サム上14章⑥「常により高い成功や栄華を追い求めている者は、今を楽しむということを学ばない」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上14章47~52節

〔新共同訳〕

ヨナタンの英雄的な行動】(6)

47サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周りのすべての敵、モアブアンモン人エドムツォバの王たち、更にはペリシテ人と戦わねばならなかったが、向かうところどこでも勝利を収めた。 

 

48彼は力を振るい、アマレク人を討ち、略奪者の手からイスラエルを救い出した

 

49サウルの息子はヨナタンイシュビマルキ・シュア、サウルの娘の名は姉がメラブ、妹がミカルである。 

 

50サウルの妻の名はアヒノアムといい、アヒマアツの娘である。サウルの軍の司令官の名はアブネルで、これはサウルのおじネルの息子である。 

 

51サウルの父キシュアブネルの父ネルは、共にアビエルの息子である。

 

52サウルの一生を通して、ペリシテ人との激戦が続いた。サウルは勇敢な男、戦士を見れば、皆召し抱えた。

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(聖句雑感)

やっぱり、「サウル」は選ばれし者。

この時のイスラエルにとって

「英雄」だったのだな、と思いました。

 

ダビデ王もそうでしたが、

彼らの一生は「戦う」ことだったように思います。

 

「向かうところどこでも勝利を収めた」

 

「王」を頂いた民は心強かったことでしょう。

たしかに、「王」の無茶ぶりはあったにせよ。

 

それにしても、今も昔も

敵に囲まれ続けているイスラエル。

常に「憎しみ」に取り囲まれている。

永遠の父の慈しみなくば とうてい生きられない。

 

そんなこと思いました。

 

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解説を見てみました。

 

新実用聖書注解458p

この箇所には、サウルの在位期間の活躍家族の関係部下のことなどが記されている。彼が転戦した範囲は広く、北はダマスコの更に北方にあるツォバ、東はヨルダンを超えてアモン、モアブ、西はペリシテ、そして南はエドム及び遊牧の民アマレクであった。<懲らしめた>(47)という言葉は「打ち勝った」とも訳すことが出来る

 

サウルの息子たちは、ここに3人の名が挙がっているが、他のリストには、<イシュビ>の代わりに「アビナダブ」が挙げられ、更にもう1人「エシュバアル」(イシュ・ボシェテ,Ⅱサム2:8)の名が加えられている(参照Ⅰ歴8:33)

 

次に挙げられているのは、ダビデとかかわりのある2人の娘メラブとミカル、妻アヒノアム、そして従兄弟でもあり将軍でもあったアブネルの名である(49-51)

 

敵の中でも最大の敵はペリシテ人であった。

サウルは、戦いに備えて常に勇士を探して召し抱え、イスラエル軍を強固なものに築き上げていった(52)

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「牧師の書斎」さんの解説も見てみました。

☞リンク→サウルの王権失脚の発芽 - 牧師の書斎 (meigata-bokushin.secret.jp)

2. さらなる失脚の発芽(14章)

 

「あなたの王国は立たない」と宣告されたサウル。彼が王として選ばれたにもかかわらず、イスラエルの王としての資格の決定的欠陥の現われが14章においてさらに明らかにされていきます。

 

以下、サウルの失脚の要因をあげてみたいと思います。

 

(1) 神のみこころを伺うことにおけるお粗末さ

①14:3に「アヒヤが、エポデを持っていた。」とあります。それは神のみこころを伺うために立てられた祭司が着る服です。サウルの息子であるヨナタンとその道具持ちがペリシテ陣営を撹乱されて形勢を逆転させたことを知ったサウルは祭司のアヒヤに言います。

 14:18「エポデを持って来なさい」(原文では「神の箱」となっていますが、神の箱は当時、キルヤテ・エアリムにありました。ここはLXX訳によって「エポデ」と訳しています。ちなみに、新改訳の第二版では「エポデ」と訳されていますが、改定第三版では「神の箱」となっています。)

 

②ところが形勢がきわめて明白になったはっきりとしたと判断したとき、アヒヤに「もう手をしまいない」(14:19)と指示します。つまり、もう神の伺いを立てる必要がなくなったということを意味します。

 

③勝利の後に、サウルは初めて主のために祭壇を築きます。その後で、サウルは「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らをかすめ奪い、ひとりも残しておくまい」と言った時、民たちはそれに同意しますが、祭司のアヒヤは「ここで、われわれは神の前に出ましょう」と提言し、神の伺いを立てようとしますが、祭司のアヒヤが提言しなければ神のみこころを伺おうとしないところにサウルの欠陥を見ることができます

 

(2) 権威の誇示

ヨナタンは父が民に「敵に報復するまでは食べ物を口にしない」と誓わせた誓約を知らず、蜜を口にして活力を得ました。しかしその誓約を民から聞かされた時も、「父は民を悩ませている」と父の理不尽なやり方に疑問を抱いていました(14:24~30)。

