サムエル記上13章1~7節
〔新共同訳〕
【ペリシテ人との戦い】(1)
1サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき、 2イスラエルから三千人をえりすぐった。
(※新改訳※
1 サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった。)
そのうちの二千人をミクマスとベテルの山地で自らのもとに、他の千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置き、残りの民はそれぞれの天幕に帰らせた。
3ヨナタンは、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破った。
ペリシテ人はそれを伝え聞いた。
他方、サウルも国中に角笛を吹き鳴らして言った。「ヘブライ人よ、聞け。」
4全イスラエルは、サウルがペリシテの守備隊を打ち破ったこと、イスラエルがペリシテ人の憎しみをかうことになったということを知った。
民はギルガルのサウルのもとに呼び集められた。
5ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった。彼らは上って来て、ベト・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
6イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。
7ヨルダン川を渡り、ガドやギレアドの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。
しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた。
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(聖句雑感)
「戦争」の場では
「脱走兵」は重罪で、
古代の歴史ドラマなどでは「処刑」です。
軍隊の規律や法はわかりません。
特に戦時にどう機能するか全く知りません。
古代と近代と現代では「軍法」も異なるのでしょう。
「脱走」は 兵士たちの士気を落とし
軍全体の秩序が乱れてしまうのかもしれません。
一度「軍」につき、
戦いの場に臨んだ者の「命」は
もう自分のものではないのですネ。
6イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。
7ヨルダン川を渡り、ガドやギレアドの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。
そんな中、
サウル王は毅然とした態度を崩さなかったのですネ。
ギルガルに踏みとどまった、とあります。
兵たちはサウル王の後ろでおののいていた。
普通…
兵が前にでて、王様の盾にならない?
えりすぐりの三千人の兵と
集められた民で構成された兵?
多くの兵が身を隠し、川向うに逃げる者も続出?
恐かったのだろうなぁホント。
「国」より「民族」より「自分の命」。
でも、
戦の前には「命の尊さ」なんて言ってられない。
人の命は「虫けら」みたい…。
「人」と生まれたからには、せめて
「死ぬ」にしても「大義」が欲しくなってしまいますよネ。
では、ヨナタンの部隊は間違いをおかしたのだろうか?
「イスラエルがペリシテ人の憎しみをかうことになったということを知った」とは、どういう意味で記述されたのだろう??
「ゲバに配置されていたペリシテの守備隊」
ゲバはベニヤミン領のほぼど真ん中。
サムエル在住のラマや集会の聖地ミツパとは目と鼻の先です。
結局、いずれ、戦わなければならない相手です。
ハナシュに攻められ、「王」を望んだばかりの民たちでしたが、
「王」のもとに強い軍隊と兵士や予備兵が作られていくにはまだまだ時間が必要だったのかもしれませんね。
そんな頼りない民たちを率いて行かなくてはならなくなった「サウル」です。主の選びの器であればこそ、敵の前にひるむことなく立っていられるのだなぁ、と そんなこと思いました。「サウル王」かっこいい!
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解447-448p
1節は、ヘブル語本文では数字が欠けている。略)
NEBは「サウルが王になった時は50歳であり、彼は22年間イスラエルを治めた」としている。(略)
いずれにせよ、サウルは王となった時「若い男」(9:2)であり、しかも、戦いの指揮が可能な息子(ヨナタン)がいた(略)。
イスラエル軍はわずか3千の兵であったが、これに対峙したペリシテ軍は戦車3万(異本では3千)、騎兵6千を擁する数え切れぬほどの大軍(<海辺の砂のように多い民>5)であった。それで、イスラエルは全く士気を失い、ある者は身を隠せる所を探して隠れ(6)、ある者は川を渡って逃げ、サウルと共にギルガルにとどまった者も<震え>(7)ていた。
万軍の主を仰ぎ望まなかったため、「おくびょうの霊」(参照Ⅱテモ1:7)に取りつかれてしまったのである。
■BIBLEnavi253-254p
誰が私たちの味方であるのかを忘れて、自分の手にあるものだけを見るとき、私たちは敵の姿を見てパニックに陥りやすくなる。
イスラエル人は、ペリシテ人の大群を見て恐れ隠れた。
彼らは神が味方をしていてくださること、神は敗北しないことを忘れたのである。
問題や誘惑に直面したときには、注意を神と神の持っておられるものに向け、神があなたを助けてくださると信頼しよう(ローマ8:31-37)。
ヨナタンは前哨戦でペリシテ人たちを攻撃し壊滅させたが、サウルは手柄をすべて横取りした。これは当時の文化では普通のことだったが、だからといってサウルの行為が正しいとされるわけではない。
サウルの高慢は、息子が戦場で得た勝利の手柄を横取りするという小さなことから始まったのである。
誰にもとがめられなかったサウルの高慢は醜い執着心になった。それは彼を滅ぼし、家族を分断し、国の存続をも危うくした。
他人の業績を横取りするのは、高慢があなたの人生を支配している証拠だ。
高慢が足元に忍び寄っていることに気づいたら、称賛に値する人物に称賛を譲ることによって、これを食い止めよう。
(雑感)
サウルさんは、息子ヨナタンの「手柄」を横取りした?!
