サムエル記上7章3~6節
〔新共同訳〕サムエル記上 7
【イスラエルの指導者サムエル】(2)
3サムエルはイスラエルの家の全体に対して言った。
「あなたたちが心を尽くして主に立ち帰るというなら、あなたたちの中から異教の神々やアシュトレトを取り除き、心を正しく主に向け、ただ主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたたちをペリシテ人の手から救い出してくださる。」
4イスラエルの人々はバアルとアシュトレトを取り除き、ただ主にのみ仕えた。
5サムエルは命じた。
「イスラエルを全員、ミツパに集めなさい。
あなたたちのために主に祈ろう。」
6人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で、「わたしたちは主に罪を犯しました」と言った。
サムエルはミツパでイスラエルの人々に裁きを行った。
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(聖句雑感)
敗戦から20年を過ぎ、
イスラエルの人々は「偶像」への依存度が増していたのですね。
「人」は 絶好調が続くと「自身」を誇り、いったん「鼻」がへし折られると見境をなくす。「筋」もなにもあったものではありませんね。「忍耐」どころでの話しではありませんね。
そこに、いよいよ神の人「サムエル」が満を持して現れました!
彼の言葉のなんと力強いことでしょう。
「リーダー」とはこういう存在のことをいうのでしょうネ。
イスラエルの人々はサムエルさんの言葉に従って偶像を廃したのですね。彼らもまたサムエルさんのような強い指導者を待ち望んでいたのですね。神の憐れみはかくありき。
思い返せばハンナさんの嘆きの祈りから始まっているのですよね。神はすでのこの時から神さまの御心にかなう人物を備えていたのですね。神の摂理の妙に深いため息がでるばかりです。
トップダウン。
心弱く判断の鈍ってしまった者にとって、こうしなさい、そうしなさい、と、まして、どんなに判断力の弱った心にも「正しい」のだと響く「命令」「さとし」「助言」は”わかる”のでしょう。
”群衆”とは とても弱いものなのだなぁ、と思いました。
また、何であれ(悪であれ善であれ)とかく、”影響”を受けやすい集合体なのだなと思いました。
強き善きリーダー。
いつの世も待ち望まれますね。
「ミツパ」は、ベニヤミン領内で、サムエルの地元ラマに近く、後世の北イスラエルと南ユダの境にある場所に見えます。
新聖書辞典によると「ミツパ」という意味は「見張る場所」「物見やぐら」という語源を持つそうです。含蓄デス。
サムエルはイスラエルに宗教改革を行い、断食と祈りのため人々をミツパに招集した(Ⅰサム7:3-6)。そのことを知ったペリシテ人は、イスラエル攻略の好機と見てミツパを攻撃したが、神の奇蹟的介入があり、ペリシテ人は破れた(Ⅰサム7:7-11)。
サムエルがサウルを王に任命するため、イスラエルの人々を集めた場所もこのミツパである(Ⅰサム10:17)。
サムエルの家はラマにあったが、このミツパにも彼の統治とかかわりのある場所を持ち、年に1度は巡回したようである(Ⅰサム7:16)。
---新聖書辞典1362p---
ハレルヤ
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解説を見てみます。
■新実用聖書注解440-441p
サムエルがイスラエルの全家にまず勧めたことは、偶像を捨て、ただ一筋に主にのみ仕えることだった。
彼は、ペリシテの脅威から救われるには、一つ心で力ある種に尋ね求める以外にないことを教えた(3)。そこで、彼らは、豊穣の神としてカナンの地で拝まれていたバアルと、その妻と目される愛と戦争の神アシュタロテを捨て去り、主にのみ仕えるようになった(4)。サムエルは、祈りの使命を果たし(5)、民は断食をもって悔い改めの心を示した(6)。
こうして、士師としてのサムエルの働きが、エルサレムの北方8kmほどの所にあるミツパで始まったのである(6)。
■BIBLEnavi248p
バアルはエルの息子で、カナン人の最高神であると信じられていた。バアルは雷と雨の神、したがって植生と農耕を支配すると考えられていた。アシュタロテは愛と戦争の女神(バビロニヤではイシュタル、ギリシャではアスタルテまたはアフロディテと呼ばれた)で肥沃、多産を象徴していた。カナン人は、バアルとアシュタロテの性的結合により大地が魔術的に活力を取り戻し肥沃になると信じていた。
ミツパはイスラエル国民にとって特別な意味を持っていた。イスラエル人がベニヤミン族に対して兵を動員し(士師20:1)、サムエルが指導者に任命され(Ⅰサムエル7:6)、イスラエル最初の王サウルが披露され人々に与えられた(10:17以下)のはここであった。
「主の前に」地面に水を注ぐという行為は、罪を悔い改め、偶像から立ち返り、神にのみ従うという決意を示したいた。
サムエルはイスラエルに連綿と続いた士師(指導者)たちの最期の後継者であった。士師は政治的か宗教的な指導者であった。神はイスラエルの真の指導者であられたが、士師は民に対する神の代弁者、全土における正義の管理者となるべき存在であった。
