「キマさんは自由そうでいいですね。」

とよく言われます。




でも、僕は、

自分的には「自由」とは思っていないんですよね。




僕だってたくさんの制約があり、

やらなきゃいけないことがあり、

守っているルールがあります。




でも、たしかに、

心では少しの「不自由さ」も感じていません。

で、

なぜなのか?

というのを考えてみました。




僕は、

「自由」というのは、

「自分決めること・選択すること」


だと思います。




僕はときどき、というか当然仕事柄、相談とかにのっていて、

「イヤならやめればいいじゃないですか。」

ってよく言う。




「・・・でも・・・」

って言われるんですよね、みなさん。




「分かりました!じゃあ、どうしましょう?」

とか言ってくれる人って、あまりいないのです。




僕は子供の頃から、

いろいろと批判にさらされてきたけれど、

それは僕がやっぱり、

自分で納得出来ないことは受け入れなかったし、

やらなかったからだと思う。





それで「損」をしたことはいっぱいあったと思う。

他の人より多かったと思うんですよ。(苦笑)

・・・でも、「納得した人生」を送っています。




僕は今の社会や、仕事の仕方とか、

まあようするに世の中やみんなの考え方がすごく納得できなくて
(なんか自然じゃないなあ・・・って思った!)

だから、

「それって本当なの?」

「そんなん絶対に違うよ。」

「別のやり方って絶対にあるはず・・・」

とずっと思い続けてきたわけです。




僕は、

「好き」ではなくても、

「納得」できることなら、

僕はやっています。

つまり

「自由=好き勝手」という風に生きているわけではない

んですよね。





社会にこうこうこういう苦しみや大変なことがある、

でもそれは自然においてそういうものなのだ、

と納得すれば、自分で受け入れることを決めてきました。

そうしたら、大変だけど、苦しくない。




たぶん、「自由」って、そういうことじゃないかな?

自分で意識的に選択していく・決断していく、

ってことだと思うんですよ。




もちろん「あきらかな決断」をしないものだってたくさんあります。

でもそれは、「別に大したことじゃないからいい。」と決めてるわけなんですよね。

(でもたぶん、ほとんどの人が「そんなことまで一々考えてる!」って思うことまで、いちいち吟味してます。苦笑)




「自由=好き勝手できる」「自由=解放」

と捉えると、

それで人生は、っていうか私たちヒトがうまくいかないことは、

今は僕はわかってるんです。




人ってそもそもそんなに四六時中やりたいことがあるわけではないし、

そもそも物質が存在する限り、本当の「好き勝手」なんてありえない。

また、そんなことをしていたって、心の充実感がありません。




足元の定まらないところで何ができるか、といって、

私たちは何もできません。

私たちは大地に生きる生物ですからね。




子育てや、

家族のために働くのだって、

僕は自分で「やる。」と思ったから、

やっていてすこぶる幸せです。




子育ては昔から「したい」と思っていたにしても、

子育てに関わって起こること100%を全て「したい」、

とおもってるわけがありませんからね。




「子どものため」にヒーヒーいいながら、

カラダに鞭打って、子どもにとって良い機会を与えていても、

浅い部分では苦しいけれど、

心の深い部分は完ペキに充足しています。




人生はいつだって自分で決められるんです。

納得できないことがあるなら、

違う選択肢をいつまでだって追い求めて、

トライ&エラー&トライ、を繰り返せばいい。




追い求めるのが苦しいなら、

それをあきらめることを決断したって心は楽ですよ。

ただ、自分で意識的に決めれば、ね。




ところで、

誤解を招くとあれなんで補足ですが、

「嫌だからやめる!」

ってなんでもスグやめちゃうのは、

実は「自分で決めた」のではなく、

周りに翻弄されただけなので、

決して幸せにはなりませんよ。




嫌だったら・・・

納得できるまで追求し、闘うしか、

「自由さ」は得られないのです。