サムエル記上25章14~22節
〔新共同訳〕
【サムエルの死】(3)
14ナバルの従者の一人がナバルの妻アビガイルに報告した。
「ダビデは、御主人に祝福を述べようと荒れ野から使いをよこしたのに、御主人は彼らをののしりました。
15あの人たちは実に親切で、我々が野に出ていて彼らと共に移動したときも、我々を侮辱したりせず、何かが無くなったこともありません。 16彼らのもとにいて羊を飼っているときはいつも、彼らが昼も夜も我々の防壁の役をしてくれました。
17御主人にも、この家の者全体にも、災いがふりかかろうとしている今、あなたが何をなすべきか、しっかり考えてください。御主人はならず者で、だれも彼に話しかけることができません。」
18アビガイルは急いで、パンを二百、ぶどう酒の革袋を二つ、料理された羊五匹、炒り麦五セア、干しぶどう百房、干しいちじくの菓子を二百取り、何頭かのろばに積み、 19従者に命じた。
「案内しなさい。後をついて行きます。」
彼女は夫ナバルには何も言わなかった。
20アビガイルが、ろばに乗って山陰を進んで行くと、向こうからダビデとその兵が進んで来るのに出会った。
21ダビデはこう言ったばかりであった。
「荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならぬように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善意に悪意をもって報いた。
22明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように。」
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(聖句雑感)
「ナバルに属する男を一人」も残さずに
成敗しようとしたダビデさん。
これほどまでの荒業に出ようとしたのには、
聖書には細かくは描かれていないけれど、
ダビデ軍団は、ナバルの財産のために「頼まれもしない」?のに、かなり労していたのだろうな、とは伺えます。「荒れのであの男のものを守り、何一つ無くならぬように気を配った」とあります。「昼も夜も」ナバルの牧童や羊たちを防御した、とあります。
「彼は善意に悪意をもって報いた」とダビデさんは怒ります。
それでも、私的に思ったりしてしまいました。
「報復」をしてナバルのモノを奪うのも、結果的に「略奪」のようにも思えてしまいます。
そこまでしなければならないほど、
ダビデ軍団は日々の糧に窮していた?ということなのだろうか。
厳しい生活、ギリギリの日常だったのだろうか。
600人の毎日は、どれだけの糧を必要としただろうか。
そんなこと思いました。
幸い、「ならず者」の妻は賢かった。
ダビデさんたちの欲しているものをすぐに用意して、彼らのもとへと向かう。この状況を妻アビガイルに知らせた従者もまた賢く勇気のある人です。
支配する者が愚かでも、
その支配のもとには十分に賢い者も置かれている。
感謝なことだな、と思った。
たとえ立場の下の者のことばでも
聞く耳を持つ者の幸いをも思いました。
ハレルヤ
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解461p
愚かな主人には、主人を支える賢いしもべがいるものである。この時も、若者の1人が主人の妻アビガイルに実情を話し、ナバルに侮辱されたダビデとその部下たちがどんなに自分たちを陰となり日なたとなって守り続けてくれたかを告げた(14-16)。そして、アビガイルの即断を求めた。ナバルは余りに頑固で、誰も面と向かって口がきけないほどだったからである(17)。アビガイルの行動は素早かった。夫には内密に、様々な大量の職k量をろばに積み込み、自分も他のろばに乗り、急いで謝罪しようとダビデに会いに出かけた(18-19)。心中穏やかでないダビデは、憤懣と殺意に満ちてやって来たが、道の途中でこのアビガイルと出会った(20-22)。
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■clay解説全文
アビガイルの決断
若者の助言
ナバルの下には、賢い僕がいたようです。少なくとも、きょうの箇所に出てくるひとりの若者には知恵がありました。
(1)その若者は、ダビデとその部下たちが自分たちを守り続けてくれたことをナバルの妻アビガイルに報告しています。
(2)しかしそのダビデを、ナバルは侮辱したのです。このままでは、一家全員が滅ぼされてしまいます。
(3)次に若者は、驚くべき発言をしています。「ご主人はよこしまな者ですから、だれも話したがらないのです」。これは、僕が主人に関して言う言葉にしては、あまりにも大胆です。実際、ナバルとはそれほど愚かな男であったのです。また、この若者はアビガイルが自分の意見に同意してくれるという感触を持っていたのです。
アビガイルの行動
アビガイルは何が起こったかを瞬時に理解し、ただちに行動に移りました。しかも、夫のナバルには内緒で動いています。
彼女は6つの贈り物を用意しました。
(1)パン200個、
(2)ぶどう酒を皮袋に2つ、
(3)料理した羊5頭、
(4)炒り麦5セア(およそ38リットル)、
(5)干しぶどう100房、
(6)干しいちじく200個。
それから、それをろばの背に乗せて、若者たちに先を進ませました。
やがてダビデとアビガイルとが出会います。そのときのダビデの心情は、ナバルの家の者は幼児に至るまですべて抹殺してやろうというものでした。
ダビデのことを、欠点や失敗のない聖人のように捉えているなら、この箇所にはとまどうことでしょう。
本来ダビデは、忍耐心と寛容な心を持った器の大きな人物です。
しかしここでは、自分を侮辱するわずかばかりの言葉を聞いて、感情のコントロールが効かなくなるほどに激怒しています。
ナバルの一家を滅ぼそうと考えるのは、まさにサウルが祭司の町ノブを抹殺したのと同じことです(Ⅰサムエル記22:19)。
これは、明らかにダビデの罪です。
人間は、どんなにすばらしい人であっても、必ずなんらかの欠点があるものです。
実物大のダビデを見ましょう。
と同時に、ダビデの子として来られたイエス・キリストだけが、何の罪もない救い主であることを認めましょう。
私たちが信頼するのは、主イエスだけです。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。人間により頼む者は必ず失望します。私は主イエスにのみ信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
サムエル記第二7~8、使徒の働き8
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2024年6月6日(木)☁23℃
clayさんの解説に感謝です。
やはり、今回のダビデさんは「行き過ぎ」だったようですね。
アビガイルさんの機転がなければ、サウル王と同じような「罪」を犯すところだったのですね。
「牧師の書斎」さんが記していました。
「柔和」であるということは、相手に報復できる立場にたったとき、あえて「報復しない」ことであると、感情のセルフコントロール。今ダビデさんは「柔和」の訓練を受けているのだとありました。
「柔和」とはそういうことなのか、とイメージがはっきりとしました。感謝します。
つい、モーセの妻「チッポラ」を思い出しました。
主がモーセの命をとろうとしたとき、彼女のとっさの機転でモーセは助かりました。
賢い妻をもつ男性は幸いですね。
「賢さ」は人を救う。
ハレルヤ
尊き主イエスの御名を崇めて感謝します。
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
アーメン