こどもの褒め方で僕が注意している点。

それは、「やったこと」で褒めないこと。「やったこと」に対してご褒美を与えないことです。



こどもがなにかをやるに当たり、僕はやはり「ご褒美」は大事だと考えます。

人間、というか、哺乳類の本質をみるかぎり、

「メリット」のないことはしないからです。



でも、子供がなにかを「やったこと」に対して「ご褒美」を上げていると、

子供は、「ご褒美をもらうため」に何かをする、というあまり良くない考え方になってしまいます。




そもそも子供は、お母さん、お父さんが大好きです。

だから、お母さんやお父さんが喜ぶことをやるようになってしまう傾向があります。

しかし、あるとき、子供はお父さんやお母さんを喜ばせてあげられなくなるときが来ます。

たとえば、勉強ができなかったり、運動ができなかったり、ですね。

子供によっては、それでも「親のため」にがんばりまs.

子供によっては、それであきらめてしまい、つねに親に「罪悪感」をもちます。



罪悪感を持つのはもちろん精神的に良くないことですが、

「親のため」に頑張り続ける、というのも強烈なストレスになります。



では、これを回避しつつ、

かつ子供が伸びることを、ご褒美を与えて、そして褒めながら伸ばしていくにはどうしたら良いでしょう?



それは、

子供が「やっていること」、
そして、

子供が「どんな人になっているか」、

を褒め、ご褒美を与えることです。




「日々、成長しようと努力し行動しているね」とか、

「ステキな人間になろうと頑張っているね」とか、

「やるべきことはちゃんとやるようになってきてるね」とか、

「人を喜ばせる人になってきているね」とか、

具体的には、

「トイレ、一人でできるようにとがんばっているね」とか、

「勉強を楽しんでやれるようになってきているね」とか、

そういうことなどに気づき、褒めてあげてください。




しかし、そうなってくると、

親としては、

「どういう人間」であり、

「どういうことをやれる」ようになること、

が良いことなのか、ステキなことなのかを明確にわかっていなければなりません。

つまり、親自身の勉強と成長が求められるわけです。




親がたくさんの人と会い、

たくさんのことをやり、

たくさんのことを勉強すると、

子供がどうなればいいのか、という明確な方向を、理解することができるようになります。




子供の成長がうまくいかないのは、

親である自分が成長するときである、と考えましょう。




また、そうしていると、

逆に子供がどんなことで苦心し、努力しているのかがわかってくるでしょう。

それはやっぱり「結果=やったこと」ではなく「プロセス=やっていること」であるとわかってくると思います。

そして、自分もそういうところを褒めてもらえたら、もっとモチベーションが上がるということが分かると思います。

すると、さらに子供のやっていることに気づき、褒めてあげられやすくなっていくのです。






PS.

