サムエル記上25章23~31節
〔新共同訳〕
【サムエルの死】(4)
23アビガイルはダビデを見ると、急いでろばを降り、ダビデの前の地にひれ伏し礼をした。
24彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。
「御主人様、わたしが悪うございました。お耳をお貸しください。はしための言葉をお聞きください。
25御主人様が、あのならず者ナバルのことなど気になさいませんように。名前のとおりの人間、ナバルという名のとおりの愚か者でございます。はしためは、お遣わしになった使者の方々にお会いしてはいないのです。
26主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です。あなたに対して災難を望む者、あなたの敵はナバルのようになりましょう。
27ここにある物は、はしためが持参した贈り物でございます。お足もとに仕える従者にお取らせくださいますように。
28どうかはしための失礼をお許しください。主は必ずあなたのために確固とした家を興してくださいます。あなたは主の戦いをたたかわれる方で、生涯、悪いことがあなたを襲うことはございませんから。
29人が逆らって立ち、お命をねらって追い迫って来ても、お命はあなたの神、主によって命の袋に納められ、敵の命こそ主によって石投げ紐に仕掛けられ、投げ飛ばされることでございましょう。
30また、主が約束なさった幸いをすべて成就し、あなたをイスラエルの指導者としてお立てになるとき、 31いわれもなく血を流したり、御自分の手で復讐なさったことなどが、つまずきや、お心の責めとなりませんように。
主があなたをお恵みになるときには、はしためを思い出してください。」
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(聖句雑感)
圧巻の「とりなし」…。
アビガイルさんは何も悪くないのに、
ダビデさんの足もとにひれ伏し
自分が悪かったと詫びている。
「家」とそこに養われている多くの者のために、勇気ある行動を見せるアビガイルさん。言葉遣いの一つ一つもとても慎重です。
「主」から選ばれた者としてのダビデさんを引き立てる言葉は預言者のようです。「敵の命こそ石投げ紐に仕掛けられ、投げ飛ばされることでしょう」とかつてのダビデさんの勇姿を称えているかのようです。また、将来のダビデさんに対する警告めいたことも嫌味のない言い方で促しています。これらの言葉を、こんな緊張感の中でツラツラと出せるナビガイルさんという女性は、たいした方だと思いました。「ナバロ」さんにはもったいない人ですね。ナビガイルさんの存在があったからこそ「ナバロ」さんの「家」の繁栄が支えられていたのかもしれませんね。
そう思いました。
それにしても、ダビデさん。
「サウル王と同じような罪」をおかさずにすみそうですね。
このようにして主は、
愛する者を「罪」から守ってくださるのですね。
アビガイルさんの「とりなし」に「耳を傾ける」かどうかは、ダビデさん次第。主の器の度量が試されます。
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解461p
アビガイルは、ダビデの前にひれ伏して、夫の代わりに謝罪した(23-24)。「夫はよこしまな者ですから(→2:12注解)、彼のことは気になさらないで下さい」と彼女は嘆願した(25)。アビガイルは、そうとは知らず、夫の死を預言しているようである(26)。
彼女は贈り物を差し出したばかりでなく、やがてダビデは必ず王位に就き、復讐の戦いでなく主の戦いを戦う大切な存在なのだから、無用の流血や報復という、後に心のとがめとなって残るような行動に出ないようにと、理を尽くして願い求めた(27-31)。
■BIBLEnavi268p
ダビデがアビガイルを無視していたら、自らの手で復讐をしたことに罪悪感を感じただろう。
自分がどんなに正しいと思っていても、常に立ち止まって他者のことばに耳を傾けなければならない。
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■clay解説全文
アビガイルのとりなし
地にひれ伏すアビガイル
アビガイルは、ダビデの前にひれ伏してとりなしの言葉を語ります。実に感動的な言葉です。その要点を以下に記してみましょう。
(1)彼女はまず自らの罪を告白しています。ダビデが遣わした若者たちに気づかなかったのは、自分の罪だというのです。
(2)その上で彼女は、贈り物を贈って弁済をしようとしています。これは、ダビデとその部下たちがしてくれたことへのお礼です。
(3)さらに彼女は、自らの罪を赦してほしいと願っています。また夫のことに関しては、「夫はよこしまな者ですから、彼のことは気にかけないでください」と嘆願しています。
(4)彼女は、ダビデが主の戦いを戦っていることを認めています。
「主の戦い」とは、ペリシテ人を相手にした戦いのことです。
(5)その上で彼女は、ナバルとの戦いは到底「主の戦い」とは言えないことを強調しています。
もしナバルと戦うなら、それは単に復讐の戦いにすぎず、ダビデの名声を汚すことになります。
(6)アビガイルは、ダビデがイスラエルの王となることを確信しています。
「主は必ずご主人さまのために、長く続く家をお建てになるでしょう」というのがそれです。
(7)最後に彼女は、血塗られた手で王座に就くべきではないとダビデに進言しています。
これは、感情的になっていたダビデにとっては最善のアドバイスでした。
もしダビデがナバルの一家を攻撃していたとするなら、彼の人生には大きな汚点が残ったことでしょう。
主イエスのとりなし
アビガイルのとりなしの言葉には、深い感動を覚えます。なんと聡明で、行動力と説得力を持った女性でしょうか。
彼女はダビデに贈り物を捧げて、夫とその家のためにとりなしをしました。
私たちのためにとりなしをしてくださるのは、主イエスです。
主イエスは自らのいのちを捧げて、義なる天の父の御前でとりなしをしてくださいました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。
そのとりなしの祈りによって、私たちは罪赦され、神の子とされました。
そして主イエスは今も大祭司として、天の至聖所で私たちのためにとりなしをしていてくださいます。
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きょうの祈り
天の父よ。私たちに救い主イエスを与えてくださり、感謝します。きょうも主に信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
サムエル記第二9~10、使徒の働き9
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2024年6月7日(金)雨25℃
今朝もclayさんのお勧めに感謝でした。
一人の勇気ある女性が「家」全体を救う。
一人の賢い者の行動が皆を救う。
その影響ははかり知れないものなのだなと思いました。
アビガイルさんは、「ダビデ」さんを信じていたのでしょうネ。
心を尽くせばわかってくださる方だと信じていたのでしょうネ。
だからわが身をダビデさんの前に差し出す勇気を持てたのでしょうネ。ダビデに対して「王位に就く」方と告白までしました。この発言自体もそうとうに勇気のあるものだと思います。
「イエスさまのとりなし」
あらためて教えられました。
わたしたちもまた、
イエスさまの「とりなし」を
日々受けているのだな、と思い出させて頂きました。
ハレルヤ
主イエスの御名によって
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
アーメン