サムエル記上1章9~11節
〔新共同訳〕
【サムエルの誕生】(3)
9さて、シロでのいけにえの食事が終わり、ハンナは立ち上がった。
祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた。
10ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。
11そして、誓いを立てて言った。
「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」
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(聖句雑感)
「シロでのいけにえの食事」は、どこで行われたのだろう?
「祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた」とあります。
その頃からすでに「神殿」はあった?
ダビデ王がこい願った神殿建設。
そしてソロモン王が建てた「神殿」。
神殿のイメージは「ソロモン神殿」が強いです。
新聖書辞典開いてみました。
■新聖書辞典712p
シロが位置しているのは、エフライム山地の中にある小平野で海抜は低く、豊かな農業物が期待できる地であり、すでに中期青銅器時代(前2200-1500年頃)に人が居住した跡がある。
イスラエルのカナン占領作戦中は、司令部のおかれたギルガルが主要な地点だったが、征服が一段落した後はシロに本拠を移し、会見の天幕を建てた(ヨシ18:1)。
この時からシロはイスラエルの宗教と政治の中心地となった(ヨシ18:8-10,19:51,22:9,12)。
シロが選ばれた理由は明らかではない。
たとえばシェケム(ヨシ24:1,25)やベテル(士30:26)のように、族長たちにまつわる伝承もあって聖所とされた地が同時代にあった。
会見の天幕は以来シロに安置されて、移動性を失っていったようである。
士師記18:31では「神の宮」([ヘ]ベース・ハーエロヒーム)と呼ばれ、ハンナの時代には「主の宮」と呼ばれた(Ⅰサムエ1:9)。
ここでの「宮」は[ヘ]ヘーカルで、王宮などにも使われる呼称である。
このような固定化は、祭儀が盛大になるという方向へ向かうと共に、内容の世俗化という傾向をたどったようで、士師記21章の記事や、Ⅰサムエル記2章のエリの子たちにかかわる醜聞などは、そのような状況を察知させるものである。
それでもなおしばらく、シロの名声はエリの存在により、特にサムエルの存在によって保たれた(Ⅰサム3:21)。
「牧師の書斎」さんにもお邪魔しました。
3. ギルガルからシロへ移動した会見の幕屋
- 第三の特筆すべきことは、神の臨在の場であった会見の幕屋が「ギルガル」から「シロ」へ移動したことです。おそらくシロはエブライム族の相続地の中にあります。指導者ヨシュアがエフライム族であったがゆえにそこに落ち着いたのだと考えられます。シロはサムエル時代にペリシテとの戦いにおいて祭司エリの二人の息子ホフニとピネハスが幕屋から神の契約の箱を持ち出し、敵に奪い取られて栄光が去るまではイスラエルの全体の宗教的中心地でした。
- ダビデの治世においては、契約の箱はシオンのダビデの幕屋に安置され、会見の幕屋はエルサレムから15kmほど離れたユダ部族の町「ギブオン」に移動しています。
⇒ 「契約の箱」の歴史的経緯について
2012.4.3
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「シロ」はエフライム族ヨシュアとの関わりが深いのですネ。
カナンの「征服が一段落した後」、ヨシュアはエフライム山地のティムナテ・セラフに住みます。シロとは近かったのかもしれませんね。
「会見の天幕」が「移動性」を失って「固定化」されて、「神殿」と呼ばれるようになっていった?
祭司エリは「神殿の柱」近くの席にいて、
ハンナの姿を見ていたのですね?
ハンナと祭司エリの距離は近かったのでしょうか?
