「草の響き」 走りたくなった作品 | 走ることについて語るときに僕の書くブログ

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タイトルの通り。
ワタナべの走った記録です。時折、バスケット有。タイトルはもちろん村上春樹さんのエッセイのパクリ。

 
あらすじ
自律神経失調症を患った主人公は医師から運動療法としてジョギングを勧められる。毎日同じ道を律儀に走る主人公。見守る妻。
 
あらまし
函館の映画館シネマアイリスが企画制作プロデュースしている作品。同映画館は41歳で自死した函館出身の作家佐藤泰志原作の映画作品を四作、送り出している。どの作品も叙情的で高評価。
本作はその五作目。原作は東京が舞台だが設定を改変して前四作同様、函館で撮影。
 
主演には「寝ても覚めても」「ブルー/blue」の東出昌大をオファー。原作設定にはない妻役は「僕の好きな女の子」「みをつくし料理帖」「先生、私の隣に座っていただけませんか?」「マイダディ」「君は永遠にそいつらより若い」など進捗著しい奈緒。監督は1986年プロデビュー「はいかぶり姫物語」以来キャリアを重ねてきた斎藤久志…初見です。
 
 
あらすじ
舞台挨拶で監督は
「アラビアのローレンス」のこのシーン…地平線に小さく蜃気楼に見える人物がだんだんと近づいてくる…を引き合いに出して
 
👆 「アラビアのローレンス」 1962年公開より。アカデミー賞7部門受賞の古典的名作
 
「見ただけで涙が流れるような」説明的ではない「映像を撮った」、と言っていた。

 

 

その斎藤監督の言葉を聞いて「ひょっとしたら解説がないと分からない難解作品かも???」 と少し身構えて観た。考えず感じるままスクリーンを眺めることにして、それで伝わらないなら作品が悪い…くらいに気楽に観た。結果、二か所で大きく感情が揺れたシーンがあった。

 

 

一つ目は主人公が何度目だったかジョギングしているシーン。

家を出た主人公が広場みたいなところを抜けて走っていく。何気なく背景にサイドストーリーに出てくる高校生たちが映り込む…。ただそれだけ。

 

 

とても個人的な体験(ジョギングをしていたが今は踵を痛めて走れない)がバックボーンにあるから何となく走るのを止められない感覚は分かる。でも自分が泣くほどのことでもない。感動...というより涙が出たのでわけわからずびっくりしたに近い。その意味では難解。ただし難解なのは自分の心のうちだけども。

 

このシーンで映り込んできた高校生たち(左上)が 「何の説明もなく、クローズアップされることもない」 意外性の面白さ。あるいは分かりにくさ、でも何かを感じる面白さ。いつもだったら「主人公と高校生の間にある草の響きは走るリズムで・・・」とか「どこに行きつくでもなく走り、そしてスタート位置に戻ってくるランニングの環状移動から抜け出ることのない類のしあわせ・・・」とか愚にもならない解釈をしちゃいガチなんだけども封印。

 

 

二つ目は主人公と妻が話をするシーン。

大きくアップになった妻役の奈緒。経緯は略するとしていろんな感情が行き交い彼女の顔は「戦場化」*1していた。

あきらめ、かなしみ、安堵、よろこび、心配、悔い、同情。どんな感情なのか分からない。たぶん、日本語化されていない感情が行き交っていた。ソレを感じたり想像したり。観客は彼女の心に寄り添うことしかできない・・・。こういう言語化できない(する必要もない)シーンを観ると、小説を映画化する意味を実感してしまう。彼女はやっと「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇(削除)」と口にする。今年観た映画の中で五本の指に入る印象的なシーンだ。

監督は舞台あいさつで「いま同時進行して封切りされている彼女が出演する映画、、、全部観たわけではないですけど、、、その中でいちばんいい。」と言っていたがその通りと思う。

 

*1 顔の戦場化: 一つの顔の上に好悪や愛憎など複数の感情が交錯した状態を示す塩田明彦監督の造語。「映画術 その演出はなぜ心をつかむのか」同氏著、より。