し、受験勉強のために家で留守番している下の子供に、ご飯を用意していなかったのを思い出すと、反省してまた人間界に戻る。 優しい母親の顔で帰宅すると、留守番していた子供は、受験勉強そっちのけでゲームをしながらお菓子を食べている。「勉強しないで何してんの!」と菓子を取り上げる。お腹が減っている子供は当然反抗する。「ごはんがないから仕方ないだろ!」と修羅になり、餓鬼のように菓子を手放さない。そこへ酔っ払ってコントロールが効かず、畜生になった亭主が帰ってくる。母親はまた鬼の形相になって地獄へ墜ちる。
このように、気付かないままぐるぐる回り続けているのです。
正に六道輪廻。 例え悟りを開いて六道を一度出たとしても、よほど鍛錬を続けない限り、どんなエライ坊さんであろうが、なんであろうが、気がついたら六道に落っこちて、案外高名な人ほど貴方や我々の隣にいるかも知れません。(笑