僕は以前から、

「毎日をもっと感じていきたいなあ・・・」

と思っている。




仕事やらをしていると、

毎日が「あっ!」という間に過ぎていって、

気づけば1年が終わっていたり・・・




で、できればもっとせっかくの人生の時間を

たっぷりと使いたいなあ、と思っていたのだが・・・

今さっき気づいてしまった事実で、

大変なことになった。

今の限りの僕のライフスタイル、そして夢では、

それは叶わないことが分かった。




というのは、

「時間を感じる」

とはどういうことか分かったからだ。





「時間」については、

いろいろな先生から、

いろいろな話を聞いていた。

少なくとも時間は主観的なものだ。




じゃあ、どうやってその「主観的な時間」を長くすることができるか、だが・・・・




結論を書くと、

私たちが感じる時間は

私たちがその時に使っている「脳のエネルギー」と「反比例」する。




ようするにこういうことだ。




私たちが何かをやっているとき、

私たちの時間は短くなる。





なにかを夢中でやっているなら、

私たちの人生はとても短いものになってしまう、

ということだ。





これは、一般的によく言われている「人生の充実」とは「真逆」のことだ。

「人生を楽しむためには、好きなことを見つけて、いっぱいやった方がいい!」

ということのこと。





たとえば、脳が100のエネルギーをもっているとしよう。

もし目の前のことにエネルギーを100使ったなら、

おそらく私たちの脳にある「時間を感じる部位」には、エネルギーはほとんど使われない。





そのために、私たちの主観としては時間は失われてしまうのだ。





逆に、

本当になーーーーーーーーーーーー~~~~~~んにもしていないと、

時間はのんびり過ぎる。


あと、

「極めて単純なルーティンワーク」では、
(作業がパターン化しているので、あまり脳がエネルギーを使わない)

時間は長く感じる。




いやーーーーん、

なんて矛盾やーーーーー!!!!




数十分ほど思っていたが、

今、答えを思いついた。





つまり、

生産的でありながら、

かつ人生の時間を楽しんで生きるためには、

脳の効率を良くするしかない



つまり、

同じ作業をしていても、ムダにエネルギーを使わない、ということだ。




たとえば、

脳によりダイレクトにエネルギー物質を補給するとか、

脳の代謝効率を高めるとか、

脳のエネルギー枠を増大する、

とかの方法もあるかもしれないが、

僕らがスグできることとしては、

それが唯一の、

解決策なのかもしれない。




この件については、

これからも思索が必要なので、

また新しい気づきがあれば、報告していきますね★



煩わしいことも多いけれど、

いつも人と賑やかに一緒にいよう。





これこそが、人の幸せの本質。




お互いに大事にしあえる人を見つけ、

一緒にいよう。




もちろん四六時中一緒にいろ、というわけではない。

また、

お互いに100%相手を尊重することなんてできないから、

煩わしいことは多々ある。

静かな時間、一人の時間もたまに欲しい。



だけれども、それでも、

やっぱり人と一緒にいるのが、

結局一番幸せなのです。





全ては過ぎ去り、

また別れていくものだから、

その煩わしささえ、いつの日には最高に幸せな日日だったと、感じる日が来るだろう。





100%は現実には存在しない。

だから、

「100%自分の思い通りに」とか「100%自由に」なんてことはありえない。




だったら、

その煩わしさのなかで、

よりお互いに尊重できる道を、

探しながら過ごすのが一番だ。




賑やかさこそが宝なのだ

とぜひ覚えておいて欲しい。




もしあなたがそんな人たちを探しているなら、

この考えを共有し、

お互いに大事にしあえることをお互いに考えながら、

そして一緒に幸せになっていける方法を話し合いながら、

過ごしていける人を求めてみてください。




大事なのは、決して完全に離れてしまわないこと、顔を合わせること。

夫婦円満(
ケンカはOK。)の秘訣は、とにかく寝室を同じにしていることが、大事ですよ★
自分が今体験している感覚を、

何かと関連付けて意味や理由を探すのをやめてみよう。





これは今、セッションをしているクライアントさんとのやり取りの中で気づいたこと。




どうやら多くの人は、

現実



想像

の区別がつかず、

それが大きな悩みを生んでいるようだ。




その最大の要因は「関連付け」だ。




たとえば、

あなたが誰かと付き合っているのに、

他の異性と話した時に「ドキッ」としたとしよう。




この時、

ある人は、

「自分は浮気をしようとしているのではないか?」

「自分はもうパートナーを愛していなんじゃないか?」

とか思って、悩んでしまうわけだ。




別の例では、

あるラーメンを食べた時に、

「うまい!」

と強く感じたとする。




そういう時に、

「私はラーメンが好きだったのか?」

とか

人によっては、

「意外と私は庶民的な食べ物が好きな人間なんだ」

とか思ったりする。




これは、あくまで例で、

本当はもっと広く同じようなことがいつも起こっていて、

これは、「ある1刺激」に対して、

何かいろいろと別な意味合いをくっつけてしまう、

ってことだ。




もちろん、それは人間が人間たる素晴らしい理由でもあるのが、

本質的には、

「ある1つの体験」は、

「ある1つの感覚」としか関連していないです。





つまり、

その瞬間にその時だったからこそ、

たまたま起こったことでしかなかったりするものだ。




ある異性と話したときにドキッとしたとき、

本当は、

ただその時にドキッとしたに過ぎない。




あるラーメンを食べて「うまい!」と思ったのは、

ただそのラーメンをその時に「うまい!」と感じたに過ぎないのだ。



これだけが、私たち人間にとっての
唯一の現実

なのだ。




・・・が、多くの人は、

上で書いたように自分で自分が浮気しているのじゃないか?

自分は庶民なんだ、

なんて疑いを持つことで、

「自己暗示」をかけていってしまう。

そして、本当にそういう人間になってしまうのですよ。




そういった「連想」自体は、良い。

だけれど、それはあくまで

「頭の中での連想にすぎない」

と理解すると良いです。




想像のなかでの快感や苦痛は、

想像のなかでの快感や苦痛でしかない、

です。

これは現実のものとは別なんですね。

「ある1つの想像(という体験)」に対して「ある1つの感覚」があるだけ。




イメトレなんかで、それをうまく利用する方法はあるけれど、

ほとんどの人は、

逆、つまり不安や心配になる方向にしか使っていないですね。




もしアナタが悩んでいることがあるなら・・・

純粋な体験とそれからの感覚、



それに対する意味付けや関連付け、

をやめてみましょう。


「ひょっとしたら、◯◯な経験と、■■■という自分が悩んでいる問題とは、関係がないんじゃないか?」

と考えてみるだけでも、新しい道がひらけるかもしれません。




今日はちょっと難しかったかな?