サムエル記上25章32~38節
〔新共同訳〕
【サムエルの死】(5)
32ダビデはアビガイルに答えた。
「イスラエルの神、主はたたえられよ。
主は、今日、あなたをわたしに遣わされた。
33あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。わたしが流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた。
34イスラエルの神、主は生きておられる。
主は、わたしを引き止め、あなたを災いから守られた。
あなたが急いでわたしに会いに来ていなければ、明日の朝の光が射すころには、ナバルに一人の男も残されていなかっただろう。」
35ダビデは、彼女の携えて来た贈り物を受け、彼女に言った。「平和に帰りなさい。あなたの言葉を確かに聞き入れ、願いを尊重しよう。」
36アビガイルがナバルのもとへ帰ってみると、ナバルは家で王の宴会にも似た宴会の最中であった。
ナバルは上機嫌で、かなり酔っていたので、翌朝、日が昇るまで、彼女は事の大小を問わず何も話さなかった。
37翌朝、ナバルの酔いがさめると、彼の妻は成り行きを話して聞かせた。ナバルは意識を無くして石のようになった。
38十日ほどの後、主はナバルを打たれ、彼は死んだ。
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(聖句雑感)
「自分の手で復讐することを止めてくれた」
ダビデさんの「悟り」は早い。
アビガイルを「主が遣わした」と言い、
「流血の罪を犯すことを引き止めた」と報復をやめた。
アビガイルに対して
「あなたが急いで私に会いに来ていなければ」と彼女の願いと進言を聞き入れる。
一方、ナバルさんは、アビガイルの必死の行動も知らず、飲み食いを楽しんでいる。それは「王の宴会」のごとし。されど、妻から事の次第をつまびらかに知らされると、彼は卒倒してしまう。
彼は「ダビデ」さんを甘くみていたのですね。なせ、そこまでして彼を軽んじてしまったのでしょう?良きにつけ悪しきにつけ「ダビデ」の噂を耳にしていたはずなのに?
妻アビガイルの機転がなければ、彼と彼従者の男性たちは皆その日の朝を迎えることはなかったのだ。大宴会の最中にダビデ軍団に踏み込まれ荒らされて命すら取られていたのだろう。
ナバルはなぜ「ショック」で倒れてしまったのか。
彼は小心者でありながら、「富」にあぐらをかいて他者を侮り、味方と敵の区別すらつかなかったのかもしれません。それとも相当なケチだったのか。アビガイルの告白で一気に「恐怖」が全身を襲ったのかもしれません。
「自分は大丈夫」、すべては「人ごと」、「災い」とは自分は無縁、と、恵まれた人は、案外日頃からそういう思いがあるかもしれません。自分が他者から害されることも、自分が「災い」にあうことも想像できないのかもしれません。
本意ではなくても、義理でも
ナバルさんがダビデさんの要求に答えていればとも思います。
実際、彼の財産を守ってくれていたのはダビデ軍団ですから、この事実を深く認識すべきでした。
結局、ナバルさんは、「主」に打たれた、のですね。
「復讐するは我にあり」
「主に従う人」に「主から愛されている者」に、敵対するものではないなぁ、と少しこちらも恐くなる気がして、複雑な思いとなりました。
また、アビガイルさんのように、
「正しい」と思えること、「今しなければいけない」と思ったことがあるならば、即、行動に出せる勇気を持つこと、行動することも教えられました。
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解説を見てみました。
■新実用聖書注解461p
怒りに目がくらみ、何も見えなくなっていたダビデは、アビガイルの言葉を聞いて、我に返る。そして、彼女の背後に、慈しみ深くも自分に流血と復讐とを止めさせられた主の御手を覚え、主を賛美する(32)。そして、彼女の洞察と即座の行動とをほめる(33-34)。それらがなければ、ナバル一族は明け方までに全滅していたことであろう(34)。ダビデは贈り物を受け取り、アビガイルの願いを聞き入れ、彼女を安らかに送り返す(35)。
アビガイルが家に帰ってみると、ナバルは豪華な宴を張り、相当酔いが回っていたので、彼女はその日何も報告せずに終わった(36)。次の朝、アビガイルの詳しい話を聞いたナバルは非常なショックを覚え、心臓発作を起こしたのか気を失って倒れ、10日の後死亡した(37-38)。その背後には、主の御手が働いていた(38)。こうしてダビデは、主のあわれみにより、自分で復讐することなく、神の怒りがナバルに臨む事実を知ったのである(参照ロマ12:19)。
