自分が今体験している感覚を、

何かと関連付けて意味や理由を探すのをやめてみよう。





これは今、セッションをしているクライアントさんとのやり取りの中で気づいたこと。




どうやら多くの人は、

現実



想像

の区別がつかず、

それが大きな悩みを生んでいるようだ。




その最大の要因は「関連付け」だ。




たとえば、

あなたが誰かと付き合っているのに、

他の異性と話した時に「ドキッ」としたとしよう。




この時、

ある人は、

「自分は浮気をしようとしているのではないか?」

「自分はもうパートナーを愛していなんじゃないか?」

とか思って、悩んでしまうわけだ。




別の例では、

あるラーメンを食べた時に、

「うまい!」

と強く感じたとする。




そういう時に、

「私はラーメンが好きだったのか?」

とか

人によっては、

「意外と私は庶民的な食べ物が好きな人間なんだ」

とか思ったりする。




これは、あくまで例で、

本当はもっと広く同じようなことがいつも起こっていて、

これは、「ある1刺激」に対して、

何かいろいろと別な意味合いをくっつけてしまう、

ってことだ。




もちろん、それは人間が人間たる素晴らしい理由でもあるのが、

本質的には、

「ある1つの体験」は、

「ある1つの感覚」としか関連していないです。





つまり、

その瞬間にその時だったからこそ、

たまたま起こったことでしかなかったりするものだ。




ある異性と話したときにドキッとしたとき、

本当は、

ただその時にドキッとしたに過ぎない。




あるラーメンを食べて「うまい!」と思ったのは、

ただそのラーメンをその時に「うまい!」と感じたに過ぎないのだ。



これだけが、私たち人間にとっての
唯一の現実

なのだ。




・・・が、多くの人は、

上で書いたように自分で自分が浮気しているのじゃないか?

自分は庶民なんだ、

なんて疑いを持つことで、

「自己暗示」をかけていってしまう。

そして、本当にそういう人間になってしまうのですよ。




そういった「連想」自体は、良い。

だけれど、それはあくまで

「頭の中での連想にすぎない」

と理解すると良いです。




想像のなかでの快感や苦痛は、

想像のなかでの快感や苦痛でしかない、

です。

これは現実のものとは別なんですね。

「ある1つの想像(という体験)」に対して「ある1つの感覚」があるだけ。




イメトレなんかで、それをうまく利用する方法はあるけれど、

ほとんどの人は、

逆、つまり不安や心配になる方向にしか使っていないですね。




もしアナタが悩んでいることがあるなら・・・

純粋な体験とそれからの感覚、



それに対する意味付けや関連付け、

をやめてみましょう。


「ひょっとしたら、◯◯な経験と、■■■という自分が悩んでいる問題とは、関係がないんじゃないか?」

と考えてみるだけでも、新しい道がひらけるかもしれません。




今日はちょっと難しかったかな?