サムエル記上12章6~11節
〔新共同訳〕
【サムエルの告別の辞】(2)
6サムエルは民に話した。
「主は、モーセとアロンを用いて、あなたたちの先祖をエジプトから導き上った方だ。
7さあ、しっかり立ちなさい。主があなたたちとその先祖とに行われた救いの御業のすべてを、主の御前で説き聞かせよう。
8ヤコブがエジプトに移り住み、その後、先祖が主に助けを求めて叫んだとき、主はモーセとアロンとをお遣わしになり、二人はあなたがたの先祖をエジプトから導き出してこの地に住まわせた。
9しかし、あなたたちの先祖が自分たちの神、主を忘れたので、主がハツォルの軍の司令官シセラ、ペリシテ人、モアブの王の手に彼らを売り渡し、彼らと戦わせられた。
10彼らが主に向かって叫び、『我々は罪を犯しました。主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えました。どうか今、敵の手から救い出してください。我々はあなたに仕えます』と言うと、
11主はエルバアル、ベダン、エフタ、サムエルを遣わし、あなたたちを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたたちは安全に住めるようになった。
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(聖句雑感)
サムエルさんは、
これまでの自身の職責に非はなかったことを民に認めさせました。「神」を語るにふさわしい者であるサムエルさんから、イスラエルの神と民の関係その歴史が語られていきます。
モーセ、アロン、エルバアル、ベダン、エフタ、サムエル、の名が出てきました。モーセからサムエルまでの約200~300年間の歴史に触れます。(ヨシュアがでてきませんね?)
今の日本でいえば、幕末からの歴史?
ということになるのでしょか。?
イスラエルの民が自分たちの「神」を捨てて、他の「神=偶像」に走る。すると、「神」は彼らを「敵」の手に渡される。そして、民は「主」に助けを求めて叫ぶ。罪を告白し赦しを請う。
するとまた、イスラエルの神は彼らに道を開く。
これらの繰返しですネ。
イエスさまが地上に来られてもう2000年です。
彼らは「イエスさま」を拒否してしまいました。
そして拒否し続けています。
イスラエルの民の叫びはどこに向かっているのでしょうか。
現在の神の民のために立てられる人はいるのでしょうか。
黙示録には「2人の証人」が登場します。
この方たちのことでしょうか。
聖書には、神と人との仲介者はただお一人。
主イエス・キリストだとあります。
Ⅰテモテ2:5
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
イエスさまが地上に来られ、昇天なされて約2000年。
ディアスポラから1878年の時を経て「カナンの地」に「イスラエル」という「国」がよみがえった。今年は建国76年目ですね。
今でも戦争につぐ戦争、ですネ。
彼らが「どうか、敵の手から救い出してください」とイスラエルの神に叫び求めるとき、「神」はどのような手段をもって応えられるのだろう。彼らが拒否し続けている「イエス」の名を呼ぶときはいつなのだろう。彼らが彼らの地に「安全に住めるように」なるのは、いつなのだろう。
彼らの姿は、今、主イエス・キリストを信じているよ、という者一人一人にとっても他人事ではありませんヨネ。…。
今日は そんなこと思いました。
ハレルヤ
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解446p
まず彼(サムエル)は、出エジプトの歴史にまでさかのぼり、民の叫びに応えて彼らを救われたのはモーセとアロンではなく、この2人を遣わされた主ご自身であったことを明らかにする(6-8)。
同様に、士師時代においても、シセラ、ペリシテ人、モアブの王は、いわば主の「懲らしめの手」として用いられたものであり、悔い改めて主に叫んだ民を救われたのも、エルバアル(ギデオン)やベダン(70人訳ではバラク)やエフタやサムエル(異本ではサムソン)ではなく、彼らを遣わされた主にほかならなかったことをはっきりと述べる(9-11)。
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■clay解説全文
歴史からの学び
出エジプトの歴史
サムエルは出エジプトの歴史を通して、民に教訓を与えようとします。
きょうの箇所の結論は、「神は必要な時に必要なリーダーを起こし、イスラエルの民を守ってくださった。それゆえ、イスラエルの民に王は必要ではなかった。そして今も同じように、イスラエルの民には王は必要ではない」というものです。
これによって、サムエルは民の不信仰と頑なな心とを指摘し、彼らにより信仰深く、従順になるように諭そうとしたのです。
(1)イスラエルの民がエジプトにあって苦難の中から主に叫んだ時、主はモーセとアロンを遣わし、彼らをエジプトから救い出された。
(2)このふたりの指導者を遣わし、イスラエルの民を約束の地に住まわせたのは、主ご自身であった。つまり、イスラエルに王がいなくても民は解放と祝福を経験できたということです。
士師時代の歴史
次に、士師時代の歴史が回顧されます。
1)約束の地に住むようになった民は、たびたび主を忘れ、バアルやアシュタロテなどの偶像に仕えるようになった。
(2)主は民を懲らしめるために、「裁きの手」となる敵を起こし、イスラエルに侵攻することを許された。ハツォルの将軍シセラ、ペリシテ人、モアブの王などがその敵である。
(3)しかし、民が悔い改めて主に叫んだ時、主は士師たちを起こし、民を救われた。エルバアル(ギデオン)、ベダン(バラクのこと)、エフタやサムエルなどが解放者として用いられた。
(4)これらの歴史を通してわかるのは、イスラエルの民を解放したのは人間ではなくて、指導者たちを遣わした主ご自身であるということである。
私たちも今、自らの歩みを振り返り、ここまでの歩みを支えてくださったのが誰であるか思い起こしましょう。
私たちをあらゆる苦難や罠から解放してくださったのは、イエス・キリストの父なる神、また、天の父と呼ばれるお方です。
その方に信頼せずに、他のものに助けを求めるのは、不信仰な行為です。
あなたの生活は、天の父に喜ばれていますか。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたの御手により、ここまで歩むことができました。あなた以外に頼るお方はありません。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
申命記7~8、マタイの福音書21
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2024年3月20日(水)(春分の日)
☀19℃
とても良いお天気です。
昨夜は雨でした。
こんな日はどこかにブラっと
出かけたくなるものですが。
「聖書」に触れられましたら
幸い。
読もう読もうと思っても
なかなか進めませんが…。
けっこう、
積読本もたまってます。
もう一つ二つ
書棚を購入しようかと思案中。
イオンさんで
お手頃なのが展示してあったのです。
悩みます・・・。
PCにもデバイスというのがあって
周辺機器もいろいろあって
それらの機能を上手く利用できれば
PCの存在価値もupするのでしょう。
「とおりよき管」
つい、「手段」そのものが
目的になってしまう、
そんなこともありがちで…
今日のお勧め。
「人」は「遣わされる者」であって
尊崇の対象ではないこと
しかと心得ておかねばなりませんネ。
また、
人を導く方々も
「人」や「自分」にではなく
「神」御自身に目をむけるように
導いて下さると何よりです。
見る者はその「謙虚」さを
リーダーたちから
しかと学ばせて頂くのです。
導かれ教えられる者は
「遣わされた者」を尊重します。
心から敬えましたらなんと幸い。
リーダーたちから
神さまの息吹を
そこここに感じられましたら
なんと幸い。希望です。
どうかそのような
リーダーであってほしいです。
わたし(たち)も
リーダーのために祈らせて頂けるのです。
そんなこと思いました。
ハレルヤ
尊き主イエスの御名を崇め
感謝いたします。
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
アーメン