イスラエルの士師の中には、神ではなく自分自身の判断に頼る者がいたが、サムエルは神への従順と献身により、イスラエルの歴史で最も偉大な士師の1人となった(士師としてのサムエルについては、4:18の注を参照)。
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■clay解説全文
イスラエルを裁くサムエル
〔サムエルの活動の始まり〕
きょうの箇所から、サムエルの公の活動が始まります。彼は士師たちの時代と預言者たちの時代の中間にあって、その橋渡し役を果たしました。
(1)主の箱がキルヤテ・エアリムに留まってから早20年が経過していました。そして、イスラエルの全家は主を慕い求めるようになっていました。
(2)そのころ、サムエルはイスラエルの全家に、偶像を捨て、ただ主にのみ仕えるように勧めました。そうすれば、主はペリシテの脅威から救い出してくださるというのです。
(3)民は直ちにその勧めに応答し、バアルやアシュタロテを除き去りました。
バアルはカナン人の神で、雷と雨を支配する神、豊穰の神でした。また、アシュタロテはバアルの妻で、愛と戦争の神、豊穣の神でした。バアルやアシュタロテの礼拝には、神殿娼婦との交わりが含まれていました。
〔建国以来最大リバイバル〕
短い記述(5~6節)しかありませんが、ここでイスラエル建国以来最大のリバイバル(宗教改革運動)が起こっています。
(1)サムエルは全イスラエルをミツパに召集しました。ミツパはエルサレムの北およそ10kmに位置する町で、ベニヤミン族の領地にありました(ヨシュア記18:26)。士師時代から、このミツパは国民的集会を召集する場所として用いられていました(士師記20:1、3、21:1、5、8)。
(2)イスラエル人たちは水を汲んで主の前に注ぎ、断食をしました。これらの行為は、主の前に謙遜になり、罪を悔いていることを表わすためのものでした。
(3)イスラエル人たちは、「私たちは主に対して罪を犯しました」と言い、自らの罪を公に告白しました。
(4)この集会は、1日だけのものではありませんでした。ある期間、この状態が続いたのです。これは、サムエルがイスラエルを裁いた最初の出来事となりました。
リバイバルが起きる要因について学んでみましょう。
(1)聖霊の働きかけがありました。その結果、民の心に霊的渇きが生まれたのです。
(2)聖霊の声を聞き、それを民に伝える主の器がいました。それがサムエルです。
(3)民の悔い改めがありました。
彼らは心をかたくなにせず、主の器の勧告に従いました。
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きょうの祈り
イスラエルの神よ。私たちも祖国にリバイバルが訪れるように願っています。どうかその日が一日も早く来ますように、私たちを整えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
民数記5~6、マタイの福音書8
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2024年3月1日(金)☁&☀19℃
3月が始まりました。
「時」というのは確実にやってきます。
どんなに「先」と思っていても「今」となるのは確実。
「先」のことも まさに「今」のように思えましたら、つべこべいわずに備えをするのは当然となりましょう……。
未来を見据える確かな目と現実を体得したいものです。
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clayさんの説明にありました。
今回のお話しは
「大リバイバル」だったのですね。
なるほど、でした。
正直、私的に
「リバイバル」ってどこか
別の世界の言語のようにも感じてしまいます。「宣教者」たちにとってはリアルな言葉かもしれませんけれど、どうも私の日常にはなじみなく聞こえてしまいます。日常は決して「劇的」なものではないけれど、振り返れば、人一人の魂の救いの業に関われました時、しかもそれが、ぞくぞく、という日々を思いました時、その時が個人的な「リバイバル」経験だったのだろうか、とも思いました。
それにしても、
サムエルさん導きのもと、「イスラエル全家」ですから圧倒的な量感の「リバイバル」でありますね。たしかにです。
国民総出の「改心」。
すごいスケールです。
それが、
未来のイスラエルに待っているのだとすれば、やはり「イスラエルの民」って只者ではありませんヨネ。神さまじきじきって凄い。
かつて「日本」も
「国民一体」となることに何の不思議もなかったお国柄だったのですよね。思うと、その資質のなんたるや。真実の神に目覚めてくだされば、日本人もまんざら捨てたものではないかも?と ふと期待に心躍るけれど、壊され続けているという「大和魂」でもあります。願わくは、一人一人が真実に目覚めんことを。
そんなこと思いました。
今日も御言葉をありがとうございました。
尊き主イエスの御名によりて感謝いたします。
今日から始まる3月も
1日1日
常に喜び絶えず祈り
凡てのこと感謝できますように。
ハレルヤ