昨日、勤め人である友人と話していて、
いわゆる「経営者」と「勤め人」のマインドの違い、というのをわかりやすい言葉で掴んだのでシェアします。


多くの人は、
『労働=有益』
と思っていると思うが、
これは間違っています。


労働というのは
「結果」
ビジネスの場合はそれが「お金」ですが、
これが入ってきたときにはじめて、
「価値」が決まります。


たとえば3年かけたプロジェクトで営業利益で100万円しか入ってこなかったら、
その3年間の労働の価値は100万円です。
時給換算すると週休5日で1日9時間労働だとして
「100万÷(約260日x3年x9)」で142円。
その人の3年間の労働価値は本当は「時給142円」です。
機会損失を考えると、マイナスかもしれません。



また、たとえばクライアントからの依頼で半年かけたプロジェクトがポシャり。
クライアントがキャンセル料を払わず倒産したとします。
この時、どんなに担当者が一生懸命がんばっていたとしても、
彼らは会社には「損害」を与えたことになります。
その期間にもらったお給料も全部返して、そのプロジェクトにかかったコストも全部会社に返済してはじめて「0」。
機会損失を考えると、もっとですね。


「クライアントが逃げたせいだ。私たちは一生懸命働いた」と思うでしょうが、会社的にはクライアントを逃した彼らが悪い、ということになります。
この「損害」を見たら、それは分かりますよね。
この損害が『事実』であり『リアル』なのです。


ビジネスにおいて、
「労働の価値」が生まれるのは、
このクライアントから『お金を受け取ったその瞬間』

です。
それがなければ「労働は無価値」であり、
むしろ上記の例のように、「あなたの労働はむしろ損害」であるかもしれない。



だから、あなたが、会社において自分の労働を「有益」にするために、
あなたは
「これだけのお金を手に入れました」
「これだけの(でるはずの)損害を削減しました」

と言えるようにしなければいけません。


もちろんそれが間接的であるのは構いません。
社内のモチベーションを上げた、とか、
営業をしやすくした、とか。
データを解析しやすいシステムをつくった、とか。



「労働は有益だ」という観念はもう捨てましょう。
どう考えても間違っています。

倫理的には「働くことは有益」かもしれません。
でもそれなら、
倫理的な報酬をもらうべき(=よくがんばったねと褒められる。とか)であって、
「お金」に換算してはいけませんね。

それはそれ、
これはこれで、
分けて考えましょう。

「金銭的な報酬」
「労働」に対して支払われるものではなく
「利益という結果」に対して支払われるもの
だと考えを改めましょう。



ビジネスにおいては、
むしろ働かなくても『お金という結果を出している人』が「価値がある」
のです。
むしろあまり働かないでたくさん利益を上げている人の方が優秀、ということです。



逆に言えば、
どんなことでも
「結果的に価値を生む」ことさえできれば、
あなたの「今」がどんなものであっても「すべてに意味があった」
ことになります。


「今」は問題ではない。
重要なのは「未来」
、ということです。


『終わりよければ全て善し』、、、深いですね。

子どもも小学生になると、

「私は頭がいい」
とか
「私は頭が悪い」
とか、

なんか昔からよく聞いたような言葉を

いまだに耳にするが、

これは悪しき習慣。




僕は、

自分の子どもには、

「頭がいい/悪い」なんかどうでもよくて、

「 自分のやりたいことを実現できるか/

 どんなときでも幸せでいられる力、

 が大事だよ。」



と教えてる。




頭(知能)が高くても

必ずしも人生が良い結果にたどり着かないことは

もはやリサーチで分かっていることだ。

じゃあ「何」をできるようにすればいいか?

それを子どもに教えるのが

親の役割であり、

社会が議論すべきことだと思います。



いい加減「要素論」というか、

「これをもっていたらなになにができるようになるはず」みたいな

そういう発想はやめたいですね。
私たちが子育てや仕事、

自己実現のことを考える上で

あらためて「家族」について考えてみたい。



「家族」とは、

自分の目標の達成のためや、

幸せになるための

もっとも小さな『チーム』である。



この認識を忘れると、

僕が思うに

家族はあまり幸せでいられない。



では、なぜ「チーム」をつくるのか?

それは、

人は、1人ではいられない存在だからであるし、

また人1人では、とても弱いからだ。



たとえば、

私たちが幸せになる上で

「子ども」という存在はとても深く重要だ。




しかし、子どもを育てるには、

仕事もしながらではなかなか難しい。

だから家族という「チーム」を結成する。




チームの数が増えれば、

やれることは増える。

と同時に

制約も多くなるのもまた自然の法則。

これはどんなチーム(たとえば会社)であっても同じだ。




やりたいことがあり、

やれないことがある。

そのなかで、

どうやってそれぞれのチームの構成メンバーの夢や目標を達成していくか

それが「家族」というもののあり方なのである。



家族=チーム

という認識を忘れると

たいがい人生は辛くなる。




相手も自分を応援し、

自分も相手を応援する。

また時に、

相手がチームのために活躍するために

自分がガマンすることもあるだろうし、

自分がチームのために活躍するために、

メンバーにガマンしてもらわなければいけない。

それが良いチームのあり方というものだ。




また、

チームには、

Aが得意な人がいて、

Bは苦手な人がいて、

Cはこの人しかできない、

今はこれしかできなくて、

・・・という風になっているもの。




良き家族とは、

個々の人の目標の達成のため

個々の人の自然と、

時間の流れを読みながら、

チームとして幸せになるように、
みんなでどうマネジメントしていくか、

の一点に尽きるのです。
(★ そのときに「心」という要素を必ず含めることも重要。「一緒にいる」という楽しさや「帰るところがある」という安心感、「私は愛されている」という充足感などもまた家族というチームに求める重要な要素なのです。)




家族には、

「どうでなければいけない。」というルールなんて

自然には、ありはしないのです。




なぜ私たちは集まり、一緒に生活するのか?

そこからぜひ自分の家族のあり方を見つめなおしてみたい。