サム上12章①【別れの演説】「潔白な生活をする者は救われ、曲がった生活をする者は墓穴に陥る」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上12章1~5節

〔新共同訳〕

サムエルの告別の辞】(1)

1サムエルは全イスラエルに向かって言った。

「わたしは、あなたたちがわたしに求めたことについては、すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた。 

 

2今からは王が、あなたたちを率いて歩む

 

わたしは年老いて、髪も白くなった。そして、息子たちはあなたたちと共にいる。わたしは若いころから今日まであなたたちを率いて歩んできたが、 

 

3今、主と主が油を注がれた方の前で、わたしを訴えなさい

 

わたしが、だれかの牛を取り上げたことがあるか。だれかのろばを取り上げたことがあるか

だれかを抑えつけ、だれかを踏みにじったことがあるか。だれかの手から賄賂を取って何かを見逃してやったことがあるか

 

あるなら、償おう。」 

 

4彼らは答えた。

あなたは我々を抑えつけたことも、踏みにじったこともありませんでしただれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」 

 

5サムエルは言った。

今日、あなたたちがわたしの手に何一つ訴えるべきことを見いださなかったことについては、主が証人であり、主が油を注がれた方が証人だ。」

 

彼らは答えた。

「確かに証人です。」

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(聖句雑感)

「何一つ訴えるべきことを見いださなかった」

とあります。

 

サムエルさんは、誰の目からみても

正しい導き手であったことが証明された。

それでも、民は彼を退け、

「王」と呼ばれる者に統治されることを望んだ。

 

「王」を頂く諸国の繁栄を見て

とても羨ましかったのだろうなぁ…。

強い「王」こそが

自分たちを幸福にしてくれると夢みたのですね?

 

「王」が立つ、ということは

「サムエル」の「引退」を意味していたのですネ。

 

サムエルさんは民を導く存在であったが、

「王」ではなかった…。

 

「王」とは「世俗」の頂点?

「王」が信心深く賢く強く善良で

イスラエルの神に従う者であれば確かに

民は良き方向に導かれていくのかもしれない。

その逆の「王」となる可能性もあることを

「夢見る人々」は敢えて考えない?

 

でも、サムエルさんはなぜ

民の「裁判」を受けたのだろう?

落ち度があるなら「償おう!」とまで断言した。

とても潔く感じました。

 

どこかの国の政治家に見倣ってほしいものです。

明確な「神」を持たない民のリーダーたち。

その振舞いはサムエルさんとは雲泥の差。

 

牛を取り上げたことがあるか

牛は、礼拝物となり財産です。

ろばを取り上げたことがあるか

ろばは、日々の労働にかかせません。

だれかを抑えつけ踏みにじったことがあるか

弱者への愛と正義が試されます。

賄賂をとって見逃したことがあるか

利権は不正の温床です。

 

「神」に忠実に生きる人に率いられることは

なんて幸いなのだろうと思いました。

 

申命記19:15(新共同訳)

いかなる犯罪であれ

およそ人の犯す罪について

一人の証人によって立証されることはない

二人ないし三人の証人によって

その事は立証されねばならない

(アーメン)

 

サムエルさん、引退にあたり、

寂しいという気持ちもおありだったのでしょうか。

 

私(たち)だって

長年の職場を去るときは一抹の寂しさを覚えます。

 

誠心誠意打ち込んで来た仕事を離れる、

人生の多くの時間を費やした「職」、

それが自身とほぼ一体化していればなおさらです。

たとえ「やり尽くした」と思っても

寂しさは隠せないものではないでしょか。

 

潔く「引ける」か。

執着してしまうか…。

 

サムエルさんはどこまでも「主」に忠実です。

彼自身を見るとほんと凄いなぁとも思いますが…

息子さんたちの教育にはなんで失敗しちゃったのぉ??

人間はパーフェクトになれませんネ。

ほんと…。

 

そんなこと今日は思いました。

ハレルヤ

 

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解説を見てみます。

 

新実用聖書注解446p

サムエルは、不本意ではあったが、主の命令に従い(8:7)、王を立てた。彼は、まずそのことを述べた後(1)これまでの長い士師生活の中に何か一つでも不当にその地位を利用して行った悪事があれば、ここに持ち出してほしい、そういう事実があったならば弁償しよう、と民にアピールした(2-3)。民は、そういう事実はただの一つもないことを保証し、主ご自身がその証人であると答えた。

