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2004年10月24日

長い1日は。終わらない。

テーマ:現地の記録
新潟を目指す道中も、
ほんとにいろいろありました。

まず、郡山まではあっさり行けたのです。
上越新幹線は越後湯沢までしか通っていないと言うことで
東北新幹線に生まれて初めて乗って、
郡山まで新幹線。
その後の接続が地獄で。

郡山駅でホームを移ろうとすると、
もう、東京駅のような人の波。
新潟方面にはここからしかもう行けないからか、
すごい人です。しかもみんな、すごい荷物。
負けては乗れないと私もダッシュ。
この時間がわずか10分弱。
本当はここで郵便局に…とか考えていたのですが
そんな暇はかけらもありませんでした。
3両編成の短い電車がぎゅうぎゅうです。
1時間むぅっとした熱気がこもる電車で過ごし、
荷物はまだリュック一つだったのですが…重い!!
乗客の会話の端々に『新潟』の文字が。

そして会津若松に着くと、すごい人!
…っと思ったら、隣のホームにSLが!!
そのまわりに、すごい人。。
あぁ、これだったのね。と思いながら
歩いていると、駅の向こうにスーパーが!!
時刻表を見ると、私の乗る電車は
20分後に1本と、1時間半後に1本。
1本見逃して、買い出しすることに決定。

一度スーパーに入ると、
『あれもいりそう、これもいりそう』と
荷物は増えるばかり。
覚えている限りでは
*カセットコンロ2つ
*フライパン(28cm深め)
*断熱シート3畳
*カセットコンロボンベ15本
*オムツ/生理用品
*キッチンペーパー4本/ティッシュ5箱
*割り箸/紙コップ100個
*おかし(ビスコ大袋2つ)
*カルピス(濃縮) 2本
*コーンスープ(10袋)
*みそしる(20袋)
*水 2?×4本
*はちみつ/レモン100% 1本づつ
*インスタントコーヒー/砂糖とミルク
*紅茶
*画用紙とペン
*ガムテープとはさみ、ビニール紐
*カイロ100個/マスク
*のどあめ
*アンメルツ
*軍手10束
*懐中電灯2つ+電池
*おしりふき3パック(ウェットティッシュとして)
*ポカリ粉 3つ

…などなど。(まだあり)
とりあえず買ったものの……重い!!
持てるはずもなく、でも持つしかなく。
75?のゴミ袋4つ分ぐらいの荷物をひきずり、
改札を無理矢理通って、電車に乗り込むと
ちょうどドアの所にすぽっとおさまることが出来ました。
もちろん、この電車もぎゅうぎゅうで、
ずいぶん荷物の多さにはひんしゅくを買いましたが
この電車も駅と駅との間が長いので…

暑い!!

駅のたびに、押しボタン式の扉を
おりる人はいないけれど開けて、空気の入れ替えをしたり。
そしてその間に、友人がこの電車の終点、
新津から被災地へ入る方法を模索してくれていました。

友人の案では、東三条まで電車で行って、その後レンタカー、
だったのですが、東三条まで行くと営業時間が終わってしまう。
ということで、新津のレンタカー会社に連絡をしてもらい、
電車が遅れている旨を伝えて、なんとか待ってもらって
新津に着いたのは20時過ぎ。
で、そこから改札までその荷物を持って上がるのに5分(爆)

そして駅徒歩5分のレンタカー会社まで15分(笑)

カウンターのお姉さんに、手続きをしてもらいながら
長岡方面へ入りたいこと、
またいつまでと言う予定は立てていないことを伝えると
道を知らないのに今から車で向かうのは危険だと、
新潟まで電車は通っているから、そこで1泊するなどして
後を考えてはどうかと言う話をしてくれました。

考えた結果、まる2日で約2万円飛んでしまうと言うこと、
お姉さんの言う通り道を知らないと言うことで
やっぱり車は借りずに、新潟まで行くことにしました。
閉店時間を過ぎて待っててもらったのにごめんなさいと
店を出ようとすると、お姉さんがばたばたと走って外へ。
「今なら次の電車に間に合うかも!送ります!」

まぢ?