個人的にはあまり「教えるような口調・書き方」は好きではないのですが、

「なんか最近ブログ更新していないね。いつも楽しみに読んでいるので待ち遠しい」

「友達がキマさんのブログを楽しみにしているらしいですよ」

と最近よく言われるので、とりあえず無理矢理書いてみました。



みなさんからの「役に立っているよメッセージ」などをいただけると励みになり、書こうと思うので、またメッセージくださいね。

今日はひさしぶりに共感覚教育法について。




「ウタ」というのは陰陽道では、すべてのものが唄っているとされるもので、

あえていうとリズムや雰囲気、そんなものをいうと理解している。




今日は豪雨になっているので、

娘に「豪雨のウタ」を聞かせてみました。

もちろんそんなに長くできないので、数分でしたけど・・・




共感覚で情報を処理するために大事なのは、

まず現象をよく観察することです。

豪雨の音をよく聴き、

それを「ウタ」として認識していく。




大事なのは、

「雨はザー、とかポツポツいう」

という風に「頭」で解釈しないで、

ほんとうに「ありのままの雨の音」を聞くこと。




これは、意外と忍耐力、というか、そこに意識を留めておく能力が入りますが、

それこそ、現代の子供たちには欠けているもののような気がしますから、

じっ・・・・・っと雨の音に耳を傾ける時間をつくってあげることが大事だと思います。




で、豪雨のウタをしっかり聴いたら、

今度はそれを踊りや絵にしてもらいましょう。




子供っていうのは、まだまだ共感覚なので、

案外カンタンにできるものです。




できない場合は・・・教え方は文章では書けませんが、例をしめてあげれば、

あとは楽しんでやってくれるでしょう。




まあ、しかし、

陰陽道、ひいては古代の人々がもっていた自然を捉える能力には驚嘆するところがあります。

「ウタ」という概念で、どれだけ多くのことが理解できるでしょう。




場の空気にしても、

人との関係性についても、

細かい要素をあげていって「それを認識してください」といっても、処理はできません。

でも「ウタ」と理解することで、それは扱えるようになるわけですから、スゴイです。




次には、「どうウタを判断するか」というステップになりますよね、きっと。

美しいウタ、

きれいなウタ、

はずしているウタ、

明るいウタ、

暗いウタ、

軽いウタ、

重いウタ、

元気なウタ、

などなど、いろいろあるはずです。




その次は、

複数のウタの関係になってきますよね。

協奏しているのか、それとも不協和なのか、、、などなど。




「ウタ」は、そういう意味では「アルゴリズム」でもあります。

情報の「整理の仕方」ともいえるのかな。

「ストーリー」とも呼べるかもしれません。




いやはや「ウタ」の力はスゴイです☆
昨日、娘が通う保育園の園長先生、保護者のみなさまとホームパーティーをしました。

とっても楽しかったです~~~★

水口先生や尾畑さんとの縁でなんとなくはじめた「集まる」ということの意味が、

なんか分かってきたような気がしました。

感謝です☆




さて、テーマは変わりますが、

保護者の集まり、

ということで、いろいろを子育てに関して考えることもありました。




今日は、僕がいままでの研究のなかで、

子育てで、親が子供にできることってなんなんだろう、

ってことの1つをお伝えしたいと思います。




なんか前振りが面倒なので、

はっきりいってしまうと、

親が子供に伝えられるものは「言葉」です。




「言葉」というとどういうことかというとですが、

結局は「概念」ということなんですね。

ああ、さっそく難しくなってしまいましたが・・・




人は「概念」によって世界をまさに「切り取って」認知しているわけですが、

その「キリトリ方」の大きな方法の1つが「言葉」なのです。




たとえば、文学作品をたくさん読んでさまざまな言葉をしっていると、

1つの食べ物をとっても、さまざまな表現ができます。

たとえば、

まろやか、芳醇な、鮮烈な・・・とかですね。




でも、言葉を知らなければ、人というのは表現することができない。

表現できないと、実は認識することもできないんです。

「おいしい」という言葉しかしらない子供は、

味の世界を深めることはあまりできない、というわけなんです。




また、私たちが日頃からさまざまな現象などに触れていますが、

それも頭のなかで「言葉」とそれにまつわるストーリーによって、物事を認識しています。



たとえば「仕事」というのがありますが、

親が普段から「仕事イヤだな~~」といっていると、

子供は「仕事はイヤなもの」として認識してしまいます。




一度そう認識すると、基本どんどんその面が強化されていきますから、

子供は「仕事はイヤなこと」という「世界」で生きることになるのです。




でも、

「仕事っていうのは、人生の作品なんだよ」

といって育ってきたとしたらどうでしょう?

まったく仕事に対する認識が違いますよね。




「仕事はお金を稼ぐためのもの」

と信じているのと、

「仕事は、自分の人生の作品なんだ」

と信じて世界を見ているのでは、

どれくらいの違いが生まれると思いますか?

想像できますか?




カウンセリングやコーチングでは、

僕が最終的に突き詰めたところでは、

「概念の書き換え」が一番インパクトが大きいです。




たとえば、

「仕事」



「ミッション」
「任務」

などと言い換えてみたらどうでしょう?

「じゃあ、今日のミッションをしに行っているから。」と朝言ってみてください。

認識がパッと変わりませんでしたか?




同じ行動、同じ現象でも、

使う言葉が違うだけで、まったくイメージも認識も、印象も、そして自分の心持ちも変わってしまうのです。




親が子供に贈ることができるのは、

こういった「人生をステキにするための言葉」なのです。




ぜひ自分の世界を変える、

そして、

子供に贈ることができる、

ステキな言葉を集めてみてください♪




PS.
ちなみに、

現実離れしたような、「ウソ」はいけません。

親が「本当にそうだ。」と自分で信じられる言葉しか、子供には伝わりません。

また、その時は伝わらなくても、大きくなったときに、役に立つものなのです。

言葉というのは、「意味が分かってはじめて意味が分かる」というものだから・・・