新潟震災ボランティア日記*わたしにできる何かを見つけよう! -6ページ目

マンホールが…

ひび割れて浮いてます

あっ!

何だ?

山が!

行き止まり!

道が…

まっすぐ行けない!

穴?

何かが見える?

28日朝の状況(現地からの連絡は入っていません)

*管理人代筆*

昨日の余震以来、現地からの情報が途絶えています。
きっと、携帯電話を見る暇もなく、忙しくしているのだと思います。

たくさんのご訪問、リンク、トラックバックをありがとうございます。

このblogを見てくださった方が、

「テレビには写らない、マスコミ報道陣の姿が気になるようになった。
昨日の救出劇も、実にいいアングルで撮られていた。
ということは、カメラは間違いなく救援隊員にとって
邪魔な場所にあったに違いない。」

と、日記に書かれていました。
テレビを見ていると、「そんなことを聞いて、放送して何になるの?」
というような報道が多い。
マスコミに対しての怒りの声をあげることも、ネットユーザーができる
小さな支援かも知れません。

救援物資に関するお問い合わせをたくさんいただいております。
お気持ちは、ほんとうに有り難いものだと思います。

ただ、現地の状況は、刻一刻と変化していますので、
どこへ、何を届けるべきか? その判断はなかなか難しいと思います。

下記で、「今、どこで何が必要か? 送っても大丈夫か?」
という照会ができるそうです。

*新潟県災害対策本部出納係
TEL:025-280-5987
FAX:025-280-5989
Mail:kyuen@mail.pref.niigata.jp 
受付時間 8:30 ~ 20:00

*上記窓口に「連絡先」、「物資名」、「数量」等をご連絡ください。

現地からの連絡が入り次第、また情報をアップいたします。

27日朝の状況。

救援活動5日目の朝。
ボランティアスタッフにも、ようやく周辺を散歩する余裕が生まれました。

気温は5度。雨が降っていたので冷え込んでいます。
歩いていると、倒壊しかけた民家がいくつもあります。

これからのことを考えると、まだまだ先は長そうです。

救援物資(古着)に関する質問をいただいておりますが、
市役所に確認をとってから、また改めてお返事いたします。

炊き出しや配給の合間をぬって連絡しているので、
時間がかかるかも知れませんが、しばらくお待ちください。

やがて朝が来た。

1階に降りると、他のボランティアの姿も見えず、
近くにあった川沿いの公園で野宿しようと思って
市役所の玄関を出ようとしました。
すると、そこに物資のトラックが。
その回りに市役所の職員さんが。
(もうかなり疲れた表情でした。)

「手伝っても良いですか?」と聞いて、
毛布、水、食料…と次々に来る大きなトラックから
ばんばん荷物を運びました。
1台、また1台と途切れないトラック。
少しの休憩時間は役所の玄関で座りこんでました。

その間にも大きな余震は途切れず、
その度に「地震が発生しました」という
機械の声が警備員室から響き…

物資を運ぶうち、出会った一人のボランティア。
彼は東京から駆けつけ、私と同じように
受付時間が終わっていて、明日の朝まで時間があるから
手伝っているとのことでした。
よく聞くと、沖縄出身!(しかも同い年、隣街)

やがて朝が来ました。
朝食は大混雑。
避難されている方、付近の住民の方。。。
あとからあとから、人がやってきます。
一人当たり、水500ml、ごはん1パック、パン一つ。
昨日から食事ははじめて、とか
いろんな方がいらっしゃいます。

それからはゴミも山積みになるだろう、と
ゴミ袋をとりかえて回ったり、
到着物資を数えたり。
朝になって集まって来たボランティアさんと
ばたばた時間を過ごしていました。



もともと、『何かできないか』で出発した私。

短いながらも避難所にいたこともあるし、
ライフラインのない生活の中でのアイディアも、
どこかで、『今』、みんながあまり来れない
今こそ必要なものがあると思い、被災地をめざしました。

初動の数日間は、これで良かったと思います。
その都度、できることがあればやる。

自己満足になりそうだったら、帰ろうと。
でも、せめて物資が不足しているだろう今は、
モノだけでも届けに行こうと思いました。

この長岡市の朝、持って来た物資の一部を
避難されている方、役所に来られた方にお渡ししました。

そして、8時半。
近くのグラウンドにヘリが来て、
その物資をおろすお手伝いに行くと、
驚くべき光景がそこにはありました。

朝のニュースだかなんだか、
バケツリレーのように物資をおろす人の列に
近くまで迫って、カメラをまわす報道陣。
ヘリのプロペラ音と、砂ぼこり、疲労。
そんな中でがんばってる人を手伝うでもなく、
コートのポケットに手を入れて、あるいは
メモをとりながらこちらを見ている姿が
なんとも言えない、憤りを覚えたのです。

