10章の学び③「自信のなさと傲慢さとは、表裏一体」「人はうわべを見るが、主は心を見る」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

聖書と私とコーヒーと+ワン

~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上10章17~24節

〔新共同訳〕

サウル 油を注がれて王となる】(7)

17サムエルはミツパで主のもとに民を呼び集めた。

 

18彼はイスラエルの人々に告げた。

「イスラエルの神、主は仰せになる。

イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだわたしがあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。 

 

19しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさい。」

 

20サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ベニヤミン族がくじで選び出された。 

 

21そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された

 

人々は彼を捜したが、見つからなかった。 

 

22そこで、主に伺いを立てた

「その人はここに来ているのですか。」

主は答えられた

見よ、彼は荷物の間に隠れている。」 

 

23人々は走って行き、そこから彼を連れて来た。サウルが民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。 

 

24サムエルは民全体に言った。

見るがいい、主が選ばれたこの人を民のうちで彼に及ぶ者はいない。」

 

民は全員、喜び叫んで言った。

王様万歳。」

******************************************

(聖句雑感)

サウルさんは、とても見栄えのある方だったのですネ。

民からしてみれば、とても頼もしく見えたのかもしれませんネ。

 

それにしても、なぜ、

サウルさんは「隠れて」いたのでしょう?

 

「王」選びは、「くじ」で行われた。

(まるで宝くじ・・・、今では考えられない方法ですネ)

 

でもそれが、

あらかじめ「主」が決定していたとおりになる。

事が動く。とても不思議です。

 

「サウルがいない」と、どうするか。

民は、主にお伺いを立てる…。

 

主は「わたしを退けた」と言われたのに、

その民の「お伺い」には答えてくださる。

民の必要に応じてくださる。

これもまた不思議な話しです。

 

私の目には、

「民」が「神」に「甘えている」、

そのように見えてしまいます。

 

それにしてもサムエルさん、

民の盛り上げ役を見事にこなしてる気がします。

 

「見るがいい。主が選ばれたこの人を。

民のうちで彼に及ぶ者はいない。」

スゴイことですね。

そんな評価を頂けるサウルという人。

 

ふと、

サウルさんが隠れていたわけが

少しわかったような気がしました。

 

彼はとかく目立ちます。

皆より肩半分飛び出しています。

主の決定を事前に知っていればこその

「かくれんぼ」だったのかもしれませんね。

 

もしくは、

まだまだ自信がなかったのでしょうか。

彼の堂々とした風格と彼の内面のギャップは

見た目ではわからぬほど、

結構大きかったのかもしれませんね。

 

開口一番に主がおっしゃった

「わたしを退けて「王」を願った」という

その言葉は サウルさんの耳にどう響いたのでしょう。

 

