サム上15章4~9節
〔新共同訳〕
【アマレク人との戦い】(2)
4サウルは兵士を召集した。
テライムで兵士を数えると、歩兵が二十万、ユダの兵は一万であった。 5サウルはアマレクの町まで来ると、兵を川岸にとどめた。
6サウルはカイン人に言った。
「あなたたちはアマレク人のもとを立ち退き、避難してください。イスラエルの人々がエジプトから上って来たとき、親切にしてくださったあなたたちを、アマレク人の巻き添えにしたくありません。」
カイン人はアマレク人のもとを立ち退いた。
7サウルはハビラからエジプト国境のシュルに至る地域でアマレク人を討った。 8アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。
9しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした。
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(聖句雑感)
4節に「歩兵が二十万、ユダの兵は一万」とあります。
なぜ「ユダの兵」と強調するのかな?
「カイン人」?
新聖書辞典494pでは
「ケニ人」として紹介されています。
「鍛冶屋」という意味。
一般にパレスチナとシナイ半島に住む半遊牧の、少なくともある部族を指す名称と考えられている。アラム語、アラビヤ語などセム語系からすれば、その「鍛冶屋」という意味と、その地方には銅の産出などが古くから伝えられたりしていることと何らかの関係があるようである。(略)。
<カナン時代の言及>
モーセの義理の兄弟ホハブの子孫としても言及され(士4:11)、その子孫はカナン征服と定着時代にもイスラエルに協力的であった(士1:16)。そのような友好的関係はその後もあり(Ⅰサム15:6)、長く後日まで覚えられていたようである(Ⅰサム27:10)。
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※士師記1:16(新共同訳)
モーセのしゅうと、あのケニの人々は、ユダの人々と共になつめやしの町からユダの荒れ野、アラド近辺のネゲブに上って来て、そこの民と共に住んだ。
※士師記4:11
カイン人のヘベルがモーセのしゅうとホハブの人々、カインから離れて、ケデシュに近いエロン・ベツァアナニムの辺りに天幕を張っていた。
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なるほど、カイン(ケニ)人は、「ユダ」と関わりが深いようですネ。サウル王は、モーセやユダとゆかりの深い「カイン人」を避難させたのですね。
「ハビラ」から「シュル」。
アラビヤ西部イエメン北部地域?からシナイ地峡北西部の砂漠地帯?。
サウル王は、アマレクの民をことごとく滅ぼした。
しかし、その王アガグと上等な家畜は生け捕りにした。
主は言われた。
「イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、わたしは罰することにした。行け!アマレクを討ち、アマレクに関するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」
とても厳しいお言葉。
「わたしは罰することにした」と主は仰った。
「容赦してはならない」と主は仰った。
サウル王たちは、主の御心を完璧に行うことができたのに、
…やらかしてしまった…。
「上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず」
「値打ちのないものだけ滅ぼし尽くした」
主の御心を軽んじてしまった。
なぜだろう。
日本の「もったいない」という言葉。
「もったいない」と思う心。
それは、ある時は美徳であっても、
神のことばの前には美徳どころか
「背き」となってしまう時もある。
サウル王たちは
影を潜めていた神をおそれない心が
ここで顔を出してしまった?
私だって他人事ではありません。
気づかないうちに、
神をどのくらい軽んじてきただろうか
と思うと、ソラ恐ろしい気がします。
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解450p
サウルは、ジフの近くのテライムに(参照ヨシ15:24「テレム」)大軍勢を招集し(4)、アマレクの町に出陣した(5)。戦いの前に彼は、モーセと姻戚関係にあり、出エジプトの際にはイスラエルに助けの手を伸べてくれたケニ人に警告を与え、アマレク人から離れるよう指示した(6,民10:29-32,士1:16)。そして、激しい攻撃が始まり、サウルはアマレクを打ち、エジプトの東にまで至った(7-8)。
ところが、ここにサウルの不従順が再び表れ、彼はアマレク人の王アガグ及び上質の家畜を惜しんで聖絶せず、<ただ、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶した>(9)。半分だけの服従は結局は不服従である。
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※民数記10:29-32(新共同訳)
29モーセは、義兄に当たるミディアン人レウエルの子ホバブに言った。わたしたちは、主が与えると約束してくださった場所に旅立ちます。一緒に行きましょう。わたしたちはあなたを幸せにします。主がイスラエルの幸せを約束しておられます。30ホバブが、「いや、行くつもりはない。生まれ故郷に帰りたいと思う」と答えると、31モーセは言った、「どうか、わたしたちを見捨てないでください。あなたは、荒れ野のどこに天幕を張ればよいか、よくご存じです。わたしたちの目となってください。32一緒に来てくだされば、そして主がわたしたちに幸せをくださるなら、わたしたちは必ずあなたを幸せにします。」
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■BIBLEnavi258-259p
サウルと部下たちは、神が命じられたとおりにすべての略奪品を滅ぼし尽くすことをしなかった(15:3)。取り分ける、すなわち完全に滅ぼすことによってささげるという規定は、イスラエル人によく知られていた。神が聖絶と定められたものはすべて、完全に滅ぼし尽くさなければならなかった(申命20:16-18)。
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※申命記20:16-18(新共同訳)
16あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民に属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない。17ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼしつくさねばならない。18それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行わせ、、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。
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これは、貴重品の多くが偶像であったため、イスラエルが偶像礼拝に陥るのを防ぐために定められたおきてであった。このおきてに対する違反は、死によって罰せられた(ヨシュア7章)。それは神のご命令に直接違反することであったため、神に対する冒涜と軽視を示していた。
自分の所有物や物質的な利得を守るために罪を取り繕うなら、私たちは賢明なのではなく、神のおきてに逆らっているのである。自分が選んだ部分だけに従う行為は、別の形の不従順である。
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■clay解説全文
不従順の罪
ケニ人
きょうの箇所では、ケニ人がサウルから特別な扱いを受けています。これもまた、アブラハム契約の条項を前提に読まなければ理解できないことです。
アマレク人はイスラエルをのろったためにのろいに遭い、ケニ人はイスラエルを祝福したために祝福を受けるのです。
(1)サウルは、テライムに大軍勢を招集しました。歩兵が20万人、ユダの兵士が1万人です。ユダ部族の兵士を区別して数える習慣はすでに出来上がっていました。
(2)サウルはアマレクの町に出陣しましたが、すぐには攻めないで、戦いの前にケニ人に逃げるようにとの勧告を与えています。
(3)ケニ人は、モーセの義理の兄弟ホバブの子孫です(士師記4:11)。つまり、モーセとは姻戚関係にある民族です。
(4)彼らは、出エジプトの際にはイスラエルを助け、定住後もイスラエルに対しては友好的な姿勢を示しました(民数記10:29~32、士師記1:16)。そのため、サウルは彼らに善意を示したのです。これは、アブラハム契約の祝福の条項が成就したものです。
あなたは、ケニ人の生き方からどのような教訓を学びますか。
主はケニ人たちの善行を忘れないで、彼らを救い出そうとされました。
神に敵対する者たちの中に住むのは危険です。神の裁きに巻き込まれる恐れがあるからです。
きょう、「そこを去れ」との御声を聞いたなら、直ちに従おうではありませんか。
激しい攻撃
サウルはアマレクを打ち、エジプトの東にまで至ります。ここまでは主の命令に忠実に行動してきました。しかし、それから先が問題でした。
(1)サウルはアマレク人の王アガグを生け捕りにし、殺そうとはしませんでした。
(2)また、家畜に関しても、肥えた羊や牛の質の良いもの、子羊とすべての良いものを惜しみ、これらを聖絶せず、つまらない、値打ちのないものだけを聖絶しました。
中途半端な従順では、主に喜んでいただくことはできません。
サウルの問題の原因は、傲慢と不信仰にありました。
サウルは主の命令に従うふりをしながら、結局は、自分の思いを優先させたのです。
サウルの失敗から、あなたは何を学びますか。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたは約束を決して忘れることのないお方です。どうか、私をあなたの恵みによって扱ってください。あなたに敵対する者から離れることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
申命記33~34、ルカの福音書2
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2024年4月4日(木)☀&☁27℃
よく晴れた日の午前中、
姉のお誘いで
「タカラ」のショールームに行ってきました。
綺麗な女性のスタッフさん。
笑顔絶やさず根気よく接客する姿に感心しました。
近年では久しぶりの
感じの良い”若い方”に出会った感じです。
新品のお品に囲まれて
夢いっぱいなひとときでありました。
(^-^)
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さて、
今回の箇所は、
学ぶところ満載な気がしました。
半分の従順は不服従。
耳が痛いことでした。
自分の都合のよい部分だけ従う。
これは易し。されど、
「傲慢と不信」の種はいずれ
不服従を起こしてしまうのですネ。
「傲慢と不信仰」の根。
たえずその根があること忘れてはいけないなぁ
と思いました。
clayさんのお勧めも印象的でした。
「神に敵対する者たちの中に住むのは危険です
神の裁きに巻き込まれる恐れがあるからです。
きょう、「そこを去れ」との御声を聞いたなら、
直ちに従おうではありませんか。」
なるほどなぁ、そうかぁ、と思いました。
あまり考えることのない視点だと思いました。
「神に敵対する者たちの中に住むのは危険」!
そういうこともあるのですね。
ソドムに住んでいた「ロト」さんを思い出します。
結局、その町を必死で脱出しました。
とどまる時と離れる時と、
「そこを去れ」という「御声」を
どうすれば聞き分けることができるのだろう?
自分自身では忍耐の極みと思っていても
「神」はふみとどまれ、ということもあるのだろう。
(たいていの場合、私には踏みとどまれませんでした…)
「そこを去れ」という「御声」を聞けるとするなら、どんなに幸いだろう。誰かが結論を目の前にポンと出してくれるのなら、どんなに楽だろう。
それに、また、
どんな場所が
「神に敵対する者たちの中」なのだろう?
一人一人の人生で
一人一人が
「神さま」と「自分」との関わりの中で
学んでいくことなのでしょうか。
「信頼」と「確信」によって
動ける者となっていきたいものです。
ハレルヤ
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
尊き主イエス・キリストの御名によって
祈ります。アーメン
(^-^)