BIBLEnavi253p

別れの演説において、サムエルはイスラエルに対し、自分がイスラエルの士師であった間に間違いを犯していたら指摘するよう求めた。そうすることで、サムエルは自分が真実を語る者として信頼できることを彼らに思い出させた。また、王政を思いついたのは自分ではなく彼らであることを思い出させた。サムエルは12:16-19に記録されている雷雨の奇蹟に先立って語り、神が民を自分勝手な動機のゆえに罰せられても、彼らはサムエルを責めることができないと伝えたのだ

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■牧師の書斎

リンク☞王を求める危うさを一貫して警告するサムエル - 牧師の書斎 (meigata-bokushin.secret.jp)

1. 王を求めたことは、

主のみこころを大いにそこなった

 

サムエルは、人間の王がイスラエルに導入されることについて、終始、懐疑的でした

 

 8章6節で彼らが「私たちをさばく王を与え下さい」と言った時、「そのことはばはサムエルの気に入らなかった」とあります。新共同訳は「サムエルの目には悪と映った」と訳しています。

 

サムエルは終始一貫して民が自分たちの王を求めたことが悪であり、主のみこころを大いに損なうものであったとみなしています

 

主はそれに対して寛容的な態度を取ります

 

おそらく、それは、やがて御子イエスが十字架の上で「父よ、彼らはなにをしているのか分からずにいるのです。」と言ったように、人間の無知と愚かさのゆえの寛容さでした

 

民たちが自分で要求したことが何を意味しているのか、自分でよく分かるための神の教育的配慮による許可でした

 

サムエルは民のその愚かな要求が結果的に何をもたらすかをすでに見越していたのです

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clay解説全文

サムエルの潔白な生活

告別説教の始まり

サウルの王権が更新された段階で、サムエルの士師としての役割は終わりました。そのことを感じ取っていたサムエルは、ここで告別説教を語ります。その目的は、以下の3点に要約されます。

 

(1)民の罪を指摘し、今後はサウル王に忠実になるように促すこと。

 

(2)自らの歩みを例に取って、サウル王に指導者としての心構えを教えること。

 

(3)そして、士師としての役目を終えるにあたって、自らの生活が誰からも非難されることのない潔白なものであったことを民に認めさせること
 

きょうの箇所は、その告別説教(12:1~25)の冒頭部にあたります。サムエルはまず、自らの潔白を認めさせることから話を始めます

名誉ある引退

サムエルが語った内容は、次のようなものです。

 

(1)自分は不本意ではあったが、民の要求を受け入れて、王を立てた(8:7によれば、これはまた主の命令に従った行為でもありました)。

 

2)サウルが王として立てられた今、高齢になった自分の役割は終わった

 

(3)これまでの長い士師生活の中で、何か一つでも不当にその地位を利用して行なった悪事があるなら、それを今ここに持ち出してほしい。もしそういう事実があるなら、自分は害を与えた人に弁償しよう。


民は、そういう事実はただの一つもないことを保証し、主ご自身と、油注がれた者(サウル王のこと)がその証人であると答えました

 

自らの潔白を民に認めさせた後、サムエルは告別説教の主題に入っていきます

 

潔白な生活を貫いたところにサムエルの力の源がありました

 

潔白な生活をする者は救われ、曲がった生活をする者は墓穴に陥る」とある通りです(箴言28:18)。

 

他人から中傷されることなく、地上生涯を終える人は幸いです

 

あなたは、サムエルの生き方から何を学びますか

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きょうの祈り

聖なる神よ。私もまた、誰からも非難されることのないような生活をすることができますように、私に力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

申命記5~6、マタイの福音書20

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2024年3月19日(火)☁20℃

 

3月では一番の寒気がやってきそうですね。

明日がピークだとの予報です。

その後はまた急に暑くなりそうですネ。

体調に気をつけたいものです。

 

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曇り&☔ 18℃

 

朝から「かりんとう」食べたいなぁ、

なんて思っていたら、

帰宅ラッシュの合間をぬって出かけた先で

北海道物産展のさまざまなお品の中に、

ありました。「かりんとう」。

とても美味しそうで、

三種の袋入りを買いました。

 

今日の今日で小さな願い(欲望?)、

あっという間にかないました。

 

お目当てのコヒー豆を2袋とともに

これからポリポリするのが楽しみです。

感謝でした。

 

午後から雨が降ってくれていたようでした。

これも感謝でした。

 

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今日のclayさんのお勧め。

「非難されないような生活」

 

ほんと、

自身を律して

そのような生活ができましたら

なんと幸い。

 

人生に「中傷」はつきもの、

ではないでしょか。

 

心を強くもって

味方となってくださる方が

いらっしゃることを覚えて

赦されてあることを信じて

傷つくことはもうやめて

前に進めましたら幸いです。

 

今日もみことばありがとうございました。

 

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

主イエスに御名によって。

ハレルヤ