自分が悩んでいる問題について、

「自分がどんな感情を頂いているのかだけ」

をしっかりと気づき、

その感情を大事にしてみましょう。





さまざまな問題がうまく解決できなくなるのは、

その「出来事」と、自分の「感情」がからみ合ってしまうからだ。




もちろん、だからといって「感情が悪い」といっているのではない。





感情は、

極めて本質的であり、

また過去の自分の歴史とも関係していたりするから、

「感情」は感情で、とても大事だ。




ただ、その起こった感情は、

必ずしもその時に起こった出来事と直接関係しているわけではない。




だから「問題」というのは、

「自分の感情」
(例: 怒っている、とか、悲しんでいる、とか)


「純粋な出来事」
(例: ある人が「◯◯」といった、とか、■■がなくなった、とか)

に分けて取り扱ってみよう。





「純粋な出来事」とは、

誰がみても、

「ああ、そういうことが起こったのね」

と分かる、

「価値判断を含めない事実」のこと。




今回はこちらにはあまり踏み込まないが、

「自分の感情」を大事にする方法は、

とにかくしっかりとそれを味わってみる

ということだ。





しっかり味わっていると、

何で自分がそんなに傷ついたのだとか、

自分がなぜ怒ったのか、

などがわかってくる。

心の奥の奥の方にあった原因が・・・・





人というのは、

感情があまりにエスカレートし、

それを自分自身できちんと認識すると、

おそらくこれまた防衛本能で、

自分を客観視するために冷静になれるのだ




もし自分が感情的になっていることが気づいた時には、

自分が「自分の感情」にしっかり気づき、

味わえていない証拠。





そんなときは一度、

「自分は今、どんな感情を持っているのだろうか?」

と自分にといかけてみましょう。



友人や知人を、

自分がどんなに不幸か、

自分の周りでどんな悪いことが起こっているか、などの

「不幸」について話しあったり、共有するのはやめよう。




人というのは、

とかく集まると、

「◯◯な問題が起こって大変なんだよ」

とか

「××ばっかりでいやねえ。」

とか

自分の周りで起こっている問題についてばかり、

話をしたがるものだ。




これは「防衛本能」のためで、

「危険」なものに意識が向いてしまうためだが・・・




潜在意識、とかに多少くわしい人なら分かると思いますが、

人というのは、

意識しているものに近づき、

意識しているものを現実かしてしまう、

わけですから、

どんどん不幸になっていくんですよね。




ちょっとこっぱずかしいかもしれませんが、

1日5分でも友人と

「こんな幸せなことがあった」

とか

「こんなことが楽しかった」

とか

「こんなことをやってみたい」

とか

「こんな風になってみたい」

とか話し合ってみましょう。




それだけで、

知らない間に毎日に、幸せがグーーーーんと溢れていきますよ♪
「キマさんは自由そうでいいですね。」

とよく言われます。




でも、僕は、

自分的には「自由」とは思っていないんですよね。




僕だってたくさんの制約があり、

やらなきゃいけないことがあり、

守っているルールがあります。




でも、たしかに、

心では少しの「不自由さ」も感じていません。

で、

なぜなのか?

というのを考えてみました。




僕は、

「自由」というのは、

「自分決めること・選択すること」


だと思います。




僕はときどき、というか当然仕事柄、相談とかにのっていて、

「イヤならやめればいいじゃないですか。」

ってよく言う。




「・・・でも・・・」

って言われるんですよね、みなさん。




「分かりました!じゃあ、どうしましょう?」

とか言ってくれる人って、あまりいないのです。




僕は子供の頃から、

いろいろと批判にさらされてきたけれど、

それは僕がやっぱり、

自分で納得出来ないことは受け入れなかったし、

やらなかったからだと思う。





それで「損」をしたことはいっぱいあったと思う。

他の人より多かったと思うんですよ。(苦笑)

・・・でも、「納得した人生」を送っています。




僕は今の社会や、仕事の仕方とか、

まあようするに世の中やみんなの考え方がすごく納得できなくて
(なんか自然じゃないなあ・・・って思った!)

だから、

「それって本当なの?」

「そんなん絶対に違うよ。」

「別のやり方って絶対にあるはず・・・」

とずっと思い続けてきたわけです。




僕は、

「好き」ではなくても、

「納得」できることなら、

僕はやっています。

つまり

「自由=好き勝手」という風に生きているわけではない

んですよね。





社会にこうこうこういう苦しみや大変なことがある、

でもそれは自然においてそういうものなのだ、

と納得すれば、自分で受け入れることを決めてきました。

そうしたら、大変だけど、苦しくない。




たぶん、「自由」って、そういうことじゃないかな?

自分で意識的に選択していく・決断していく、

ってことだと思うんですよ。




もちろん「あきらかな決断」をしないものだってたくさんあります。

でもそれは、「別に大したことじゃないからいい。」と決めてるわけなんですよね。

(でもたぶん、ほとんどの人が「そんなことまで一々考えてる!」って思うことまで、いちいち吟味してます。苦笑)




「自由=好き勝手できる」「自由=解放」

と捉えると、

それで人生は、っていうか私たちヒトがうまくいかないことは、

今は僕はわかってるんです。




人ってそもそもそんなに四六時中やりたいことがあるわけではないし、

そもそも物質が存在する限り、本当の「好き勝手」なんてありえない。

また、そんなことをしていたって、心の充実感がありません。




足元の定まらないところで何ができるか、といって、

私たちは何もできません。

私たちは大地に生きる生物ですからね。




子育てや、

家族のために働くのだって、

僕は自分で「やる。」と思ったから、

やっていてすこぶる幸せです。




子育ては昔から「したい」と思っていたにしても、

子育てに関わって起こること100%を全て「したい」、

とおもってるわけがありませんからね。




「子どものため」にヒーヒーいいながら、

カラダに鞭打って、子どもにとって良い機会を与えていても、

浅い部分では苦しいけれど、

心の深い部分は完ペキに充足しています。




人生はいつだって自分で決められるんです。

納得できないことがあるなら、

違う選択肢をいつまでだって追い求めて、

トライ&エラー&トライ、を繰り返せばいい。




追い求めるのが苦しいなら、

それをあきらめることを決断したって心は楽ですよ。

ただ、自分で意識的に決めれば、ね。




ところで、

誤解を招くとあれなんで補足ですが、

「嫌だからやめる!」

ってなんでもスグやめちゃうのは、

実は「自分で決めた」のではなく、

周りに翻弄されただけなので、

決して幸せにはなりませんよ。




嫌だったら・・・

納得できるまで追求し、闘うしか、

「自由さ」は得られないのです。