マルコ福音書15章20~21節
〔新共同訳〕
【兵士から侮辱される】
20このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
【十字架につけられる】
21そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
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(雑感)
そうなんです。
シモンさん。
聖書を読み始めた頃、思いました。
通りがかりの「シモン」さんの不思議。
わざわざ「シモン」さん、なのです。
偶然なのか必然なのか。
彼もまた、聖書に名を記された。
世の中には、
「路傍伝道」で救われた!って方
どのくらいいらっしゃるのだろう?
在東京の頃、私も初めて
道行く人に声をかけました。
東京駅や新宿駅、
「教会へ行きませんか」
それだけでした。
素直について来られる方々が
いらっしゃるのにも驚きでした。
スリランカの青年が一人
とても印象に残っています。
のちに、同郷の女性と結婚し
「教会」へ集っていると聞きました。
また、転勤になったとも聞きました。
彼は、お元気でしょうか。
イエスさまにつながってくださってると
嬉しいです。
「シモン」さん、のちに
イエスさまのお弟子さんになるのですよね。
イエスさまとの衝撃的な出会い。
ほんと不思議ですね。
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解説を見て見ます。
■新実用聖書注解1388P
刑に処せられる者は、自分がはりつけになる十字架の横木を背負い(21)、見せしめのために町中を引き回される。虐待で衰弱したイエスにはそれを最後まで背負う力はなかった。兵士は、通りがかりのクレネ人シモンに横木を負わせた。<アレキサンデルとルポス>(21)とわざわざ記しているのは、当時の読者には周知のキリスト者であったためと想像される。
■BIBLEnavi1000P
ユダヤ人の居留地はユダヤ以外にもあった。シモンは、北アフリカのクレネ/キレネからはるばるエルサレムまで過越の祭りの巡礼をしていた。彼の息子たちのアレキサンデルとルポスは、おそらく初代教会でよく知られていたために、ここで触れられているのだろう(ロマ16:13)。
ローマ16:13
主に結ばれている選ばれた者ルフォス、
およびその母によろしく。
彼女はわたしにとっても母なのです。
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■clay解説全文
十字架への道
〔ヴィア・ドロローサ〕
兵士たちは、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣を脱がせて、もとの着物を着せました。それから、十字架につけるために、イエスを外に引き出しました。
十字架刑は、見せしめの刑です。当時の習慣では、死刑の宣告を受けた者は、十字架を負って刑場まで歩くことになっていました。広げた両手の上に十字架の横木を載せ、それをロープで縛って行進しました。
カヤパの官邸からカルバリの丘まで続く約700メートルの道を、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と言います。
通常は、鞭打ちは刑場に着いてから行なわれるのですが、イエスの場合は、ピラトが鞭打ちだけでイエスを釈放しようとしたために、刑場に着く前にそれが行なわれました。
鞭打ちの刑によって、イエスのからだから大量の出血がありました。もはやイエスのからだは、刑場まで重い木を負って歩けるような状態ではありませんでした。それを見たローマ兵は、そこに居合わせたひとりの男に、イエスの十字架を担がせました。
〔クレネ人シモン〕
シモンというその男は、クレネ(北アフリカの海岸都市)出身のユダヤ人です。過越の祭りの時期、世界中からユダヤ人たちがエルサレムに集まって来ていました。シモンも、そのひとりでした。
彼は、
(1)アレキサンデルとルポスの父でした。
(2)また、後にアンテオケ教会の指導者のひとりとなった「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使徒1 3:1)と同一人物だと考える人もいますが、確たる証拠はありません。いずれにしても、クレネ人シモンは、初代教会の中ではよく知られた人物となりました。
すべては、十字架を担がされたところから始まりました。それは、ローマによる強制労働でしたが、同時に、神の摂理であり、この上ない特権でもありました。
彼は、カルバリの丘まで十字架の横木を担ぎ、イエスが十字架にかけられる場面を目撃しました。
そして、
イエスが自分を十字架につけている人々の罪が赦されるようにと祈られるのを聞き、この方こそメシヤであるとの確信を得たのでしょう。
シモンが経験した苦痛は、最後は喜びに変えられました。
キリストを信じる人は、苦難が喜びに変わる経験をするようになります。
私たちも、喜んで十字架を負うことを学びましょう。
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きょうの祈り
天の父なる神さま。苦難が喜びに変えられることを信じます。どうか私も、主の十字架を喜んで負うことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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年間聖書通読
創世記47~48、ヨハネの福音書 2
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(感想)
解説にありました。
すべては、十字架を担がされたところから始まりました。それは、ローマによる強制労働でしたが、同時に、神の摂理であり、この上ない特権でもありました。
突然の「強制労働」が、実は「神の摂理」であり、「この上ない特権」でもあった。神さまの召命は時に突拍子もないかたちでやってくるんですね。
日常で遭遇するさまざまに、神さまを発見していくことができれば、こんな楽しいことってありませんネ。
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2024年1月24日(水)☁12℃/14℃
豪雪のニュース。
あぁ、この除雪された雪。
沖縄に届けてくれないかなぁ。
なんて、ふと思った。
沖縄は雨も降らない。
夕が来て、朝が来る。
現代人の頭は、午前0時。
人口時計がなくなれば
いつが今日でいつが明日か
わからなくなってしまうネ。
今日も一日終わります。
今日は何を背負ったかな。
荷をおろそう。
今日担いでしまった荷をおろす。
ハレルヤ
主イエスの御名によって
感謝いたします。
おやすみなさい。