サムエル記上30章9~15節
〔新共同訳〕
【アマレク人に対するダビデの出撃】(2)
9ダビデと彼に従う兵六百人は出立した。
ベソル川に着くと、そこで落伍者が出た。
10ダビデと四百人の兵は追跡を続けたが、二百人は疲れすぎていてベソル川を渡れなかったので、そこにとどまった。
11兵士たちは野原で一人のエジプト人を見つけ、ダビデのもとに連れて来た。パンを与えて食べさせ、水を飲ませ、 12更に干しいちじく一かたまりと干しぶどう二房を与えて食べさせると元気を取り戻した。彼は、三日三晩、飲まず食わずでいたからである。
13ダビデが彼に、「お前は誰の配下の者で、どこから来たのか」と問うと、「わたしはエジプトからの従者で、アマレク人の奴隷になっていました。三日前に病にかかり、主人に捨てられました。
14クレタ人のネゲブ、ユダに属するネゲブ、カレブのネゲブに侵入し、ツィクラグに火をかけたのは我々です。」
15ダビデは尋ねた。
「お前はその略奪隊のもとへわたしを案内できるか。」
「あなたが、わたしを殺さない、主人に引き渡さないと神にかけて誓ってくだされば、あの略奪隊のところに御案内します。」
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(聖句雑感)
※新聖書辞典1223p※
<ベソル川>
この川は、ツィケラグの西南にある川の中で最大のものである。デビル付近に源を発し、南下してベエル・シェバのあたりから西へ流れ、大きく迂回してガザの南で地中海に注いでいるワディ・ガッゼのことであろうと考えられている。
ダビデの追撃隊は600人。
落伍者が出て400人。
さらに、ベソル川に至り200人が力尽きる。
それが幸いしたのか、
ベソル川にとどまっているときに、
アマレクの奴隷だったエジプト人と遭遇する。
そのエジプト人はアマレクの略奪隊の居所へとダビデ軍を案内することになる。
これもまた不思議な出会いです。
神さまにあっては、「偶然」は「必然」。
神さまの働きを見る目を持てるなら
ありふれた日常が驚きと感動に満ちてくるようにも思います。
純粋な「信仰」の目と心で生きる毎日は日々新鮮なはず。
そんなこと思いました。
神さまの「助け」に敏感の反応したいものだな、と思いました。
主人に捨てられた「エジプト人」。
三日三晩食べずにさ迷っていた。
多分、ダビデ軍にあわなければ
旅の途中で命を落としていたかもしれませんネ。
「ネゲブ」といえば、砂漠?荒野?に近いところではない?
知らずして神さまに用いられていく人がいる。
その人の不幸も幸いに転ずる。
神さまに御心をとめてもらえる人の幸い。
そんなこと思いました。
ハレルヤ
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解説を見てみました。
■新実用聖書注解465p
人の事どころではないと思わされる状況の中で、ダビデの部下たちは、死にかけていた1人のエジプト人を助け、十分な食糧を与えて彼の生命力を回復させた(11-12)。ダビデの感化を受けていた故の愛のわざであったと思われる。これが幸いして、彼らはこの男から大切な情報を聞き出すことが出来た。
病気になったこの男を情け容赦なく置き去りにしたアマレク人こそ、ツィケラグを焼き払い、ネゲブにある他の町々を略奪した張本人であることがわかり、その上この男は、彼らのもとへの道案内を約束してくれたのである(13-15)。
■BIBLEnavi270p
ダビデと部下たちはこの若者を親切に扱ったので、彼はその厚意に応えて彼らを敵のもとへと導いた。
出会う相手が重要な人でないように見えても、敬意と尊厳をもって取り扱おう。
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■clay解説全文
略奪隊の追撃
追撃の二段階
ダビデはアマレク人の略奪隊を追撃します。この追撃は二段階で行なわれています。
(1)最初は、600人の部下全員がダビデとともに追撃を始めています。
(2)しかし、ベソル川まで来たとき、それまでの連続強行軍に疲れ果てた200人は、それ以上ついて行くことができませんでした。そこでダビデは彼らをそこに残して、元気な者たちだけを率いて追撃を続けます。
ダビデは部下の弱さを思いやることのできる人でした。
それと同じように、ダビデの子である主イエスもまた、私たちの弱さを思いやってくださいます。
今あなたは、弱さを覚えていますか。
それなら、使徒パウロのこのことばを思い出しましょう。
「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント12:9)。
エジプト人の奴隷
追撃途中で、ダビデとその部下たちは、死にかけていたひとりのエジプト人を見つけます。このエジプト人は、アマレク人の奴隷でしたが、病気になったためにそこに置き去りにされていたのです。アマレク人たちは、多くの捕虜を手に入れていましたので、奴隷の価値が下がっていたのでしょう。
ダビデは彼に十分な食糧を与え、そのいのちを助けました。幸いなことに、ダビデはこの奴隷から、アマレク人がツィケラグを焼き払い、ネゲブにある他の町々を略奪したことを聞くことができました。また、この奴隷を道案内に立てて、アマレク人を追撃することができるようになりました。
興味深いことに、神の下さる機会は予期せぬ姿を取ってやって来ることが多いのです。
この場合は、瀕死の奴隷の姿を取ってやって来ました。
その機会を捉える秘訣は、愛です。
この奴隷に愛を示したことで、ダビデは重要な情報を手に入れることができました。
あなたの前に、神の機会が訪れていませんか。それを見のがさないように、心がけましょう。
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きょうの祈り
天の父よ。きょうの愛の原則によって、あなたの機会を捉えることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
列王記第一15~16、使徒の働き20
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2024年6月26日(水)☀31℃
今日は所要で北部に行ってきました。
久しぶりに高速道に乗り、
快晴の中ドライブです。
ダムの水は木々に迫るほどに
たっぷりでした。
海の色も綺麗でした。
旧街道はそこなわれても
新しく便利な道路の快適さもまた
それはそれで これからの人々には
思い出の道にもなっていくのだろう。
夏空のもと、
東シナ海を眺めて走るのは気持ちのいいものです。
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今回の箇所では、
出会う相手が重要な人でないように見えても、
敬意と尊厳をもって取り扱おう。
とのお勧めがありました。
ややもすると
ほんとうに
「他者」を軽んじがちになります。
「機会」の訪れを見過ごしがちになります。
それをキャッチするのは
「愛」の力だと教えてくださっています。
「神の機会」の訪れ、
どのように識別すればいいのでしょう。
わからないときはどうすればいいのでしょう。
そんなこと思いました。
ハレルヤ
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝せよ。
主イエスの御名によって感謝せん。
アーメン