「会見の天幕」とは、
モーセが神によって建設を命じられた幕屋の名称(出28:43,参照出25:8-9)。神はそこでイスラエルの民と会い、みこころを示し、栄光を現わされた。会見の天幕は、この地上における神の完全な御国の実現するひな型であった。--新聖書辞典296p--
幕屋が建設される第1の目的は、主がイスラエルの民の中に住むためであった。このことから幕屋は「聖所」とも呼ばれている。--新聖書辞典1301--
神の宮。[ヘ]ベース・ハーエローヒーム(士18:1)。
カナン定着後、幕屋はヨシュアによってシロに建てられたが(ヨシ18:1)、それ以来、「宮」と呼ばれることもあった。[ヘ]ベースは、本来は「家」という意味である。
新聖書辞典1303pにあります、
「会見の幕屋」の図を眺めていますと、実に驚いてきます。
幕屋は長方形で、横に東西100キュビト(44.5m)✕縦に南北50キュビト(22.25m)。
東の門から入って、
ちょうど22.25m(50キュビト)に「聖所」があります。
さらに、東の門から「祭壇」までの距離約11.125m(25キュビト)。「聖所」から「祭壇」までもちょうど25キュビト(約11.125m)。美しい均衡を保って配置されています。
「祭壇」の中央から「聖所」へ向かって15キュビト(6.675m)に、「洗盤」が置かれています。「聖所」からは20キュビト(8.9m)。
そして、「聖所」から
ちょうど22.25m(50キュビト)の手前に「契約の箱」があります。
「聖所」の入り口から「至聖所」の入り口までは20キュビト。
約8.9mです。さらに、東の門の入り口から「祭壇」の前までの距離も20キュビト(8.9m)です。
2:1と3:1の均衡。長方形と正方形。
幕屋の柱は、5キュビトに1本の間隔で建てられる。
幕屋の周囲には60本の柱。
東側を向いている聖所の入り口には、アカシヤ材に金をかぶせた柱5本がたち、それに、青色、紫色、緋色のより糸、より糸で織った亜麻布でししゅうした幕がかけられている。柱は、それぞれ青銅の台座の上にのせられている(出26:36-37)。
--新聖書辞典1304---
とあります。
「祭司エリ」は、
「契約の箱が保管されていたシロの聖所の指導的祭司(238p)」とあります。
聖所の中か外かはわかりませんけど、聖所の柱付近におられて、ハンナの様子をご覧になっていたのですね、きっと。
ハンナはといえば、
「婦人」ですから、
東の門の入り口付近か、
祭壇の近くにいた、
ということになるのでしょうか。
・・・。
長くなりました。
「祭司エリ」さんと「ハンナ」さんの距離感がつかめませんが、
でも「祭司エリ」さんは「ハンナ」さんに目をとめ、「ハンナ」さんは「祭司エリ」の関心を引きます。
いよいよ物語が動き出します。
「ハンナは、立ち上がった」。
いつまでもメソメソクヨクヨとふさぎ込まず
「立ちあがっ」って、主のもとにいった。
そして、悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。
神さまに ありのままのありったけを
ぶつける姿に、こちらも勇気を頂ける気がします。
「誓い」まで飛び出してしまいました。
私的には、「誓い」はちょっと尻込みです。
でも、とにかく、
ハンナさんは、立ち上がった。
イエスさまの前に進みでた。
私も、見倣えましたら幸いです。
(ハレルヤ)
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解説を見てみます。
長くなりますが引用させて頂きました。
■BIBLEnavip240p
ハンナには、失望し憤慨するだけの理由があった。彼女は子どもが産めず、自分を嘲笑する女性と夫を分かち合わなければならず(1:7)、夫は愛情深かったが彼女の問題を解決できず(1:8)、大祭司にすら誤解されたのだ(1:14)。
しかし、復讐したり希望を捨てたりせず、ハンナは祈った。
彼女は自分の問題を正直に神の御前に打ち明けた。
私たちもそれぞれ、何も生まれない不毛な---仕事、奉仕、人間関係において---に直面することがある。
何をしても無駄だと感じるときには、信仰をもって祈ることすら難しいものだ。
しかしハンナが見出したように、
祈りは神が働かれる道を開く(1:19,20)。
祈りの中でどんな約束をするかには気をつけよう。神がその約束を受けられるかもしれないからだ。
ハンナは子どもが欲しいあまり、神と取り引きすることすら、いとわなかった。神はハンナとの約束に基づいて祈りを受け入れられた。そしてハンナは健気にも、痛みを感じつつも自分の分を果たした(1:27,28)。
私たちは神と取り引きなどできる立場にはないが、それでも神は約束を伴った祈りに応えてくださることがある。
祈るときには自分に問いかけよう。
神が私の求めに応えてくださったら、私は神にたてたどんな約束でも守り抜くだろうか、と。
約束、中でも神との約束を無視することは、不誠実であり危険だ。
神は約束を守られるが、あなたにも約束を守るよう求められる。
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■clay解説全文