すべてがそうではなかったかもしれない。
でも、少なくとも私の近くにあった光景です。


そろそろ登録に行こう、と
さっきのボランティアさんに声をかけ、
無線で呼んでもらったタクシーに乗りました。

タクシーに乗って、ふっと気付くと
腕は青あざだらけ。
ダンボールやケースが当たって、
切り傷、擦り傷、青あざだらけ。
ふたりとも、です。
思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。

『長岡市、総合福祉センターまで』

そう告げて乗ったタクシーは、
実は、総合福祉センターには行きませんでした。
そのお話は、またのちほど。(11/27記)

そして夜が来て。

もういくつ握ったかと
数える余裕もありません。

途中、おかしや牛乳を頂きながらの作業。
次から次から炊き上がるご飯に加え、
クーラーボックスに入ったご飯が届きます。

えぇ~!!
でも、あとから入った私が
一番にへこたれるわけにはいかない!!
と思いながらも、ふらふらふら…

やがて、日が暮れた頃、
小千谷まで一緒に来た男の子が呼びに来ました。
「ボランティア(の活動時間)は、終わりって~!」
役所の方々はまだおにぎりを握ってらっしゃいましたが、
とりあえず区切りのいいところまで参加させていただいて、
役所の入り口のところまで戻りました。

お弁当をいただいて、腰を下ろそうと周りを見ると、
どこかから懐かしい関西弁。
和歌山の梅農家有志のメンバーだそうで…
*このメンバーとはのちのち、ずっとお世話になることになります。

夕食後、あ、そうだ!と、
持って来た物資からコーヒーを涌かし、
さっそくまわりに配ると、結構喜ばれました。
その間にもトラックがひっきりなしに入ってきます。

夜10時頃、案内していただいた役所の一角で
寝袋を広げて休ませていただきました。

夜中も、物資が入って来ていたようです。
役所の職員さんが倒れないか、本当に心配でしたが…

(12/1記)

小千谷に着いた!

タクシーに乗ると、
ひっきりなしにラジオから災害情報が流れています。

タクシーの運転手さんは長岡の方で、
自宅は大丈夫だったけど、大変な揺れだった!
と話してくださいました。

その話の中で、被害状況のお話も伺いました。
ここ長岡の市役所付近はもう電気が復旧しているが
隣の小千谷などはもっとひどかったよ、と。

ん?ひどかった?
行けるのですか?

思わず、身を乗り出して聞くと
今朝なんとか道を迂回していってきた、とのこと。
もうすぐそこまで福祉センターは見えていたのですが…

「小千谷へ行こう」

すぐに新潟県のボランティアセンターに電話すると、
意外な返事が。
「小千谷市は、受け入れができるような状況ではありませんので
長岡や、栃尾などでは…」
被災状況がひどく、受け入れすら整わないというのだ。
ならば、物資もまだまだ届かないに違いない。

何往復してもいい。
行けるところまででいい。
今この手に持っているものをすべて届けたい。

タクシーは山古志への標識を過ぎました。
「あっちもひどいことになっています」
運転手さんが山崩れした川沿いの道を指差す。

それでも山古志は道も完全に通れなくて、
通行止め箇所から10km歩かないと集落につかないと言われ
まずは小千谷へ、と決めました。

そして、小千谷市役所へ。
すごい数の報道用中継車。炊き出しの自衛隊の車。
そして、人…人…人。
ボランティアは受け入れていないとのことだったのですが
1Fに受付がある、とすぐに案内していただきました。

私が案内された先は、
自衛隊の炊き出しでした。

車庫にいくつもテーブルを置いて、5・6人のグループで
次から次ヘとおにぎりを握るのです。
それを50個づつビニールに入れて数え、
避難所へ配達する車に積み込む、という作業です。

前日ほぼ徹夜で荷物運びをしていた私は
おにぎり作業と聞いて
内心、不謹慎ながら
「楽勝!」と思っていました。

が、そんな甘いものではありませんでした。

次から次へと、大きな、
あの給食のご飯を入れるような入れ物に
どん、と入った炊きたてのご飯。
このアツアツをラップにとって、握る。

その数合計、おそらく数万個です。

私はここに昼前に加わったのですが、
作業自体は朝早くから行われていたと聞きました。

そしてどうなったか。
つづきはまた…(11/29記)