王を求める民:サムエル記上8章に学ぶ…「神の時を待てない者は、必ず墓穴を掘るようになります」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上8章19~22節

〔新共同訳〕

民、王を求める】(3)

19民はサムエルの声に聞き従おうとせず言い張った

 

「いいえ。

我々にはどうしても王が必要なのです。 

 

20我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」

 

21サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れた。 

 

22主はサムエルに言われた。

彼らの声に従い彼らに王を立てなさい。」

 

サムエルはイスラエルの人々に言った。

それぞれ、自分の町に帰りなさい。」

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(聖句雑感)

「どうしても王が必要」

「すべての国民と同じように」

 

イスラエルの民の言い分も

分かるような気がしてきます。

 

士師記の時代を見ると

なにかしら

まとまりのないような?

そんな感じでもあります。

 

一人の王のもとに一致団結する、

スピード感と厚みが違うような気もします。

人々が「あこがれる」のもわかるような気がします。

スーパーヒーロー!

 

王が裁きを行い、

王が陣頭に立って進み、

我々の戦いをたたかうのです

 

本来なら、

「主が裁きを行い、

主が陣頭に立って進み、

主の戦いをたたかうのです!」

と、

イスラエルの民は宣言べきだったのかもしれませんネ。

そうすれば、

「主」はどんなにお喜びになったことでしょう。

 

スーパーヒーローは、

何を隠そう

「イスラエルの神」主!だったのだと、

神の民が気づくのは何時のことだろう。

(彼らはいまだに気づいていない…)

 

見えない神が

見える神となって

お出で下さった、あの時。

 

そのことをすでに

異邦人の方がわかっている。

 

でもそれも、

初代教会の宣教のおかげ。

最初に救われたユダヤの人々のおかげなのですヨネ。

 

使徒言行録1:8(新共同訳)

あなたがたの上に聖霊が降ると、

あなたがたは力を得る。

そして、

エルサレムばかりでなく

ユダヤとサマリヤの全土で

また、地の果てに至るまで

わたしの証人となる。

とは、イエスさまが、地上で

お弟子さんたちに残された最後のおことば。

 

この福音は

まず「主」御自身が語られた。

主イエスの福音。

この福音は、主イエス・キリストを証しするもの。

 

