サム上24章③17~23【サウルの涙】…自らの罪を認めて涙しても真の悔い改めに至らない場合が多い | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上24章15~23節

〔新共同訳〕

エン・ゲディにおけるダビデとサウル】(3)

17ダビデがサウルに対するこれらの言葉を言い終えると、サウルは言った。

「わが子ダビデよ、これはお前の声か。」

 

サウルは声をあげて泣き、 

18ダビデに言った。

「お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した。 19お前はわたしに善意を尽くしていたことを今日示してくれた。主がわたしをお前の手に引き渡されたのに、お前はわたしを殺さなかった。 

 

20自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか。今日のお前のふるまいに対して、主がお前に恵みをもって報いてくださるだろう。 

 

21今わたしは悟ったお前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。 

 

22主によってわたしに誓ってくれわたしの後に来るわたしの子孫を断つことなく、わたしの名を父の家から消し去ることはない、と。」 

 

23ダビデはサウルに誓った。

 

サウルは自分の館に帰って行き、ダビデとその兵は要害に上って行った。

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(聖句雑感)

「分別」を感じさせるサウル王。

いたって、まとも…。

 

とても麗しい1シーンのように思える。

「自分の敵に出会い、その敵を無事に去らせる者があろうか」

ほんとそうですネ。

 

もし、その敵が「サウル王」でなかったなら、イスラエルの主の「油注がれた者」でなかったなら、ダビデさんもきっと目の前の敵をみすみす見逃すことはなかったのではなかろうか。

 

ダビデさんにとって、「サウル王」は「敵」と呼べる類のものではなかった。悩ましい存在です。

 

前の回で学んだように、

ただひたすらに「主の裁き」にゆだねるしか方法がない。

 

行き場のない「感情」に襲われても、

ダビデさんは、「主の道理」に従いぬくのですヨネ。

主を恐れる、とはこういうことかもしれません。

 

そんなこと思いました。

 

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解説を見てみました。

 

新実用聖書注解460p

 サウルも、悪霊の支配を受けていない時には、物の道理がよくわかり、心も柔らかであり、感動して涙を流す人であった(16)。彼は自分の非を悔い、ダビデの高潔さを褒め、王位は必ずダビデのものとして確立する、とまで言うのであった(17-20)。その際、周囲の国々で行われているように先王の家系を根絶やしにしないよう誓ってほしいと願い、ダビデはそれを受け入れた(21-22a)。彼はすでに、ヨナタンと誓いを取り交わしていたのである(20:14-15)

 

 しかし、悲しいことに、サウルが正気に戻り、心が柔らかになったのは一時的なことであった。ダビデもこれまでの痛い経験から、そのことをようわきまえていたので、サウルと行動を共にすることなく、《要害へ上って行った》(22b)

BIBLEnavi267p

 ダビデはサウルの家族や子孫に復讐しないという約束を守った。サウルの息子たちはほとんどが後に殺されたが、それはペリシテ人(31:2)やギブオン人(Ⅱサムエル21:1-14)の手によってであった。

 ダビデはサウルの息子ヨナタンの子孫に恵みを施すと約束し(20:14,15)、メフィボシェテを招いて自分の宮殿に住まわせたとき(Ⅱサムエル9章)にこの約束を成就した。

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clay解説全文

サウルの告白と願い

サウルの涙

ダビデの弁明を聞いて、サウルは感動のあまり声を上げて泣きました。

(1)サウルは、ダビデが正しいことと、そのダビデに自分は悪い仕打ちをしてきたことを認めました。

(2)さらにサウルは、ダビデが自分を殺さなかったのは、ダビデに悪意がない証拠であることも認めました。

(3)そして、善を行なったことの報いとして、主がダビデに幸いを与えられるようにと祈っています。

サウルの確信

次に、驚くべき言葉がサウルの口から出てきます。

(1)彼はついに、サムエルが預言していた次期イスラエルの王はダビデであることを認めました。

 

(2)さらにサウルは、ダビデが王になったときには、自分の子孫を滅ぼすことのないようにと懇願しています。中東では、王朝が交代した場合は、先の王朝の家系に属する者たちを抹殺することが一般的でした。それを知っていたので、サウルは自分の子孫が滅びないようにダビデに誓わせたのです。

 

(3)ダビデはそれを受け入れました。ダビデにとっては、それはすでにヨナタンと結んだ契約の内容そのものでした(Ⅰサムエル記20:14~15)。

ヨナタンは早くから、ダビデが次期イスラエルの王になることを知っていましたサウルはこの時点に来て、ようやくそれを悟ったのです

 

(4)サウルが正気に戻り、罪の告白をするほどに心が柔らかになったのは一時的なことでしたそれを知っていたダビデは、サウルと行動をともにすることなく、要害へ上って行きました

 

「要害」とは、エン・ゲディの荒野にある要害であるとする説と、マサダの要害であるとする説とがありますが、確実なことはわかりません。


サウルの告白は、いわゆる「罪の悔い改め」とは異なります自らの罪を認めて涙しても、真の悔い改めに至らない場合が多くありますこの箇所でのサウルが、その好例です

 

憎しみの心は一時的に眠りについたような状態になりますが、再び目覚めたときには、前よりもさらに激しく燃え上がります

 

パウロが、「割礼を受けているか受けていないか(外側の形式)は、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:15)と語っているとおりです

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きょうの祈り

天の父なる神さま。キリストにある者は、すべて新しく造られた者です私もその中に加えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

サムエル記第二1~2、詩篇37~38

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2024年6月4日(火)☀26℃

 

ほんと、気持ちのよいお天気です。

感謝。

 

本日の「to doリスト」、

とりあえず「✓」入れられました。

 

まだまだやるべきことは多いのだろうけれど、

ついつい一息つくってしまいます。

 

感謝して、コーヒー☕頂きます。

バウムクーヘンも頂きます😋。

 

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「悪霊の支配を受けていないとき」のサウル王。

道理がわかり、人の善意に涙する。

 

ショックなのは、

「自らの罪を認めて涙」してもなお

「真の悔い改め」に遠い人が多い、と。

 

これって、わかる気がする…。

 

「真の悔い改め」は人の「行動」を変える。

逆にもし「行動」や「思い」が変わっていないのなら、結果、本当の悔い改めには至っていないと判断できるのだろう。

 

「木」は「実」によって知られる。

よき「実」を結ぶ「木」でありたいものだな、とよくよく重さわれます。

 

ハレルヤ

尊き主イエスの御名により

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

アーメン