■BIBLEnavi268p
人と難しい問題について話し合うとき、特に相手が家族の場合は、タイミングがすべてに勝って重要である。
相手と向かい合って扱いにくい話題を持ち出すとき、一番良い時がわかるように神に知恵を求めよう。
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■clay解説全文
ダビデの悔い改め
主をほめたたえるダビデ
怒りのあまり霊の目が閉ざされていたダビデは、アビガイルのとりなしの言葉を聞いて、自分を取り戻します。彼はイスラエルの神、主をほめたたえています。
(1)アビガイルを自分に会わせるために送ってくださったのは、イスラエルの神です。
(2)ダビデはアビガイルの判断をほめたたえています。彼女の言葉によって、ダビデは血を流すという罪、復讐するという罪からまぬがれたからです。
(3)通常ダビデは、戦いに出る前には必ず祭司を呼んで、ウリムとトンミムによって主のみこころを確かめていました。しかし、ナバルを攻撃するという決定は、主に聞くことなしになされたものです。その罪を、ダビデは告白しました。
(4)さらにダビデは、アビガイルが持って来た贈り物を受け取り、彼女の願いをすべて聞きとどけました。
忠告してくれる人の言葉に耳を傾ける人は、知恵ある人です。
そして、忠告してくれる人に感謝することができるなら、それはさらにすばらしいことです。
あなたは、忠告してくれる人の中に神の摂理の御手を見ていますか。
神の裁き
アビガイルが家に帰ってみると、ナバルは王のような宴会を開いていました。相当酔いが回っていたので、彼女はその日は夫に何も報告せずに終わりました。
(1)愚か者は、危険が近づいているときでもそれに気づいていません。そこに、彼の愚かさがあります。
(2)愚か者は、富を浪費することは知っていても、それを有意義に用いる方法は知らないのです。まさにナバルがそれです。
(3)次の朝、アビガイルから詳しい話を聞いて、ナバルは非常なショックを覚え、気を失って倒れました。それから10日後に、彼は死にました。
(4)これは単なる病死ではありません。聖書は、その背後に主の御手があったことを告げています。「主がナバルを打たれたので、彼は死んだ」。
ダビデが復讐を思いとどまったとき、主の出番がやって来ました。
自分で復讐することなく、裁きを神にゆだねる人は幸いです。
この原則は、今も変わりません。
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きょうの祈り
全知全能の神よ。どうか忠告してくれる人の中に、あなたの摂理の御手を見ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
サムエル記第二11~12、使徒の働き10
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2024年6月8日(土)☁&☀&☂?26℃
早朝には曇っていた空も
今は カンカン照りです。
午後からはまた雨だそうで、
今日はアレコレと気分屋の空模様。
部屋の家具の配置やら、
普段は開けないレースカーテンを開けたり、
小鉢を外に出したりしていたら、
猫ちゃんの戸惑う姿の可愛らしさに
ついつい時を忘れます。(^.^)
気分屋の私によくついてきてくれる、
猫ちゃんです。
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今日のclayさんのお勧め。
「愚か者は危険が近づいているときでも気づかない」
「愚か者は富を浪費することは知っていても有意義に用いる方法を知らない」
とは、耳が痛いお話しです。
また、
「忠告してくれる人の言葉に耳を傾ける人は知恵ある人」
「忠告してくれる人に感謝出来る人は幸い」
「忠告してくれる人の中に神の摂理の御手を見ていますか」
とは、これも耳の痛いお話し。
とくに身近な者からの「言葉」は
ついつい軽んじてしまいがちになります。
身近でなくても、親切な人の言葉すら簡単に聞き流してしまう。
自分の考えに凝り固まった妙な頑固さはある意味、高慢の裏返しかもしれません。これって「愚か者」と同じですネ。
謙虚な心を身につけたいものです。
「他者」を軽んじてしまう。
それは、人の言うことに耳を貸さなくなる一つの原因なのだろう。「他者」を軽んじない心を求めていけますように。
ハレルヤ
尊き主イエスの御名により
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
アーメン