ハレルヤ

 

~~~~~~~~~~

解説を見てみます。

 

新実用聖書注解442p

しかし、民はすでに「夢見る者」となっていた

 

異教の国々がそうであるように、我々にも立派な1人の王が立てられるべきである彼は裁判を行い、戦争が始まれば先頭に立ってりりしく突き進み、我々の戦いを戦う(19-20)

 

このような図式が、民の脳裏には、すでに描かれていた。それで、民は自らの主張を決して退けようとはしなかったのである。

 

ほかにどうしようもなく、サムエルは民の言い分をそのまま主に申し上げた(21)

 

彼はギデオンのように、

結局民を治めるのは自分ではなく主ご自身であることをよく知っていたのである(参照士8:23)

また、ひとりでもんもんと思い煩うのでなく、いつも問題を主のもとに持って行く秘訣を心得ていたからである(参照詩62:8)

 

再び主は、民の言う通りにせよ、と答えられた。そこでサムエルは、その旨を告げ、民を解散させた(22)

■牧師の書斎

リンク☞王制導入のいきさつ - 牧師の書斎

【聖書箇所】  8章1節~22節

はじめに

8章からサムエル記の主題である「王制」がどのような経緯で導入されたかが記されています。すでにこの章において、民が要求した王制の導入の中に人間が抱く本質的な問題が見え隠れしているのです
 

1. 王制導入の民の要求

強力な指導者がいるときには安心できていたことが、やがてふさわしい指導者がいなくなることが分かる時、またその後継者に不安要因があるとき、人は不安と恐れの中に突き落とされます。

 

8章は「サムエルは、年老いた」とあります。サムエルは自分の後継者を二人の息子たちにまかせようとしましたが、二人の息子はその器としてふさわしくないことがだれの目にも明らかでした。聖書はそのことを「この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきをまげていた。」(3節)と記しています。

 

イスラエルの長老たちがみな集まって協議し、サムエルのところに来て、「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」と要求します。

 

この要求が意味する真意は、人間としての最も基本的なニーズである「生存と防衛の保障」に対する不安から来ています

 

この不安が強くなるとき、大切な事が見えなるのです

 

ここでは、神がイスラエルの真の王であるという事実が見えなくなっているのです。このことが一番大きな問題であることを神はサムエルに次のように語っています。「それは・・・彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」(7節後半)
 

2. 王制導入に対するサムエルの警告

サムエルは民が要求する王を立てることによってどんなことが起こってくるかを警告しました。それを一言でいうならば、「あなたがたは王の奴隷となる」ということです。

 

そのキーワードは「取る」(徴用する)という動詞「ラーカハ」(לָקַח)です。

 

サムエルは王を求める民に対して、が持つことになる「取る」という権威があることを民に警告します。8章10~17節の中に「取る」という動詞が4回も使われています。それは、民の息子たちを取り、娘たちを取り、穀物とぶどうの収穫の十分の一を取り、羊の群れ(財産)の十分の一を取るようになり、そのようにして、王の奴隷となるのだという警告です。

 

しかし、民たちはサムエルの言うことに耳を貸さず、警告を無視しました。民たちは次のように述べています。

 

【新改訳改訂第3版】Ⅰサム
19 「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。20 私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」

 

(1) 「ほかのすべての国民のようになり


「ほかのすべての国民」とは、異邦人と同じくという意味です。ここには神の民としてのアイディティティがすでに喪失しています。聖なる国民となることへの召命の欠如があります。

 

(2) 「王が、自分たちのをさばき、自分たちの先頭に経ち、自分たちのために戦ってくれるから


「自分たちのために」という発想そのものが、王が偶像となっています

 

偶像の神とはあくまでも「自分たちのために」造られます

 

自分のたちのための都合の良い王この発想自体がすべて幻想の運命を抱えています

 

そんな自分に都合の良い王はいないことに気づかないことがすでに大きな問題です

 

幻想の運命に終わることを知らずにいるのです

 

むしろ、自分たちのために立てる王は、他の国の王のように「専制君主」となって、王のために民が奴隷となるのです

 

この危うさは警告しただけではなかなか気づきません実際にそれを経験してはじめて気づくものですそのために神は民たちの要求に応じたのでした

 

私たちが、自分の生存と防衛の保障のために求めようとするものが幻想に終わることを教えるために、神はあえて民の要求を受け入れられました

 

歴史は神の警告する真実が立証する舞台となることを私たちは歴史書を通して見る(学ぶ)ことができるのです
 

2012.5.23

(アーメン)

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clay解説全文

民の応答

サムエルの言葉に耳を傾けない民

 

サムエルは、王が持つであろう権利について民に説明しました。しかし民はその警告には耳を傾けようとせず、「いや。どうしても、私たちの上に王がいなくてはなりません」と応答しました。

 

(1)民は、ほかのすべての国民のようになるために、王を求めました。つまり、他国の民が持っていた地位と政治形態を求めたのです。

 

(2)「王が私たちをさばき」とあります。これは、各部族内のリーダーが部族を指導する体制から、ひとりの王が国を支配する体制への移行です。

 

(3)彼らは、王が先頭に立って戦いを導いてくれることを期待しました。

 

(4)サムエルは、民の言うことを聞いて、それを主の耳に入れました。主はそれを聞く前から民の心はご存知でした。ここでは、サムエルが主の指示を仰いでいるということです。

 

主からの答

 

主はサムエルに、「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ」と命じます。これは、「許容的御心」と呼ばれるものです。民のかたくなさゆえに、主が譲歩されたということです。サムエルは民に、彼らの要求が主に聞き届けられたことを伝え、民をそれぞれの町に送り返します。

 

さて、イスラエルの民の罪とはなんでしょうか

 

(1)神を退け、人間の王に頼ろうとしたことです。

(2)もう一つは、神の時を無視して王を求めたことです。

 

神はイスラエルに王が必要になることをご存知で、そのための人材を用意しておられました

 

それがダビデです

 

しかし、当時ダビデはまだ若過ぎましたそれで、サウルが王に選ばれるのです

 

 

神の時を待てない者は、必ず墓穴を掘るようになります

 


神からの究極的な答は、

ホセア書13:9~11に書かれています。

 

「イスラエルよ。わたしがあなたを滅ぼしたら、だれがあなたを助けよう。あなたを救うあなたの王は、すべての町々のうち、今、どこにいるのか。あなたのさばきつかさたちは。あなたがかつて、『私に王と首長たちを与えよ』と言った者たちは。

わたしは怒ってあなたに王を与えたが、憤ってこれを奪い取る」。

 

ここに書かれていることは、バビロン捕囚の際に成就しました

 

イスラエルの民を反面教師とし、神に信頼することの幸いを確認しましょう

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きょうの祈り

天の父よ。今私は、大声であなたへの信頼を告白します試みの日に、私を守り支えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

民数記17~18、マタイの福音書12

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2024年3月7日(木)☀&☁18℃

 

昨日は、晩の集会の帰り、

実家に寄りました。

 

実家は、どうやら「インフルエンザ」?

が流行ったらしいです。

 

90を超えた母。

何かあるたび とても心配になります。

 

病院に行くほどのことではなく、

落ち着いて来ているよ、との報を受けて、

早速行ってきました。

 

以前にmyブログに記録した

自家製「デーツの粒あん」の瓶詰めと、

7イレブン”金のパン”を持って行きました。

 

寝室にいた母でしたが、

起き出してきました。

 

冷蔵庫にしまいながら

「朝トーストに粒あんのせて食べてね」

「小豆は腎臓にいいらしいからね」

というと、そうそう、

と喜んでくれていました。

 

パン好きの母です。

 

さて、今朝

私もトーストにのせて食べてみました。

ちょっと、ゆるめすぎたみたいです。

 

母は食べてくれたかなぁ。

 

今度は、上手に作ろうと思います。

「デーツの粒あん」

なかなかいいですね。

食物繊維も豊富です。

 

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今日も御言葉に感謝いたします。

尊き主イエスの御名によりて、

常に喜び絶えず祈り

凡てのこと感謝できますように。

 

ハレルヤ