「私に与えられている祈りの力、賛美の喜び、礼拝から来る満足感、兄弟姉妹の交わりを感謝します」 | 聖書と私とコーヒーと+ワン

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~「わたしは道であり、真理であり、命である。」(ヨハネ14:6)~

この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を
あなたがたに与えることができます。(Ⅱテモテ3:15)

 

サムエル記上8章10~18節

〔新共同訳〕

民、王を求める】(2)

10サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。 

 

11彼はこう告げた。

「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。

 

まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵騎兵にして王の戦車の前を走らせ、 12千人隊の長五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。

 

13また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り料理女パン焼き女にする。

 

14また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える

 

15また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える

 

16あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる

 

17また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する

 

こうして、あなたたちは王の奴隷となる。 

 

18その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ

 

しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」

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(聖句雑感)

「かわいい子には旅をさせろ」

ってよく聞きます。

 

意味は

厳しい経験を積むほど成長するため、

かわいい子ほど敢えて辛い思いをさせよ

とのことらしい。

 

また、

子供がかわいいなら、甘やかさないで

世の中のつらさを経験させたほうがよい

(小学館デジタル大辞典)

という説明もありました。

 

イスラエルの神さまも、

そんな思いで

ご自分の民をご覧になっていたのでしょか。

 

強いリーダーを求めた民、

だけどそれは、

リーダーの「奴隷」になるよ、

と教え諭しました。

 

息子、娘は徴集され、

財産は没収され、税を課せられていく。

「王」とその家来たちのために差し出すものの大きさ。

 

民の「渇望」は

そのための「犠牲」を

想像する力さえ奪い取っているようです。

 

昔、豊かになりつつ日本にも

「三種の神器」と言われる家電がありました。

電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビ。

今の子たちには信じられないことでしょネ。

今は至って「在って」当たり前の家電です。

 

あればいいなぁ、と思っていたものも

今では あって当然のものとなりました。

しかも、TVは年々不必要になりそうな勢い。

 

(・・ちがうかな?)

(ソレました)

 

神さまは、人々に警告します。

その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ

しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」

 

それを聞いて、民はどんな反応を示すのでしょう?

 

「そんなことはないさ」で突き進む?

 

当時のイスラエルの人々は、

「神の御心」を伝えてくれる人が立てられて

ちゃんと「神のことば」を受け取ることができた。

「預言者」がいる、ってことの素晴らしさ。

 

でも、結局、「信仰」によって

その言葉を受けとめることができない。

まして、その言葉に「従う」こともできない。

 

神さまは「善」にして「善」なる方!

ということを信じられない?

ということになるのでしょうか。

 

幼児のおねだりのようにも見えます。

世の中の道が蜜の道に見えてしまうのですよね。

 

ふと、エレミヤ書の言葉がよぎりました。

 

エレミヤ書29:11(新共同訳)

わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。

 

それは平和の計画であって、災いの計画ではない将来と希望を与えるものである

「主」が持たれている私たちの為のご計画は

「平和の計画」であって

「将来と希望を与えるものである」と宣言してくださっている。

なんという幸い。

 

この御言葉をどれほど「信仰」を持って我がものとすることができましょうか。信じ抜くことによってしか「平安」の果実は得られない。信じ抜くことによって主の語られた御言葉が我が身に成就していく。これが「信仰」の法則ですね?戦いでもありますネ。御言葉の種がどんどん奪われていくことのありませんようにと願います。

 

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解説を見てみます。

 

新実用聖書注解442p

王の権利(10-18)

そこでサムエルは、特に王制が民に与える負担について述べる(10)

 

王制を支えるためには、その下に仕える兵士、隊長、下働きの女性、家来が必要であり、<あなたがたの息子>(11)、<あなたがたの娘>(13)が徴用され、それらの任に当たらせられる事実を覚えておかねばならない。

 

非生産人口が新たに増加するので、そのために、土地、家畜、収穫物の中から、これまでの10分の1に加えて、新たに10分の1税が重くのしかかってくる(11-17)

 

