サム上12章④【別れの演説】士師の終焉:「いかなる時代でも不動の価値観と確信を持つ者の幸い」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上12章19~25節

〔新共同訳〕

サムエルの告別の辞】(4)

 19民は皆、サムエルに願った。

「僕たちのために、あなたの神、主に祈り、我々が死なないようにしてください。確かに、我々はあらゆる重い罪の上に、更に王を求めるという悪を加えました。」

 

20サムエルは民に言った。

「恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、今後は、それることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい。 

 

21むなしいものを慕ってそれて行ってはならない。それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。 

 

22主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである。 

 

23わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。 

 

24主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。 

 

25悪を重ねるなら主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう。」

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(聖句雑感)

民は、「恐れ」たのは、

「主」の力をみせつけられて

我にかえった?ということなのでしょか。

きちんと「悔い改めた」のですネ。

 

「王を求める」ことが

主の前に「悪」であると告白しています。

 

季節外れの「雷雨」すら

引き起こしてみせたサムエルさん。

それは「主」の「力」。

民らは 恐れおののいて懇願する。

「我々が死なないようにしてください」

 

ただ「夢見る者」のごとくに

突っ走る、という無分別さは

さすがに主の民にはなかったのですネ。

・・・・。

ナルホドでした・・。

 

「虚しいものを慕うな」よと

きつくきつく警告するサムエルさん。

 

されど、

そんな警告すらも打ち消すかのように

なんというのでしょうか

勾玉のような言葉が飛び出す・・・。

 

「主はあなたたちをご自分の民と決めておられる」

主はその偉大な御名のゆえに、

御自分の民を決しておろそかにはなさらない

 

なんというお言葉だろう。

これに励まされない者っているかしら…。

これに喜ばない者っているかしら…。

これを誇らない者っているかしら…。

・・・・。

 

「決しておろそかにはなさらない」

とても嬉しくしみじみとするお言葉です。

 

だけど

「条件」があるのですよね…!

主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい

悪を重ねるなら主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう

 

悲しいかな。

後世の私達は知っている。

このイスラエルの民の末路を。

 

なぜに、王も国も失う流浪の民となってしまったのだろう。

なぜ、「偶像」を断ち切れなかったのだろう。

彼らの民が最も忌み嫌うことをなぜ行ってしまったのだろう。

なぜ、自分らの神を捨てて他の神、本来なら神と呼べない神に走ってしまったのだろう。

 

神の「ことば」がいきわたらなかったのだろうか。

捕囚を繰り返し、異邦人によって踏み荒らされる国家。

 

日本だって、日米戦争による被害は相当なものです。

貴重な文化財、文書や古典も焼き尽くされ、どれほどのものが残っているのでしょう。日本の古代の歴史がなかなか紐解けないのもこの辺にあるのではないでしょか。

 

ユダヤの民の凄いところは

それでも生き残って、ヘブライ語を復活させ、旧約聖書を守り続けてくださったことです。ほんと、感謝にたえません。

神の民といわれるゆえんを見ます。

 

神さま御自身が、彼らを守り抜いていらっしゃる。

ユダヤの民としてお生まれになったイエスさま、

再び戻って来られるときもまた

ユダヤの民の待つところへと戻ってこられる。

 

新たな世界の始まり。

いったいどんな世界が始まるのか。

 

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■clay解説全文

士師の時代から王政へ

主に仕えよとの勧め

サムエルが祈ると、時期はずれの雨が雷を伴って降って来たので、民は大いに恐れます。彼らは、これまでに犯してきた多くの罪に加えて、今回は主を退け王を求めるという罪を犯したことを認識し、悔い改めに導かれます死ぬことを恐れた彼らは、即座に、とりなしの祈りをサムエルに求めました

 

サムエルは彼らにこう答えています。

(1)恐れてはならない今後、偶像礼拝を離れて主にのみ仕えるように

(2)主の恵みと選びとは変わらない。これは、アブラハム契約に基づく神の不変の愛です。

(3)自分に関しては、今後とも祈ることと、真理を伝えることとを止めることはない

(4)それゆえ、王政になって以降も、主を恐れ、誠実に主に仕えるように。もし悪を重ねるなら、民も王も滅ぼし尽くされる


私たちの上に注がれた神の愛は、不変のものです

 

しかし、だからと言って、どう生きてもいいというのではありません

 

神の愛は不変であり、私たちの救いは確実なものであるがゆえに、主を恐れ、全身全霊を込めて主に仕えるのです

 

サムエルの使命

これで、サムエルの告別説教が終わりました。

 

(1)サムエルは士師としての役割を終えましたが、祭司、預言者としての役割はそのまま続きました彼は祭司として民のために祈り、預言者として民に神のメッセージを伝えるのです

 

(2)サムエルは士師としては最後の人物、預言者としては最初の人物です彼の前にも預言者と呼ばれる人物はいましたが、職制としての預言者になったのは、サムエルが最初です

 

(3)12章は、士師の時代が公式に終わったことを告げています13章から、王政に移行していきます
 

サムエルは、激動の時代にあってイスラエルの民を一つにまとめる役割を果たしました

 

いかなる時代にあっても、不動の価値観と確信を持って生きている人は幸いです

 

あなたは、自分に与えられた使命を自覚し、その使命を忠実に果たしていますか

 

サムエルの生き方から、教訓を学びましょう

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きょうの祈り

天の父よ。きょうも変わることのないお方、イエス・キリストに錨を下ろして、この世に出て行くことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

申命記11~12、マタイの福音書23

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2024年3月22日(金)☀

 

今回の箇所でのお勧め。

「どんな時代にあっても

不動の価値観と確信を持って生きる人は幸い」

 

キリストを知る者にとっては

「聖書」が「不動の価値観」を教えてくれます。

「聖書」の「ことば」に確信が持てるとき、希望が生まれます。

「希望」は内から溢れ出る「喜び」を生み出します。

されど、この「希望」は「世」との摩擦を生じさせ、困難を生み出します。そして「忍耐」という御霊の実の一つを結ばせます。

さらに「忍耐」は「練達」を生み「練達」は「希望」を生む。

このサイクルに「失望」や「絶望」が生まれる余地がありません。

 

「忍耐」という「試練」に立ち向かえましたら幸い。

「忍耐」という「実」を結ぶことができましたら幸い。

 

最後まで耐え忍ぶことができますように。

ハレルヤ