サム上25章①1~8【ナバル】…祝された者には貧しい者を助け祝福する責務がある…神の国の原則 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上25章1~8節

〔新共同訳〕

サムエルの死】(1)

1サムエルが死んだので、全イスラエルは集まり、彼を悼み、ラマにある彼の家に葬った

 

ダビデは立ってパランの荒れ野に下った。

 

2一人の男マオンにいた。仕事場はカルメルにあり、非常に裕福で、羊三千匹、山羊千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛を刈っていた。 

 

3男の名はナバルで、妻の名はアビガイルと言った。妻は聡明で美しかったが、夫は頑固で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。 

 

4荒れ野にいたダビデは、ナバルが羊の毛を刈っていると聞き、 5十人の従者を送ることにして、彼らにこう言った。

 

「カルメルに上り、ナバルを訪ね、わたしの名によって安否を問い、 6次のように言うがよい。

 

『あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。 7羊の毛を刈っておられると聞きました。

 

あなたの牧童は我々のもとにいましたが、彼らを侮辱したことはありません。彼らがカルメルに滞在していた間、無くなったものは何もないはずです。 8あなたの従者に尋ねてくだされば、そう答えるでしょう。わたしの従者が御厚意にあずかれますように

 

この祝いの日に来たのですから、お手もとにあるものを僕たちと、あなたの子ダビデにお分けください。』」

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(聖句雑感)

この箇所から、また…

何をどう読み取ればいいのでしょう??

 

ただ、「サムエル」さんの「死」に対して、ダビデさんの描写が、ただ「パランの荒野」に立って行った、とだけです? ちょっと不思議な記述です。

 

サムエルさんの死を弔うにあたって、何か供え物などを準備しようと思ったのでしょうか?

 

ここで、かの「アビガイル」さんが登場します。

どうしてこの”聡明で美しい”「アビガイル」さんほどの方が、偏屈な「ナバル」さんの妻たりえたのか、不思議であります。

 

よくわからない箇所です。

早速、解説におたよりいたします。

 

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解説を見てみます。

 

新実用聖書注解461p

 この章の初めに、サムエルの死と埋葬について記されている。サムエルはダビデの霊的支えであったが、ついに世を去り、今後ダビデはサムエルの祈りと助言とを期待することが出来なくなった(1)

 

6百人の部下を毎日養わなければならないダビデの責任は重かった。マオンに家を持ち、数km北のカルメルに仕事場を持つ有力者ナバルが刈り取りの祝いをしていることを聞いたダビデは、直ちに10人の若者を使者として遣わし、これまでナバルの群れを守るために労した自分たちに祝儀をお願いできないかと申し入れた(2-8)

BIBLEnavi267-268p

 サウルは王であったが、国の霊的指導者はサムエルであった。幼少時から老年期まで、サムエルは常に主に聴き(3:10,9:14-14)従った(3:21,10:1,2)サムエルが亡くなった後、イスラエルはダビデが王になるときまでこのような霊的指導者なしに過ごすことになった

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clay解説全文

ナバルとアビガイル

サムエルの死

サムエルが死にました。彼の死は、イスラエル人に深い悲しみをもたらしました。サムエルが死んだことによって、イスラエルの歴史は士師の時代から王政に移行します


ダビデもまたサムエルの死をみ悲しみました。ダビデにとってサムエルは霊的な支えとなっていましたが、これ以降、ダビデはサムエルの祈りと助言とを期待することができなくなります。

 

放浪の地にあって600人の部下を日々養うという責任がダビデの肩に重くのしかかっていました

 

ちょうどそのようなとき、ダビデの耳にナバルという男の情報が入ってきます。

 

ナバル

(1)ナバルとは、「愚か者」という意味です。これは彼の本名ではなく、あとからつけられた「あだ名」だと思われます。

 

(2)ナバルは、マオンに家を持ち、数キロメートル北のカルメルに仕事場を持っていました。このカルメルはユダの地にあるカルメルで、ガリラヤのカルメルとは異なります

 

(3)ナバルは大金持ちで、羊3,000頭、やぎ1,000頭を所有していました。家畜の頭数でその人の富を表現するのが、当時の習慣です。

 

(4)彼にはアビガイルという妻がいました。彼女は聡明で、美人でした。しかしナバルは、頑迷で行状が悪かったのです。彼はカレブ人ですから、高潔な家系から出た人物です。しかし彼自身の人格は、高潔ではありませんでした
ナバルは、カルメルで羊の毛の刈り取りの祝いをしていました。

 

(1)祝いの時は、裕福な者が貧しい者たちに施しをする時期でもありましたダビデがナバルのもとに使者を遣わしているのは、そのためです

 

(2)ダビデは今までナバルの家畜を守ってきたという実績に基づいて、寄付をもらうことを期待しています

 

(3)10人の若者を遣わしているのは、ナバルに敬意を表するためですが、同時に、相当な寄付がもらえることを想定してのことです。


物質的か霊的かを問わず、祝された者には、貧しい者を助け祝福するという責務があります

 

これが、神の国の原則です

 

ましてや、お世話になった人が困っているなら、その人を助けるのは当然のことです

 

私たちも、ナバルのような貪欲な心から解放されるように祈りましょう

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きょうの祈り

全知全能の神よ。あなたは私を良きもので満たしてくださいましたどうか困難の中にある人たちを憐れむ心を私に与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

サムエル記第二3~4、箴言20

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2024年6月4日(火)☀27℃

 

「自分に出来る事をする」

このごろ、よく思わされることです。

物質的か霊的かを問わず、祝された者には、貧しい者を助け祝福するという責務がありますこれが、神の国の原則です

(アーメン)

よきお勧めを頂きました。

 

ダビデさんが、なぜ「ナバル」のもとに人をやったのか、解説を見てわかりました。600人という大所帯。群れのリーダ―は大変ですね。賢いリーダーに囲われた群れにいる者の幸いをも思いました。

 

ハレルヤ

尊き主イエスに御名によりて

常によろこび絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

アーメン