日本だけ(12) マン島レース (6/16)
このところ、土日にやや随筆的なものになり、ペースは順調になってきました。今回は戦後の日本産業の一つの象徴でもある、マン島レースについて書きました。
(平成24年6月16日(土))
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戦後の教育というのは、まぁ戦争に負けたということもあってかなり改善されましたけども、それでも色々な欠点があります。
1) その一つは、例えば個人だけを強調し過ぎて、個人には家族もいないと、友人もいないと、地域もないと、国家もないと、こういうような教育をしたってことがありますね。
2) それからもう一つは、個人の権利をあまりに主張するとか、平和というものをあまり強調し過ぎて、国際関係の中で日本が繁栄しながらやっていくというようなことが抜けていたということですね。
3) それから三番目に非常に大きいのは、産業というものをあまり書いてないということですね。教えなかったってことですね。
これはですね、実はあの…日本の教科書が主にはですね、文科系つったら失礼なんですけども、産業とは少し離れた学者の方々が多く執筆されたということもあって、何しろ学校出ますとね、ほとんど全員が産業界に入るわけですから、産業のことを相当歴史で教えることをしないとですね、やっぱ日本のように自分で商売・・・起業を起こすことが出来ない人が増えてしまう、と。何でもお役人頼りとか、大会社頼りになると、こういうような社会を作ってしまったわけですね。
また、その一つとして「この日本だけ」というので、戦後の産業界の画期的な一つと言いますと、やっぱりこの「マン島レース」なんですが。このマン島レースって言ってもですね、おそらく日本ではほとんどの人が知らないわけですね。これは日本の工業の発展というのがどのようになったか、ということの非常に良い例なわけですね。
1961年、125ccクラスのマン島レースの上位5位まで、それから8位を書きました。ええっと、もう全部ホンダが並んでおります。このマン島レースはですね、世界のオートバイレースとして最も権威のある大きなレースで、もちろんこのイギリスのですね、場所はイギリスのイングランドとアイルランドの間に挟まった島なんですけども、そこで、小さな島で行われるレースで。これはまぁ、昔からイギリスとかドイツとかですね、そういうヨーロッパの二輪車…オートバイがですね、大きく活躍したところですね。
そこに戦後、オートバイ作りを始めた本田宗一郎のグループがですね、ここに参戦をするわけです。で、まぁ最初はですね、“日本人っていう変なのが来たな”と、この頃はまだ海外に行く事すら自由じゃありませんでした。ですから外貨の持ち出しは制限されるしですね、色んな事があった戦後の時代であります。その時代に本田宗一郎始めですね、日本の技術陣がこのレースに臨んで、やがて1967年になりますと125ccクラスをほとんど総なめにするという状態になります。
これこそがですね、何故戦後、日本がですね、また再び世界一になったかという、工業で世界一になったかという事をよく理解することができる事件であります。で、更にこの事はどういう事かと言いますとですね、日本人の技術の優秀さはどこにあるかということを良く示しております。それがですね、100年かけて伝統を作ってきたイギリス、ドイツをですね、あっという間に抜くぐらいの技術力であった、と。
まぁあのもちろん、日本の工業技術がですね、世界一になる「Japan as No.1」と言われるようになるには、それなりの色んな別の要因もあります。しかしですね、やはり技術は技術なんですね。つまりレースなんです、自動車レースなんです。自動車レースっていうのはですね、技術だけがある意味では突出して出てくるものなんですね。
だからこの125ccクラスのマン島レースを全部支配したという事は、もう世界に日本のオートバイに勝つような・・・勝つっていうのはレースに勝つっていうんじゃないんですよ、工業として勝つようなところはないということを意味しています。もちろんこのホンダが先鞭をつけたこのレースには、次にスズキが勝ち出し、更にはヤマハが勝ち、カワサキが勝ちですね、日本のオートバイの全盛時代を作ることになります。ま、素晴らしい結果ですね。
これはですね、何故そうだったか? これは第一にはですね、このブログにも書きました、シリーズにも書きましたけども、江戸の終わりから明治の初めにですね、日本は天皇陛下を中心とした平等社会でしたから。外国から来る、外国語で書かれた医学書、工学書、理学書をですね、日本語に訳すということを行ったということですね。
それから勝海舟のスームビング号の江戸回航でありますとか、蒸気機関の製作というところでもお話しましたが、日本人は機械とかそういうものに怖気づかないという非常に現実的な感覚を持ってると(いうことで)ですね、このホンダのマン島レースの制覇につながっているわけですね。そしてまたこの頃、日本の産業が大きく伸びた時期でもありました。
現在はですね、各自動車メーカーが自動車レースから撤退をするという時代でありますが、この自動車レースからの撤退は技術の撤退でもあるんですね。これこそがやはりですね、教科書で教えるべきことなんです。つまり、技術というのはどういう本質を持っているか、ということですね。技術っていうのは、やっぱり技術なんですね。お金勘定でもないし、何でもないんです。これは芸術と同じように、技術は技術であります。従って、自動車レースに命を懸け、自動車レースを勝つということが、日本の技術の発展に直接的に役立つんですね。
この精神状態、この活動の実態的な内容が理解されなくなった、つまり形式的にお金がどのぐらい儲かるとか、自動車レースに費やすお金と効果の関係っていうのをやりだすとですね、技術は共に滅びていくわけです。
(文字起こし by danielle)