後悔して泣き叫ぶ時が来ても、主はお聞きにならない(18)

 

サムエルの警告は非情に具体的であり、民にとって身近な問題を取り上げて述べたものであった。

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牧師の書斎

リンク☞王制導入のいきさつ - 牧師の書斎

サムエルは民が要求する王を立てることによってどんなことが起こってくるかを警告しました

 

それを一言でいうならば、

あなたがたは王の奴隷となるということです

 

そのキーワードは

「取る」(徴用する)という動詞

ラーカハ」(לָקַח)です。

 

サムエルは王を求める民に対して、

王が持つことになる「取る」という権威があることを民に警告します。

 

8章10~17節の中に取るという動詞が4回も使われています

 

それは、

民の息子たちを取り

娘たちを取り

穀物とぶどうの収穫の十分の一を取り

羊の群れ(財産)の十分の一を取るようになり、

そのようにして、

王の奴隷となるのだという警告です。

(略)

 

私たちが、自分の生存と防衛の保障のために求めようとするものが幻想に終わることを教えるために、神はあえて民の要求を受け入れられました

 

歴史は神の警告する真実が立証する舞台となることを私たちは歴史書を通して見る(学ぶ)ことができるのです

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■clay解説全文

王の権利

民の支払う犠牲

 

イスラエルの民は王を求めましたが

その王が民に要求するものがどれほど厳しいものであるかは理解していませんでした

 

そこでサムエルは、

主のことばを残らず話し、

民が支払うべき犠牲について明確に説明します。


(1)王は息子たちを徴兵し、戦士として使役するようになる。

(2)王は娘たちをとり、王宮で仕えさせるようになる。

(3)王は新たに税を徴収するようになる。これは、神殿に収めていた税とは別の10分の1税です。民は重税で苦しむようになります

(4)王は奴隷や家畜の中から最上のものをとり、自分の仕事をさせるようになる。

(5)それまで民が持っていた自由は、かなりの程度制限されるようになる

 

後悔先に立たず

 

将来の王の中には、悪王もいることでしょう。

悪王が現われた時、民は重圧に耐えかねて主に助けを呼び求めるようになります

 

しかし、主はその叫びにはお答えになりません

 

なぜなら、彼ら自身が自らの意思で王制に移行することを選び取ったからです


もし、

クリスチャンであることや主に仕えることに嫌気がさし、他の人々と同じように思いどおりの生活がしたいと思っている人がいるなら、この箇所から教訓を学ぶべきです

 

(1)神から離れることは、手加減なしに私たちを支配する悪魔の束縛の中に入ることです。(

 

2)悪魔は私たちに自由と喜びとを約束しますが、実際に私たちが受け取るのは、束縛と絶望です

 

(3)神から離れるなら、多くの祝福を手放すことになります

 

祈りの力、賛美の喜び、礼拝から来る満足感、兄弟姉妹の交わり、そして、苦難の日に与えられる希望などです


聖書は、

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよわざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に」(伝道者の書12:1)と教えています。今が時です。

 

きょう、自分の人生の大方針を確立しましょう

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きょうの祈り

天地創造の神よ。あなたこそ私の王であり、救い主です私に与えられている祈りの力、賛美の喜び、礼拝から来る満足感、兄弟姉妹の交わりを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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年間聖書通読

民数記15~16、マタイの福音書11

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2024年3月6日(水)☁&☀&☔19℃

 

ここ数日、おかげさまで☔。

昨日の報道映像では

久米島あたりの海岸線を

竜巻が凄い勢いで移動していました。

また、南城市では昨日1日で

3月の平均雨量を超えたといいます。

 

されど、今日の報道では

水位は上昇するもさほど変わらず、

でした。それでも、確実に

「雨」は降ってくれています。

感謝です。

 

”断水”のない日常が

当たり前になっていました。

感謝なことです。

 

平和な日常のうちに

祈りの力、賛美の喜び、

礼拝から来る満足感、

兄弟姉妹の交わり、

が与えられる。

 

感謝です。

 

尊き主イエスの御名によって。

ハレルヤ