ともかくここに

イスラエルの初代の王様が誕生しました。

 

~~~~~~~~~~~~~~

解説を見てみます。

 

新実用聖書注解445p

サウルは王選出の行事を公に行うため、民をミツパに集めた(17)。しかし、それが実行に移される前に、彼はもう一度、王を立てるという意向そのものが、本当の救い主である神ご自身を退ける民の思いから来ていることをはっきりと語っている(18-19)

 

用いられたくじは、ウリムとトンミムであったようである(H・Mウォルフ)祭司は、これらを用いて神の御心を確かめた(参照14:41-42,出28:30)

 

ヨシュアの時代、イスラエル軍を敗戦に導いた責任者は誰であるかが、神に問うくじによって絞られていき、ついにアカンが取り分けられた時のように(ヨシ7:16-21)、今回、王を決定するためのくじも絞られていき、サウルに的中した(20-21)

 

人々は、彼を捜したが見付からないので、もう一度神に問うたところ、<彼は荷物の間に隠れている>(22)との答えがあった。

 

うぶな心を持つサウルの恥ずかしがりようが見えてほほえましい。彼を連れて来てみると、威風堂々の体格であったので、人々は非常に喜び、歓呼の声をあげて、彼を王として受け入れた(23-24)

BIBLEnavi252p

イスラエル人が王を選ぶために集まったとき、サウルはすでに自分が選ばれた者であると知っていた(10:1)。しかしサウルは前に出るのではなく荷物の間に隠れた。

 

私たちは失敗を恐れたり、他人からどう思われるか恐れたり、あるいはおそらくどうしたらよいかわからないために、重要な責任から逃げ隠れすることがある。将来責任を担うときに備えて、今準備しておこう自分が適格かどうか感じることよりも、神が備えてくださることを信頼しよう

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

clay解説全文

サウルの選出

くじで取り分ける

サウルが王として立てられていることを公にするため、サムエルは民をミツパに集め、王選出の行事を行ないます。

 

(1)サムエルは王を選出する前に、歴史を回顧し、イスラエルの神は、イスラエルをエジプトから連れ上った神であることを確認します。

 

(2)さらに彼は、王を立てることは真の王である神ご自身を退ける行為であることを再度、宣言しています。

 

(3)次に、くじによって王を選ぶ作業にかかります。


王選出のために、くじが用いられました

くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」(箴言16:33)とあるとおりです。

 

その結果、ベニヤミン族が取り分けられました。それ以降は、通常のくじではなく、ウリムとトンミムが用いられたと思われます。

 

ウリムとトンミム大祭司の胸に付けられていた二つの石で、答が「イエス」なら光り、「ノー」なら光らなかったと言われています(出エジプト記28:30)。

 

ウリムとトンミムを用いた結果、マテリの氏族、キシュの家族、そしてサウルという順番で取り分けられました

 

そこで人々はサウルを捜しますが、その姿がどこにも見つかりませんでした。もう一度神に問うたところ、「彼は荷物の間に隠れている」という答がありました。

 

このような答は、ウリムとトンミムによって得られるものではありません。ここでは、主からの直接の啓示があったのです

荷物の間に隠れるサウル

サウルの態度は、一見すると、謙遜なように見えますが、後になってわかるように、これは彼の自信のなさを表わすものでした

 

自信のなさと傲慢さとは、表裏一体のものです

 

サウルを連れて来てみると、威風堂々の体格を持った人物であることがわかりました。そこで人々は非常に喜び、歓呼の声を上げて彼を王として受け入れました。

 

しかし、民が感動したのは単にサウルの体格が良かったという理由からだけです。


神の究極的な選びは、ダビデでしたそのダビデに関して、神は彼(エリアブ)の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。‥‥人はうわべを見るが、主は心を見る」(Ⅰサムエル記16:7)と語っておられますこの原則は、今も変わりません

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

きょうの祈り

天の父よ。きょうも、あなたがごらんになる目ですべてのものを見ることができますように、私の内面を整えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

*-*-*-*-*-*-*-*--*-*-*-*-*-*-*

年間聖書通読

民数記31~32、マタイの福音書17

******************************************

2024年3月14日(木)☁&☀18℃

 

今日も比較的良いお天気でした。

 

午後にすぐ上の姉が設計図を持って

訪ねてきました。

彼女の終の棲家の建築が始まります。

建坪21のコンクリート平屋です。

外観図と間取を見せてくれました。

とてもお洒落に仕上がっています。

中庭をとった間取は2LDK。

ここに猫ちゃん6匹と暮らすのです。

今日は、こちらのマンションの

配線使用を見に来たのでした。

 

工事の無事をと願います。

(^.^)

ハレルヤ

 

~~~~~~~~~~~~~

今日のclayさんのお勧めに

ドキリとしました。

 

「自信のなさ」は「傲慢」と表裏一体。

どういうことでしょう?

 

一見「謙遜」に見えることの中に

「傲慢」さを孕んでいる?

どういうことでしょう?

 

BIBLEnaviさんでは

「自分が適格かどうか感じる」

ことよりも

「神が備えてくださることを信頼しよう」

とあります。

 

とくに、サウルさんの場合は、

あらかじめ「選ばれた」と告げられ、

サウルさんもそれを「受け入れた」。

ということになりますネ…。

であれば、

「荷物の間に隠れている」必要はなかった、

のかもしれませんね。

 

もともと「シャイ」な性質であっても

ほんとうの「謙虚さ」があれば、

それを外に出さないでいることができる、

のかもしれません?ね。

 

すべては、

「然り、然り、否、否」

 

「主」に従う、とは

とてもシビア。

 

ほんとうの「謙虚」さとは

とても シビア なもののようです。

 

ハレルヤ

 

今日もみことばありがとうございました。

尊き主イエスの御名を崇めて感謝いたします。

 

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

(^-^)