そういうことだったのですね。読み取れませんでした。
「王さま」ですから、手下の手柄も必然と王のもの、は当然かなと思いました。そうではないのですネ。
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■clay解説全文
圧倒的に優勢な敵に直面して
ヨナタンが開く戦端
12章と13章との間には、かなりの時間の経過があります。
その間に、海岸平野に居住していたペリシテ人たちは、山地にまで進出するようになっていました。
13:1は、サウル王の治世を要約したものです。
新改訳聖書では、「サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった」となっていますが、ヘブル語本文では数字が欠けています。
英語のある聖書(RSV)は、「サウルが治め始めた時は〔 〕歳であり、〔 〕2年イスラエルを治めた」と、数字の部分を欠けたままにしています。これが最も原文に忠実な訳です。
口語訳聖書は、「サウルは三十歳で王の位につき、二年イスラエルを治めた」と訳していますが、サウルの治世に起こったことを2年の間の出来事とするのは、無理があります。
さて、サウルは3,000人の常備軍を擁し、2,000人は自分のもとにとどめ、残りの1,000人は息子のヨナタンに委ねていました。このヨナタンが、ゲバにいたペリシテ人の守備隊長を打ち殺したことから、戦端が開かれました。
イスラエル人は、サウルの召集に応えてギルガルにいたサウルのもとに結集して来ました。
恐れの霊
ペリシテ軍は戦車3万、騎兵6,000を擁し、歩兵に至っては数え切れぬほどの大軍を擁していました。それを見たイスラエル人たちは、戦意喪失の状態に陥りました。
(1)ある者は、ほら穴、岩間、地下室、水ためなど、身を隠せる所を捜して隠れました。
(2)ある者は、ヨルダン川を渡って東側のガドとギルアデの地に逃れました。
(3)サウルとともにギルガルにとどまった者もいましたが、彼らは震えていました。
民の問題は、指導者である王の問題でもありました。
最初主に信頼してその歩みを始めたサウルでしたが、時間の経過とともに自分の力に頼る人物になっていました。
イスラエルの民が「おくびょうの霊」に取りつかれてしまった理由は、王も民も、万軍の主を仰ぎ望まなかったためです。
あなたは今、おくびょうの霊に支配されていませんか。
この聖句を思い出し、信仰によって立ち上がりましょう。
「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(Ⅱテモテ1:7)。
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きょうの祈り
万軍の主よ。どうか天の軍勢で私を取り囲み、あらゆる悪しきものに勝利させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
申命記13~14、詩篇23~24
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2024年3月23日(土)☁21℃
今日の箇所は、
しょっぱなから 私的に
読み取り不足を痛感しました。
サウル王かっこいい!と思ってしまったのですが、なんと、
兵らのへっぴり腰は「王さま」である治世者の責任とは。
「民の問題は、指導者である王の問題」
とあります。
「イスラエルの民が
『おくびょうの霊』に取りつかれてしまった理由は、
王も民も、万軍の主を仰ぎ望まなかったため」とあります。
そして、サウル王は、
王としての歩みのうちに、最初の心を忘れ始めていた。
いつしか 「業績」は「自分の力」だと思いはじめ、「自分の力」に頼るようになっていった!?
13章1節は かなりの時間の経過とともに、サウル王の変化をも示唆していたのですね。各訳ではかなり違った訳文になってしまっているんですね。原本の文字の欠落は痛いですネ。
17,8歳?のダビデさんがサウル王の前に登場したとき、サウル王はおいくつだったのでしょか。?ヨナタンさんとの歳の差はいくつくらいだったのでしょか?
「おくびょうの霊」
油断すると、
わたしたちに取りついてしまうのですね。
「敵」の姿や「自分」の姿ばかりを見ていると
「臆病の霊」に支配されてしまいやすくなる…、
気を付けないと簡単に陥ってしまう「罠」となりますネ。
「敵」はそれを仕掛けてくるのですネ。
「神」と「神の持っておられるもの」に
たえず目を向けられますようにと願います。
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また、土曜日がやってきました。
第7日目。
創造の神が記念とされた日。
すべての業を休んで喜び祝う日。
神さまの業を記念し
その御業に思いを巡らし
神さまを楽しむ日。
イエスさまは
安息日の主であり
その日にも 病人を癒された。
絶えず働いてくださった
イエスさまに感謝いたします。
今もなお
働いてくださっていることに感謝します。
ハレルヤ