ハンナの祈り
〔祭司エリ〕
どのように祈ったらよいのかわからないのですが、という質問を受けることがあります。どういう言葉で祈ったらよいのかわからないという意味でしょうが、基本的には、どういう言葉で祈るかよりも、どういう心で祈るかのほうがもっと大切です。
神は私たちの心をご覧になるお方ですから、言葉に出さない祈りであっても、それを聞いておられます。
さて、いけにえを捧げて後の食事が終わってから(ハンナ自身は、その食事を食べることはありませんでしたが)、ハンナは立って主の宮に近づき、そこで主に祈って激しく泣きました。
それを見ていたのが、祭司エリです。
彼は主の宮の柱のそばの席に座っていました。
当時の幕屋は、移動式の天幕から、より永続性のあるものに造り変えられていたようです。
〔祈りの内容〕
ハンナは祈りの中で、主に誓願を立てました。それは、もし男の子を授けられるなら、その子を一生幕屋で仕える者として捧げるという誓願でした。つまり、その男の子を生涯のナジル人とするという約束です(民数記6:5参照)。
(1)こうして誕生するのが、サムエルです。サムエルは生まれながらのナジル人となりました。
(2)それとよく似ているのが、士師のひとりであるサムソンです。彼もまた生まれながらのナジル人でした。
(3)両者の違いは、サムエルは母の誓願によってナジル人となり、サムソンは神の命令によってナジル人となったという点です。また、前者はナジル人の誓いに忠実でしたが、後者はそうではありませんでした。
(4)旧約聖書では、生まれながらのナジル人はこのふたりだけです。次に登場する「生まれながらのナジル人」は、バプテスマのヨハネです。
詩篇50:15には、
「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出そう。
あなたはわたしをあがめよう」とあります。
ハンナの祈りは、その招きのことばが有効なものであることを証明しています。
私たちもまた、ハンナの祈りを聞かれた神に祈る特権を与えられています。
私たちの祈りに最高の答を下さる神に祈ろうではありませんか。
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きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。苦難の日にはわたしに呼び求めよ、という招きのことばを感謝します。あなたこそ私の神であることを告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
出エジプト記27~28、ヨハネの福音書13
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2024年2月8日(木)雨17℃
ようやくの雨。
終日の雨のような曇のような。
優しすぎる雨、でありました。
ニュースでは連日貯水率が示されます。
50%だそうです。
とうとう「PFOS(ピーフォス)」問題も
かかさず報道してきた地元TV各局。
結局、
処理後は基準値を大幅に下回るからと、
普段なら放っておく水源地からも
供給水に利用する、
ようなこと言い始めました。
背に腹はかえられない、
といったところでしょか。
理解はできますが、
赤ちゃんや病人を抱えているところは
心配ですよね、やっぱり・・・。
飲料水だけは幸い
ペットボトルメーカー杯ありますからね。
感謝ですね。
今日はとてもドタバタで
疲労感がスゴいのですが、
幸い、PCを開くことができました。
朝のうちに少しだけ
書いておくこともできました。
朝と夜とでは
感覚や感受性もかなりちがってくるように思います。
聖句雑感は、
朝一番で書き留めておいてよかったです。
(たいしたことないですけどネ…)
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解説を読んだあとは、
また 教えられて、
受けとめ方も少し変わってきます。
「解説」に感謝する次第です。
シロの幕屋(神殿)は、
やっぱり しっかりと建てられたものだったのですね。
わたしは、幕屋のままをイメージしていました。
室内であったからこそ?
祭司エリの目と耳にも届いたのですね。
神さましか聞いてない、と思って
ハンナは誰憚ることなく祈れたに違いありませんね。
ある意味、そこに祭司エリがいた、ということは、
神さまからのメッセージだったのかもしれませんね。
「ハンナよ、ハンナ。あなたの祈りを聞いたよ。」
「私に届いているよ」って。
その「証明」としてそこに、
祭司エリさんを置いてくださっていた。
そんな気がしました。
「人」は「人」のために用いられる。
そんなこと 思いました。
なかなか「解説」を自分の頭で
自分のことばで飲み込むことができないでいますが、
少しずつでも教えられていますから感謝です。
今日もみことばに感謝致します。
尊き主イエスの御名によって。
今日それぞれに関わった人々のために
イエスさまのご配慮がありますようにと願います
ハレルヤ
感謝
(^_^)