サム上30章③16~20【アマレク人を撃つダビデ】…「ピンチがチャンスに変えられた神の逆転劇」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上30章16~20節

〔新共同訳〕

アマレク人に対するダビデの出撃】(3)

16彼はダビデを案内して行った。

見ると彼らはその辺り一面に広がり、ペリシテの地とユダの地から奪った戦利品がおびただしかったので、飲んだり食べたり、お祭り騒ぎをしていた。 

 

17夕暮れになるとダビデは攻撃をかけ、翌日の夕方まで続けた。らくだに乗って逃げた四百人の若者を除いて、逃れた者は一人もなかった。 

 

18ダビデはアマレク人が奪って行ったものをすべて取り戻し、二人の妻も救い出した。 

 

19年若い者も年寄りも、息子も娘も、戦利品として奪われたものもすべて、ダビデは残らず取り返した。 

 

20更に、ダビデは羊と牛をことごとく奪った。一行はこの家畜の群れを引いて行きながら、言った。「これはダビデの戦利品だ。」

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(聖句雑感)

 

「ダビデは残らず取返した」

「牛と馬をことごとく奪った」

「ダビデの戦利品」

 

【主】が味方であることの幸い。

 

飲んだり食べたりのお祭り騒ぎ。

アマレク人としては

最高潮に楽しんでいるとき。

 

人生も「最高潮」に達して

油断していると

ふいに何かしらの落とし穴に

陥るのかもしれないなぁ、と思わされます。

 

”すべてのことには時がある”と

聖書は教えます。

 

神さまが「保証」してくださる”とき”。

楽しむときはひとしきり楽しみ、

泣く時は泣き、

悲しむべき時は悲しみ、

よろこぶべき時はよろこび、

戦うべきときは戦う。

 

神さまの「保証」があってこそ

私(たち)は思う存分に

「とき」を楽しめるのだろうな、

そんなこと思いました。

ハレルヤ

 

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解説を見てみました。

 

新実用聖書注解406p

行ってみると、アマレク人は戦勝に酔い、大量の分捕り物に気をよくし、《お祭り騒ぎをしていた》(16)油断し切っていたアマレク人を、ダビデとその部下は一気に攻め、容易に勝利を勝ち取った(17)。彼らはらくだで逃げた4百人の若者以外全滅した。こうしてダビデは、2人の妻を初め、部下の全家族、全財産を奪い返すことが出来たばかりでなく、新たに多くの戦利品を獲得することが出来た(18-20)

 

罪を赦して余りある神の恵みにあずかったのである。

牧師の書斎

リンク☞窮地の中で「主の御名によって奮い立った」ダビデ - 牧師の書斎 (meigata-bokushin.secret.jp)

2. ピンチをチャンスに逆転させたダビデ

(1) 窮地に立たせられたダビデ

  • ところが、ツィグラグに帰ってみると、思わぬ事態が起こっていました。それは自分も部下たちも大切にしている家族や財産がすべて奪われ、町も火で焼かれた後でした。すべてを喪失してしまったダビデとその部下たち。あまりのショックに信仰の霊は吹き飛んでしまいました。今までのすべての苦労が一瞬にして崩壊した出来事でしたこのストレスにさらされた人はどんな反応を示すでしょうか
  • ダビデの場合は「非常に悩んだ」とあります(30:6)。それは部下たちを悩ませた責任だけでなく、部下たちが自分を石で撃ち殺そうと言い出したことを聞いたからです。これまで培ってきたリーダーシップとフォロアーシップ、部下たちからの厚い信頼、将来の夢と希望が消え失せて、心が怒りがダビデに向けられたからです

(2) 主の御名によって「奮い立った」ダビデ

  • 悩んだ」と訳された原語は「ツァーラル」(צָרַר)です。詩篇23:5の「敵の前に」ある状況です。あるいは、病気を引き起こす苦しみです(Ⅱサム13:2)。うつになってもおかしくないそんな窮地の中で、ダビデは自分の神、「主によって奮い立った」のです。ここで「奮い立つ」と訳された原語は「ハーザク」(חָזַק)の強意形ヒットパエル態です。「ハーザク」」(חָזַק)の基本的な意味は「勝つ、勝利を得る、優勢になる、強くある」ですが、これが強意形のピエル態では「力づける、励ます」という意味になります。例としては、23章16節に、ヨナタンがダビデのところに来て、神の御名によって「力づけた」とあります。ここでダビデが自ら自分を励まし、力づけるという意味で「奮い立った」(encouraged himself)と訳されています。
  • 自分自身を主の御名によって「奮い立たせる」ことのできたダビデ私たちも窮地に立たされたとき、主の御名によって、あるいは主のみことばによって「奮い立たせる」ことができるならば、心の病気になることはありません堅く立ち上がることができるのです弱った自分の心をスイッチ・オンできるそんな精神的、霊的な力を普段から培っておく必要を思わせられます
  • ダビデは、敵の略奪隊を追うべきか、また追いつくことができるかどうか、「主に伺い」ました。そして、主は「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる」との答えをもらいました。とえいえ、この時点では略奪隊がどの方向に逃げたのかは全く分かっていません。しかしダビデには確信が与えられたのです。追い詰められた危機の中で、ダビデは再度神を仰ぎましたそこからピンチをチャンスに変える思いがけない、予想もしなかったことへと導かれていくのです。これも神の配剤だったと言えると思います。
     