車は借りなかったのに…しかも迷惑かけたのに…

「がんばってくださいねぇ!気を付けて!」
さっき15分賭けて歩いた距離を、車で2分。
さっそうとお姉さんは帰って行きました。
駅の階段を上がりながら、ちょっと疲れが飛んだ気分。
なんだか心が温まる、というのはこう言うのを言うんだと
自分の中で感動しながら、新潟を目指す。

その間に、長岡への代替バス運行情報を得て、
新潟駅を下りて、まずダッシュでバス乗り場へ。
(…途中でダッシュで新潟の地図を買う。)
20:40にやっと乗り場に着いたら
ぽつぽつ人が集まっていて、
『最終21:00』の文字。

ラッキ~!!

ベンチの横にどさっと荷物を下ろすと
ベンチに座っていたお母さんと高校生ぐらいの娘さんが「座りませんか?」
と声をかけてくれました。

荷物の多さにさすがにびっくりされたようで
沖縄から茨城を経て来たことを告げ、いろんな話をしました。
その方は、東京にたまたま行かれていて、
その時に地震にあい、急いで戻られたそうです。
でも、なかなか戻れず、
山形経由で私の倍ぐらい時間をかけて
やっと新潟に着いたと言うお話をされていました。

その親子さんに手伝って頂いて、なんとかバスに乗ると、
車掌さんが
『こんな道路事情ですので、途中で高速を下りて下道を走ります。
到着も大幅に遅れていますことをご了承下さい。
私が先ほど長岡から戻るのにも2時間半かかっております。』
と、前置き。
「えぇ~!」という雰囲気が流れ、バスが発車。

いろいろ話しながら長岡を目指す途中で
友人が送ってくれた番号から
新潟県の災害ボランティア本部に電話を入れて
長岡市役所を紹介してもらいました。

…てなわけで、長岡市役所に行くことになりました、と言うと
そのお母さんが、駅に旦那さんが迎えにこられるので
よかったら送りますよ、と言って下さいました。

あっ…ありがたい!!

長岡駅に着いて、そこから旦那さんまでが快く荷物を運んで下さり、
市役所まで送って下さいました。

市役所はたくさんの避難されている方でいっぱい。
もう23:30ということもあって、お休みになっていました。
さっきのお母さんが起きてらっしゃる役所の方に
とりあえずボラセンを聞いて下さって
2階の受付まで荷物を運んで下さいました。


もう、この偶然に驚くやら、感動するやら。

ふっと気付くと、東京を離れる時に
先輩がくれた沖縄のお菓子が一袋。
サーターアンダギー。
たくさんの感謝を込めて、お渡ししてきました。

で、お見送りしてから、勢い良く向きを変え
『すみませーん!』と受付に声をかけると
女子職員の方が丁寧に説明して下さいました。
ボランティアの受付はここではなく
総合福祉センターの方で明日9時から行うと言うこと。
地図もコピーして下さいました。

あ、ありがとうございますー。
と、地図を受け取って絶句。


え?明日?9時から???

…ってことは、今夜はどうすれば良いんだ!?
この寒さで、野宿ですかい?

荷物をとりあえず置かせてもらって、1階へおりる私。
『寝る場所とか、大丈夫ですか~?」の問いに
なぜか『だいじょうぶですっ!』と笑顔で答える私…

さぁ、どうするつもりなんだろう、私…
長い夜は続きます。(11/26記)

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2004年10月24日

そして長かった24日。

テーマ:現地の記録
さてさて、交通の寸断されている中、
どうやって私が新潟の地を踏んだか。

それは他ならぬ友の『遠隔操作』です。

もともと鉄道に詳しい友人が同行してくれるとのことだったのですが
やはり仕事の都合上難しいと言うことで
自分が行ったつもりで少しカンパするから、
あとは携帯で交通情報などを調べて送ってくれたのです。

持つべきものは、友ですね~。(T_T)

一方、東京駅で落ち合った友人(と、そのお母さん)とお茶をし
私はまるで出征前の兵隊のように緊張していました。
『『行く!』って言ったものの………どうなるんだろう!!