 

②後にヨナタンが蜜を味わった事実を父サウルが知った時、「おまえは必ず死ななければならない」と言います。ところが民はサウル王に「このような大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはありません。主は生きておられます。‥・神が共におられたので、あの方(ヨナタン)は、きょう、これをなさったのです。」と嘆願し、ヨナタンを死から救いました。民たちもサウル王の権威を誇示しようとする理不尽な考え方に抗議したのですサウルのこの理不尽さは、妬みのゆえに、やがてダビデをどこまでも執拗に追いかけ回すという行為に現われてきます

2012.06.08

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clay解説全文

サウルの統治のまとめ

サウルの戦歴

きょうの箇所は、サウルの統治のまとめとなっています。

 

(1)サウルは王位を取ってから、周辺の敵との戦いを展開しています。北はダマスコの北方にあるツォバの諸王との戦い、東はヨルダンの向こうの地に住むアモン人、モアブ人との戦い、南は荒野に住むエドム人との戦い、そして、西は海岸平野にいたペリシテとの戦い。この中で完全に征服できなかったのは、ペリシテ人ですその理由は、サウル自らが愚かな判断を下したからです

 

(2)遊牧民であるアマレク人との戦いだけは、他の民族との戦いとは区別して書かれています。その理由は、次の15章になって明らかになります。アマレク人との戦いで、サウルは神から王位を奪われることになる決定的な失敗を犯してしまいます

サウルの人脈

(1)サウルの息子たち3人の名が挙がっています。ここにはありませんが、4人目はエシュバアル、またの名をイシュ・ボシェテと言います(Ⅱサムエル記2:8参照)。この4番目の息子が、サウルの後継者として残されます

(2)サウルの娘たちふたりの名が挙げられています。メラブとミカルで、ともにダビデと関係のある女性たちです。

(3)サウルの妻はアヒノアム、そして将軍となったのは従兄弟のアブネルです。

4)サウルは常に戦いに備え、勇士を捜しては召し抱えていましたダビデの兄たちもそのようにして召し抱えられた兵士たちです


王となってからのサウルは、戦いに明け暮れました。特に、ペリシテ人との間には激しい戦いがありました。いかに栄華を極めた者にも、いつか終わりがやって来ます

 

サウル自身は栄華を極めたとは到底言えないような状態で死を迎えます

 

神を第一としない者の人生は哀れです

 

常により高い成功や栄華を追い求めている者は、今を楽しむということを学ばないからです

 

それがサウルの人生でした

 

それに対して、

神とともに歩む者は、将来に希望を持っているだけでなく、今という時を楽しむことを知っています

 

あなたは、きょうという日を喜んで生きていますか

 

栄華を求めながらそれを手に入れることのできなかったサウルの人生から、何を学ぶことができると思いますか

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きょうの祈り

イスラエルの神よ。地上生涯は一時的であることを覚え、いつもあなたとともに歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

申命記29~30、箴言14

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2024年4月2日(火)☁24℃湿度71%

 

昨日とはうってかわったジメジメさ。

1日でこんなにお天気が変わる。

 

これからの時代、

今日はよくても

明日はどうなるかわからない、

そんなことが起こってくるのかもしれない。

 

私の小さな慰めは

猫ちゃんが思いのほか”元気”だということ。

がんばれよ、猫ちゃん(^-^)。

 

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clayさんのお勧め。

「今を楽しむ者」…。

 

はっ?!としてしまいました。

 

自分自身に問いかける。

「あなた、今を楽しんでる?」

 

そうか、

キリストを知る者こそ

「今を楽しむこと」が出来る人々。

神とともに歩む者は、将来に希望を持っているだけでなく、今という時を楽しむことを知っています

 

あなたは、きょうという日を喜んで生きていますか

「今日を楽しむ」

あらためて 問いかけたいなと思いました。

 

「今を楽しんでる?」

 

もちろん、

楽しめない状態にある者も絶対にいる。

病の床に在る者、

欠乏の極みに在る者、

理不尽さの中に在る者、

捕らわれている者、

絶望の底に追いやられている者、

脅威にさらされている者、

怒りと憎しみの渦にある者、

 

「楽しみ」とは

ほど遠い状況に置かれている人々は多いのだろう。

 

聖書に残された使徒パウロの言葉が証しする。

わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していてもいついかなる場合にも対処する秘訣を授かっていますわたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。--フィリピ4:11-13--

そのパウロ先生が仰る。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい

そうすれば、

あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。--フィリピ4:6-7--

(アーメン)

 

ついついなにもかもに

「自分」が顔を出します。

どのくらいひっこめられるだろ。

 

まず「御心」に浸ること覚えたい。

あらためて そう思いました。

 

ハレルヤ

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように

尊き主イエス・キリストの御名によりて

祈ります。アーメン

(^-^)