下で肝心なことを書き忘れたが、

「大丈夫、大丈夫」とかいいながら強がる(で、あとで愚痴をいう)前に、

素直に他人に応援を頼んでみれば良い、のだと思うのである。


そういうと、

「助けを頼んでも何もしてくれなかった!」

なんて声がよく聞こえるのだが、

そういう場合は、ほとんどの場合、本人は大してなにもしていない場合が多い。


一度断られたらあきらめた。

一度お願いしてあとはなにかしてくれるのを待っていた。

なにを助けて欲しいのかいわなかった。

などなど。。。


他人は、助ける気はあっても、みんな忙しいものだ。

本人が必死でないものに、なぜ他人がない時間を割いて応援してくれるというのだろう。


自分も必死になって自分でできることはやりながら、

他人にも何を応援してもらいたいか、どうしたいかを伝えると良い。

そうすると、たくさんの人に応援をしてもらい、

そして、愚痴をいわない幸せな人生を送ることができるだろう。


とにかく愚痴は、人生を不幸にする。

愚痴を言う前に、自分が何をやっているのかを考えてみよう。

やっぱりほぼすべての問題は、自分の問題なのです。

人間ってのは、本当に理不尽で、非合理的だなあ、と思うときが時々あるものだ。


たとえば、

他人に助けを求めず、応援も求めずに、

「誰も私を助けてくれない!」

「私はいっぱいしてあげているのに、あの人たちはちっとも返してくれない!」

なんてプリプリしている人を見るものだ。


ハハ、

なんて笑えてくるかもしれないけど、

案外あなたもそうかもしれない。

世の中には結構たくさんこういうもらい下手、

というか、そもそも自分で助けや応援を(無意識に)断っておきながら、

一人で怒ったり、悲しんだりしている人がいるものだ。


もちろん、ぼくもその一人かもしれないから、笑っていられない。



他にも、

何かの悩みを抱えているときに、

友人に相談する人がいる。

なぜ専門家に相談しない?


聞いてみると、「専門家に相談するほどではないから・・・」

なんていったりするが、

案外と人生の長い時間(1年とか2年とか)を、その悩みに費やしていたりするものだ。



と、いいはじめると、

「私は専門家に相談しているんですが、解決しないんです。」

なんていう人がでてきたりする。

でもそういう人は、自分の求めることを与えてくれる専門家に話を相談していないことが多い。


人間関係の悩みを、家庭がそう幸せでもない心理カウンセラーにきいてどうするんだろう?

ましてや、それを素人の友人に聞いて、解決するとでも思っているのだろうか・・・?


まあ、相談するのはいいのだけど、

それなら悩むべきではない。

悩むなら解決したら?と思うのだが、

まあ、人間、実は悩みを解決したいわけじゃない人って結構多い。

ただ「相談していること」が好きだったりする。


そんな状況をみていると、

なんで僕は人の心なんかを真剣に研究しているのかな?

と思う時がある。

あまり求められていないよね。


とはいえ、僕もまた、自分が興味があって研究しているだけにすぎないのだろう。


なんか人間って本当に不思議だよな。



PS

ちなみに、ようやくやろうとしているセミナーの内容が固まってきた。

それは「毎日幸せ!になるセミナー」

今、巷では「成功」するためのセミナーがいっぱいだが、

正直いって人口の1%しか成功なんてしないのだ。(理由は今はいわない。)

でも、「幸せ」になら、誰でもなれるし、「夢」なら叶えることができる。

だから、毎日幸せでいるための方法を教えたいとおもった。

というのは、僕はずっと「成功」ではなく「幸せ」になる方法を研究してきたんだ、と思い出したからだ。

だから僕は、完全に幸せになった。

最近あえて悩んでいる(といっても大して悩んでいやしない)のは、ずっと目標だった「幸せ」を手に入れてしまったから、じゃあこれからどうすっか?

ってことで、じゃあ「成功」してみようかな?とおもってがんばってみてたんだけど、

やっぱりあんまり興味がないからモチベーションが湧かないんだな。

でも、これって、同世代やもっと若い世代も同じだってことを僕は知っている。

ああ、そうか、じゃあ素直に「幸せになる方法」を教えたらいいのか。

そう思ったんだ。

それがきわめて日本的だしね。

そんなこんなで、9月の頭には第1回をやろうと予定した。

そんな1日でした。




ここ数ヶ月(といっても1ヶ月に2回くらい)、英語の発音矯正の教室にいっていて思いついたことがある。

それは、昔の日本の文字を使って、英語の音を表して教育していけば、日本人にも簡単に英語は聞けるんじゃないか?
ってこと。

というのは、発音を勉強していてよくわかったのだけど、
日本人が「聞き取れない」と思っている音、というのは、たぶん古い日本語には存在していた。

ただ、日本語が今の50音に制定されてしまったときに、その音を消してしまったのだ。


たとえば、「じ」と「ぢ」だ。
文字は違うのに、音はいちおう一緒になっている。
でもこれをきちんと分けて発音するようにしたら、きちんと英語の発音ができるようになる。

『発音ができる』ということは『音の違いを認識できる』ということ。
つまり、『音が聞き分けられる』ということだ。


余談だが、英語を学ぶ人は、まずとにかくはじめに『発音』の学校に行くことを進める。
音がききとれるようになれば、英会話学校や留学にいったときに、ネイティブの英語スピーカーと簡単ながら話をし、間違ったところや、新しい表現を教えてもらうことができる。

僕が留学などをしていて、日本人が他の言語の人とあきらかに違うのは、
「話している音が聞き取れない」
ということだった。
だから、どんどん内気化し、「Yes,Yes.」というようになっていく。

これは海外留学経験者なら分かると思うが、
なにか分からないことを質問するが、相手の答えが聞き取れないのだ。
だから、日本人は分かるようになるまで一人で勉強を続ける。

「言葉は慣れだ。」
ともいわれる。
実際、他の言語圏出身の人は、文法も単語もめちゃくちゃだけど、話ができてしまう。
「それ間違ってるよ。」「意味わからないよ。」「じゃあ、どういったらいいの。」「○○○といったらいいんだよ。」という話ができるからだ。

だから、相手の話している「音」さえ認識できれば、英語の学習速度は一気に上がるのだ。



話がそれたが、
まあそういう理由で、日本語にもそういう英語の音を日本語として取り入れたらいいのだ。
だって、昔は使っていたんだもん!

すでにパソコンではタイプができないが、今は「い」と読む古い文字や「え」と読む文字もある。
でも、あれも本当は「い」じゃないし「え」じゃない。

探せば、きっと日本語のなかに、英語の音をもつものがあるんだ。

それをつかえば、日本語をつかっていても、自然に英語の音がみにつくって寸法だ。


だれかやらない?