正直な話、旅行の最終日で財布も寒く(爆)
その友人のお母さんにカンパをいただいた上に
現金をお借りして、ようやく出発の手はずが整ったのです。
おそらく現地ではATMなど稼働していないでしょうから
そこまでに現金が必要だろう、と用意して下さったのです。
(本当に、ありがとうございます。m(_ _)m

と言うわけで、

東京~郡山
郡山~会津若松 
会津若松~新津 約2時間半
新津~新潟

と、福島経由で新潟駅を目指し、
新潟駅からはバスで長岡まで。
臨時運行バスが、なんとか動いていて
しかも新潟駅に着いたのが20:40。
最終バスは21:00。セーフ!!
運転手さんが『このような状況で、時間通りに到着しないと思われますが…』と前置き。
2時間かかって長岡に。

途中の新潟駅はいたって普通で、
本当にここで地震があったのかと思うくらいでした。
でも、長岡駅に着いた時に、
駅にうっすらと明かりがついているのに、
『立ち入り禁止』の文字。
傾いた電柱に、真っ暗な街。(一部は電気がついていましたが)

本当の『震災にっき』はここから。
でも、その道中でもいっぱいドラマがありました。
つづきはのちほど。(11/26記)
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2004年10月23日

よくあるご質問 その1

テーマ:ひとりごと
しばらくごぶさたしておりました。
なおです。
帰ってくるなり、空白を埋めるようにばたばたしており、
なかなか更新できなくて申し訳ないです。

また、たくさんの方から、
応援メッセージをいただいております。
ほんとうにありがとうございます!!


さてさて、今日はまず
『なぜ、現地に?』からお話ししたいと思います。

地震のあった日、私はたまたま茨城県にいました。
茨城県も揺れました。
ホテルで見たテレビの映像がどんなものだったか。
実はあまりよく覚えていません。
それよりも、ずっと考えていたのは
今現地はどんなものが必要なんだろう、ということでした。
火の手が上がっている映像、
毛布にくるまって、道路で寝ている人たちの映像。
まぶしそうにカメラをにらむ視線。
そんなところを写さないであげてほしい!!

…と思いながら、頭の中のどこかに、覚えのある光景。

そこから、夕食どころではありません。
旅館の食事によくある、小さな鍋。
固形燃料が燃えますよね。
その火を見ながらぼぉーっと考えていたのは

*今現地に行ったら何かできないか。
*でも仕事はどうしようか。
*交通機関もないのにどうやって行くか。
*例えば一人で行ったところで何が出来るか。
*でも仕事はどうしようか。

…と、ぐるぐる。

で、結局結論の出ないまま、
友達や知り合いに電話したり、話したり。
どうしよう、どうしよう、ばかりだったと思います。

その間にも小さいながらも余震があって、
なかなか寝付けないなぁと思っていたら朝でした。
…結局寝てるやん!(笑)

そして、翌日。
東京行きのバスの中で
長岡の知り合い(の知り合い)が無事だったと言う連絡を受けて
さらに今来てもらっても大変だよと言う話を聞き、
やっぱりやめた方がいいのかなと思っていた矢先、
沖縄の知人から電話が。

「テレビ見た?行くんでしょ、行きたいんでしょ?」

反射的に「うん」と答えていました。
もうそこからは一直線です。
東京駅で友達と連絡を取り合い、
いただいたカンパを持って、一路、新潟へ。

そこからがまた長い旅だったのですが、
それはまた…。

何だか、深くあれこれ考えたようで、
実は無意識の部分が私を新潟へ誘った、という感じです。
新潟でよく『やはり神戸の経験が?』と聞かれましたが
ホント、それは後から、でした。
向こうに行って何が出来るか、とか
深く考えたのは、実は行きの電車の中です。
こんな私で、ごめんなさい。(11/26記)
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