10章の学び①「神の霊に満たされて行うわざは、すべて祝福される」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上10章1~2節

〔新共同訳〕

サウル 油を注がれて王となる】(5)

1サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った

 

主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。 

 

2今日、あなたがわたしのもとを去って行くと、ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇二人の男出会います。二人はあなたに言うでしょう。

 

『あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父上はろばのことは忘れ、専らあなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいか、とおっしゃっています。』 

 

3また、そこから更に進み、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会います。一人は子山羊三匹を連れ、一人はパン三個を持ち、一人はぶどう酒一袋を持っています。 

 

4あなたに挨拶し、二個のパンをくれますから、彼らの手から受け取りなさい。 

 

5それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かいなさい

 

町に入るとき琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。 

 

6主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。 

 

7これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい神があなたと共におられるのです。 

 

8わたしより先にギルガルに行きなさい

わたしもあなたのもとに行き焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう

 

わたしが着くまで七日間、待ってくださいなすべきことを教えましょう。」

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(聖句雑感)

ちょっと長い箇所です。

今日はこちらから何を読み取りましょう…。

 

順を追ってみます。

 

まず、よやく、

「サウル」に油が注がれました。

「指導者」となる命が下されました。

 

それから、サウルの道中に

これから起こるであろう3つの事象を

予め伝えるサムエルさんです。

 

これによって、

サウルさんを「指導者」にしたのは

イスラエルの神であることが実証され

サウルさんも確信を得るのでしょう。

 

ラケルの墓の脇で二人の男に会い、

ロバの発見と父キシュの心配がわかり、

 

タボルの樫の木で三人の男に出会う。

子山羊3匹、パン3個、ぶどう酒。

まさに、神への礼物。3という数字。

そのうちパン2個がサウルさんに渡される。

(なぜ2個?)

 

ペリシテ軍の守備隊のいるギブア・エロヒム。

その入り口で預言者の一団に遭遇し、

サウロに預言の霊が降り注ぎ、

彼は「別人のようになる」。

 

なんだか、すごい「しるし」が続きます。

 

その7日後のギルガルで

サムエルさんは

焼き尽くす献げ物と

和解の献げ物をささげる。

 

サムエルさんの預言が逐一、

その通りでなっていけばさすがに

サウルさんも信じない訳にはいきませんネ。

 

それにしても面白い感じです。

 

ひとつめのしるし。

ラケルの墓の脇。

ベニヤミンのお母さんのお墓ですネ。

そして、「ろば」の発見と父の心配。

サウルさんの「この世の患い」を

取り去ってくれるかのような知らせです。

 

次に、礼物のしるし。

2個のパン。

サウルさんの心も「主」へと

準備されていくような感じです。

 

さらに、

敵の前で遭遇する預言者集団とその霊。

預言の霊は豊かに注がれます。

「なんでもできる」状態。

「別人」の状態。

 

もう、神業的に思えてしまいます。

一歩一歩 階段を上り、

引き上げられていくような

サウルさんの道行です。

 

神さまに引き上げられていく、ということは

こういうことなのでしょうネ。

すべてが、向こうからやってきます。

 

聖書にありました。

 

ヤコブ書1:17(新共同訳)

良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きによって生ずる陰もありません。

エレミヤ書32:19b

あなたの目は人の歩みをすべて御覧になり、各人の道、行いの実りに応じて報いられます。

エレミヤ書32:27

見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主であるわたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか

(アーメン)

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解説を見てみます。

BIBLEnavi251p

イスラエルの王が位につくときは、戴冠するだけでなく油注ぎを受けた。油注ぎは王を人々に対する神の代弁者とする宗教的行為であった。王は必ず、祭司または預言者によって油を注がれた。

この特別な香油は、オリーブオイル、没薬、その他高価な香辛料を混ぜたものであった。香油は王の頭から注がれ、神の聖霊の臨在と力が王の人生にあることを象徴した。この油注ぎの儀式は、王に対し、自分ではなく神の知恵によって民を導くという重大な責任を忘れさせないためのものであった。

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新実用聖書注解444p

 サウルの頭に油を注ぎ、儀式上の口づけ(D・Fペイン)をして、王に任命したサムエルは、これから起こる幾つかのことを預言する。70人訳では、1節は更に、周囲の敵からの解放者としてサウルが立てられたことに言及している。

 

 サムエルの預言は、まずヤコブの最愛の妻であったラケルの墓のそばで、2人の人がサウルに、雌ろばの見付かったことと父が彼のことを心配していることとを報告するという言葉で始まっている(2)

