個人的にも研究が深まり、

また教育法についても想いを巡らせること数年・・・

ついに私も、自分が学んできたものを伝える「場」を決めることにしました。




1つは、

「幸せになる会」。




これは、月2回、

参加者みんなにそれぞれのプライベートな悩みや疑問、「こうしたい!」ということを質問してもらい、

それに私が答えたり、練習方法などをアドバイスしみんなでやってみたりするものです。




私は、セミナーや研修、講義や自主学習などなども考え、

この方法がもっとも効率よく、みなさんに私が学んできた・習得してきたものが伝わる、

と分かったからです。

ようするに、日本の古来の教育法なんですけどね。





なんでかっていうと、

知識や技術というのは、

「全体性」が欠かせないものだからです。





講師は、普通は、

「自分はこういうところが大事だと思う」という部分を抜き出して教えていくわけですが、

実は、その人個人という全体性と、密接に繋がっているものなんです。

世界観や、とても抽象的な感覚であったり。

それはやはり「場をたくさん共有する」ことでしか伝わりません。





意識で学ぶことは、じつはそれほど大きな変化がもたらしません。

無意識の学びこそが大きい。

だからこそ、月2回(1回でも可能)、

毎月同じ場を共有していくことで、

あなたにも知らない間に幸せな習慣・世界観・行動が身に付く、

というわけです。




関西は月1万円、関東は交通費なども考えて1万5千円の予定で考えてます。

もちろん連続で来てくれた方がいいので、

回数券なども考えてます。

返金保証の予定。





次にカウンセリングですね。

私がおつきあいして、

あなたの問題や悩み、「こうしたいけどうまくできない」とか、

潜在的な能力の開発を、

「あなた自身を探る」ことにより発見しよう、

という試みです。




場所にもよりますが、1時間3000円くらいでどうか、と考えています。




ぜひお楽しみに。
前回の続きです。




「じゃあ、私たちには、失敗や挫折しか、ないんかいよー!」

と嘆かれるなかれ。




嬉しいことに、

私たちには、

自然の法則を逸脱した、

というか、

【超】自然の法則、

といったものが与えられています。





それが、



であり、

意識

です。





私たちの心や意識は、

どんな状況においても、

そしてどんな制限を受けても、

羽ばたくことができます。




もちろん、


心や意識は、

前述の「自然の法則」に支配されたモノの上に創造された「家」ですから、

その影響は受けます。




だから、

食事やら、

日照条件やら、

磁場やら、

その他なんやらかんやらの物理的影響を大事にしないと、

その「家」の「基礎」が揺らいでしまうのは間違いがありません。




でも、

それでも、

心や意識は羽ばたけるのです。




羽ばたく方法を覚えた心や意識は、

基礎である大地が動いても、

羽ばたき続けることができます。




だから、

心や意識を鍛え、

また大きく広げていくことが

とても大事なのです。




心と意識こそが、

私たちを悩ませる原因そのものでありながら、

また、

私たちに与えられた「宝物」なのだといえるのです。
今、世界中には、

さまざまな自己啓発法・成功法則が氾濫しておりますが、

西洋発のそういった類のものは、

実は決してうまくいかないわけです。




というのは、自然を法則を、最終的に無視しているからです。




自然、

というと、

さも「やさしいもの」であるとか、

「うまくいくもの」であるとか、

「生命を育むもの」であるとか、

ついついそう思いがちなわけで、

西洋における「神」についてもそうなんですが、

自然にしても、

神にしても、

つねに「優しい」と同時に「冷酷」でもある、

という側面は忘れてはいけないんですね。




生きているものは全て死にますし、

カタチあるものはすべて必ずチリと化します。




しかし、

西洋的、

まあ、最近は日本の方でもほとんどがそうですが、

そういった部分を踏まえていない。




なんとかいじくって人間の理想に合うように応用しよう

これが発想のもとなわけです。




自然において、

神において、

ダメなものダメ

こういう発想、

なんというかな、

根本的なパラダイムが相変わらず変わっていないので、

ゼッタイに思った通りにはいかん、

とそういうわけです。




正直に、

「これをやったら他の人よりも成功できる、かもしれない確率、が上がります」

というならいいんですけどね、





当たり前ですが、

私たちは「他のなにかより上手にする」ということはできます。

これは自然の中にあって当たり前で、

上手にできるものが、

生き残る、というわけです。





ただまあ、宇宙というのは広大ですから、

なにか1つできたことが、

本当に「生き残る」という目的に合致しているかは分からないのですけどね。




日本では「負けるが勝ち」という言葉もあり、

短い時間のスパン、また微視的には「負けた」と感じることがあったとしても、

もっと長い時間、巨視的には「勝っている」ということもあるわけです。




西洋的な方法論には、

これがない。

だから、

もちろん必ず数%はうまくいく人が出る(これは自然発生的に出る)

と同時に、

ほとんどの人はうまくいかないんですね。

また、うまくいった人も、

次の瞬間には、

別の問題に悩まされるもんなのです。




東洋の、

というか

古い中国や、日本の伝統的な発想では、

そうではないんですよね。




負ける、折れる、失敗する、はゆるがない自然の常です。

だから、

それとどうつきあっていくか、

自分たちをどう変えていくか、

という発想なのです。

だから「無我」という方向にいかざるを得ない。

または「無我」とはいわないまでも、

自由闊達な自己、

とどまらない自己、

川に浮かんだ小舟のように、流れに従ってクルクルと方向を変える自己、

そんなものを目指すわけです。





西洋の成功法則や自己啓発は、

そんな自己の上ではじめて、(あくまで一時的な)理想を築くために、成果を生むものなんですね。




ひょっとしたら、これは日本の地盤なんかに関係しているのかもしれません。




日本の大地は、

地震のよく起こる大地で、

いってしまえば、ぐずぐずの「動く大地」なんですよね。

西洋的には「大地」といえば「ゆるぎない」という印象であるのと、

よく考えると大きく違います。




ゆるぎないならば、そこに固い建物を建てれば崩れません。

しかし、日本では、どんなに固い建物をたてても、

大きな地震がくれば一発、

カンタンに崩壊してしまいます。

つまり、人間がどんなにがんばっても、

まず「必ず動く大地」がある。

だから、身近に常に変化し、破壊をもたらす「自然の力」を感じていたのかもしれません。





私たちは、つねに「死」に向き合っていかなければならない。

自分だけでなく、

家族や友人の「死」ともつきあって生きなければなりません。

そして、「病気」「老い」ですよね。





それは、私たちにとっては「失敗」「挫折」なのかもしれません。

でも、それが私たちが生まれている自然の姿なのです。



なので、

失敗、挫折、崩壊、苦しみ、病気、死、別れがありき・・・

でなければ、およそ意味がない、といえるでしょう。