3. 主人から見放されて置き去りされたひとりの人との出会い

  • 救出劇の要に、神が備えたとしか言いようのない一人の人との出会いがありました。追撃を続けるダビデとその一行は、ひとりのエジプト人を野原で見つけます。三日三晩もパンも食べず、水も飲んでいなかったこの人は、アマレクの奴隷でしたが、病気になったために、主に見捨てられ置き去りにされてしまったのでした。この人がダビデたちを略奪隊のもとに案内したのです。
  • この人との出会いによって、ダビデたちは失ったすべてのものを奪い返しただけでなく、多くの分捕り物をも得たのです
     

おわりに

  • 失ったと思われた大切な家族や財産がなにひとつ失われなかったということも驚くべきことですが、それに加えて、敵から得た分捕り物を、参戦した者たちだけでなく、残っていた仲間にももれなく平等にそれを配分したことでダビデの指導者としての信頼はより強くなったことも神の配剤でした。こうした知恵によって、サウル王国の崩壊後、新しいダビデの時代の整えが着々となされていったのです。ダビデに対する信頼は回復され、以前にも増して強固にされたのです。これこそ、ピンチがチャンスに変えられた神の逆転劇でした。
  • 私たちもダビデと同様に、神によって選ばれた存在神に「愛される者」なのですこのアイデンティティがしっかりと建て上げられていくことを求めたいと思います
  • 神に「愛される者」としてのダビデを知らずして、トーヴな神を知ることはできないのです

2012.7.7

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clay解説全文

奇襲の成功

アマレク人のお祭り騒ぎ

エジプト人の案内で進んで行くと、お祭り騒ぎをしているアマレク人の宿営に到着しました。

 

(1)彼らはその地いっぱいに散って飲み食いし、お祭り騒ぎをしていました。その理由は、ペリシテ人の地やユダの地から、非常に多くの分捕り物を奪っていたからです。

 

(2)彼らには何の恐れもありませんでした。彼らは安心しきっていました。また、自らの力を誇り、分捕り物が豊かにあるのを喜んでいました滅びが近づいているのに、それに気づいていない姿は実に哀れです

 

(3)お祭り騒ぎをするアマレク人の姿は、滅びつつある罪人の姿そのものです

 

主イエスはこう語っておられます。「人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様ですノアが箱舟に入るその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました」(ルカ17:26~27)。

大勝利

ダビデの軍勢は、油断しきっていたアマレク人を一気に攻め、大勝利を手に入れました。

 

(1)その戦いは非常に激しいもので、丸1日戦闘が続いたようです。

 

(2)アマレク人の中で逃げることができたのは、らくだに乗った400人だけでした。ダビデの軍勢もまた400人でしたので、アマレク人の軍勢のほうが圧倒的に多かったことがわかります。

 

(3)勝利を手にしたダビデは、ふたりの妻を始めとして、部下の全家族、また全財産を奪い返すことができました。

 

(4)そればかりか、ダビデは奪われた以上のものを、戦利品として獲得することができたのです。部下たちは羊や牛の前を歩きながら、「これはダビデの分捕り物」と叫びました。


ダビデは不信仰のために困難をその身に招きました

 

しかし信仰に立ち返ったとき、彼は身にあまるほどの祝福を主から受けることができました

 

主は今も、真実に主に立ち返る者を受け入れ、祝福してくださいます

 

悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ主に帰れそうすれば、主はあわれんでくださる私たちの神に帰れ豊かに赦してくださるから」(イザヤ書55:7)とあるとおりです。

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きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたのあわれみと、赦しとを感謝します今あなたに信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

列王記第一17~18、使徒の働き21

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2024年6月27日(木)☀30℃

 

TV報道でみる”晩餐式”の模様。

キラキラして華やかな世界です。

私の知らない世界です。

 

”人”は ある意味 決して

”平等”ではないな、と

感じてしまいました。

 

”環境””血統””能力”は選べずして

この世に生まれて来る?

 

されど、

どんな”人”にも 等しい”存在”がある。

わたし(たち)の知る”唯一の神”。

聖書に顕されたる”神”。

 

”人”は、この真実なる”神”にあって

等しく在ることができる、のだな。

 

そんなこと思いました。

 

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今回のお勧めで

とても印象的だったことば。

「主の御名によって、あるいは主のみことばによって「奮い立たせる」ことができるならば、心の病気になることはありません。堅く立ち上がることができるのです。弱った自分の心をスイッチ・オンできるそんな精神的、霊的な力を普段から培っておく必要を思わせられます。」

 

私たちもダビデと同様に、神によって選ばれた存在、神に「愛される者」なのですこのアイデンティティがしっかりと建て上げられていくことを求めたいと思います

「アイデンティティ」

 

私たちの「アイデンティティ」。

神によって『選ばれた存在」、

神に「愛される者」。

 

このアイデンティティをしっかりと

建て上げていく、それが 信仰者の人生。

信仰者の生活、信仰者の日常。

 

ハレルヤ

尊き主イエスの御名によって

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

アーメン