 

次に、タボルの樫の木の所で、それぞれ供え物を携えている3人の人に出会うが、彼らはパンを2個くれるから、それをもらいなさい、という預言が続く(3-4)

 

3番目に出会うのは、預言者の一団である。彼らは楽器を奏で、賛美しながら高き所から降りて来る。その時、サウル自身の上に神の霊が激しく下り、彼は変えられて全く新しい人となる。このことは、神のギブアに入る時に起こる、とサムエルは預言を続ける(5-6)

 

 場所、人数、その時の様子など、すべてが詳細に預言されておりそれがその日にその通りに起こったことは、サウルにとって大きな驚きであったに違いない。

 

 サムエルは、もう2つ、大切なことを語っている。その1つは、これらのしるしが起こったら、それは、神が共におられるようになったしるしにほかならないから、何事でも、時に応じて実行せよ、との勧めである(7)神の霊に満たされて行うわざは、すべて祝福される(参照詩篇1:3c)

 

 もう1つは、サウルが先に行き、いけにえをささげるために後で着くサムエルを、7日間そこで待つように、という命令である(8)。これは実は、サウルの一生を左右する大切な命令であった(参照13:13-14)

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clay解説全文

サウルの油注ぎ

油注ぎ

サムエルは秘密裏に、サウルに油注ぎをします。

 

(1)油注ぎは、物や人を聖別するために行なわれたものです

(2)ここでは、サウルを神に聖別された王として立てるために、油注ぎが行なわれています

(3)ヘブル語のメシアという言葉は、「油注がれた者」という意味です。

 

人類の救い主として登場するお方こそ、究極的な意味で神からの油注ぎを受けたお方です


サムエルは、サウルの頭に油を注ぎ、口づけし、サウルに確証を与えるためにこれから起る三つのことを預言します。これらは、サウルに王権が与えられていることを証明する三つのしるしとなりました。

 

三つのしるし

(1)まず、ラケルの墓のそばで、ふたりの人がサウルに会い、雌ろばが見付かったことと、父が彼のことを心配しているということを報告する。

 

(2)次に、タボルの樫の木の所で、それぞれ供え物(子やぎ3頭、丸型のパン3つ、ぶどう酒の皮袋)を携えている3人の人に出会うが、彼らはパンを2個くれるから、それをもらえばよい

 

(3)3番目に、神のギブアに入るときに、預言者の一団に出会う。彼らは楽器を奏で、賛美しながら高き所から降りて来る。そのとき、サウルの上にも神の霊が激しく下り、彼は変えられて全く新しい人となるそれらのことが起こったなら、それは「神がともにおられることのしるし」であるから、何事でも時に応じて実行せよ


主の霊によってサウルに新しい知恵と力とが与えられます。そういう意味では、サウルは確かに新しい人となりました。

 

しかしこれが、新約聖書で教えている「新生体験」と同じかどうかは、大いに疑問です。その証拠に、サウルは王権が確立されるにつれて、傲慢になっていきます。

 

きょうの箇所の最後でも、サムエルはサウルに、先にギルガルに行き、後から着く自分を7日間そこで待つようにと命じています。しかし結果的には、サウルはその命令に従わず、最初の、しかも致命的な過ちを犯すようになります。

 

このことからも、真に大切なのは新生体験であることがわかります。

 

割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません大事なのは新しい創造です」(ガラテヤ6:15)。

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きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私を新しく造り変え、内側に聖霊が宿る器としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

民数記27~28、マタイの福音書15

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2024年3月12日(火)☁19℃

 

昨晩から未明にかけて雨が降りました。

けっこう窓を叩いていました。

今朝は すっかり晴れてます。

眩しいです。

 

変わりやすいお天気が続いています。

 

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さて、お天気のごとく、

昨日もまた反省させられました。

 

「御霊の一致」

「御霊は一つ」

「一つ思いで」とは

よく語られ、勧められます。

 

いざ、そういう場面に出くわすと、

普段が油断しきりな状態なので、

なかなか 

そんな状態へともっていけません。

 

今日のお勧めでは

「主の霊が注がれて」

「別人になる」とあります。

 

「主の霊によって」

「新しい知恵と力が与えられる」

アーメン

 

我等はすでに「受けている」のに、

と思うと凹んでしまいます。

 

ヤコブ書を数日、

読み返していこうかな、と

思いました。

(__)

 

ハレルヤ

常に喜び絶えず祈り

凡ての子こと感謝できますように。

 

尊き主イエスの御名によりて

今日の御言葉に感謝いたします。

ハレルヤ