緊急考察・・・大飯原発はなぜ再開されるのか?(2) (6/15)
大飯原発が再開された後、北海道泊、九州玄海など現在、停止している原発が次々と再開されるでしょう。そして、どこでも同じ事が行われるはずです。
1)国が「電気がいるから安全である」というメッセージを出し、地元に多額の税金を投入することとなどを裏で工作する、
2)地元市町村長、知事が「苦渋の選択」をして再開を受け入れる、
昔はこのようなことをあまり良い言葉ではないですが、「田舎の猿芝居」と呼んだものです。なぜ、このようになるかというと、もともと原発は「危険だからへき地に作る。それを安全と言って良いと国民全部が認めてきた」ということだからです。
今までも原発は「危険だけれど地元と地方議員にお金が行くからやる」というのが基本でしたから、原発事故が起こってもこのことは変わりません。
もともと原発が安全だというのは「安全神話」であることも国民は承知の上ですから、神話が原発事故で覆らないからです。その証拠に主として保守の論陣(テレビ、新聞の論評、雑誌の記事など)は「原発が危険であるかどうか」の論議を避け、「日本は電気が必要だ。それに反対するのは非国民だ」という事故前の論理を展開しています。
だから、大飯原発再開は日本人のこれまでの「理」にかなっていて、その他の原発も同じ「理」によって再開されることになります。つまり「金がすべて。日本の将来も何も関係なし」というスタンスを少なくとも日本の保守層、指導層が持っているし、それを国民が支持しているのです。
地方の人は農林業、水産業、工業で日本に貢献しているのに、何もしていない東京にお金をピンハネされ、その東京の人がもともと自分たちが稼いだお金をもって来るとひれ伏しているのです。
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ただ一つだけ、事故によって変わったことがあります。それは「原発の地元は加害者になる」ということです。自分たちはお金が欲しいから「危険を安全」と言って「苦渋の選択」で原発を受け入れますが、事故が起こると受け入れた県は加害者になるということが現実として理解されたのです。
今後は原発を受け入れた県は事故が起こったら、その償いをしなければならないでしょう。もちろん、誰も助けようとはしない・・・それは自分たちの判断で危険なものをうけいれ、それでお隣さんに被害を与えたのですから。
最後に「核廃棄物を片付けずに原発の電気だけ欲しがるのか?」、「電力会社は巨大なリスクを背負ってまでなぜ原発をやりたいのか?」などの謎が残るでしょう。
(平成24年6月15日)
--------ここから音声内容--------
大飯原発の再開問題っていうのはですね、もう少し奥があるわけですね。そして我々大人はですね、どんな事でも冷静にこれから起こるべき事というものをですね、一応理解をしておく、それによって私たちは正しい行動が取れるんではないかと思うんですね。
私はですね、大飯原発が再開された後、北海道の泊、九州の玄海などが次々と再開されると思われるわけです。
何故そうか?と言うとですね、極めて簡単な理屈ですね。
1) 国が「電気が要るから安全である」というメッセージを出して、地元に多額の税金を投入するなど裏で工作をします。
2) 地元市町村長および知事はですね、「苦渋の選択」と称して再開を受け入れると、こういう手順になると思います。
昔はですね、あのこういうこと・・・ちょっとあまり良い表現ではないんですが、「田舎の猿芝居」とこう呼んだんですね、つまり“もう、分かってるよ”と、“内容は分かってるよ”と、だけどもまぁ、とにかく芝居だけするというやつですね。何故このような事になるかっていうとですね、これはまぁ当たり前なんですね。
元々「原発は危険だってことはみんなが判ってる」んですよ。で、それを「安全と言って良いと国民が認めてきてる」わけですね。ですから政府は嘘をついてるとか、事故調査委員会の結果が出てないとかいうのは全部、何の関係も無いんですね。
だって、元々危険なんですから。危険を判ってるんですからね、危険を判っててやるわけです、だから僻地に造るわけですから。だからお金を大量に出すわけですよね。今までですね、原発は何でやってきたかったら、「危険だけれど、地元と地元議員にお金を出してやってた」わけです。これは原発事故が起こっても変わってないんです、実は、ええ。やっぱりそうだったか!ってだけなんですね。
神話なんですよ、安全ていうのは「神話」なんですね。神話ですから、もちろん原子力事故では覆(くつがえ)らないです。これは科学的事実であれば覆るんですね、だけど神話のは覆らないんです。で、その証拠がもう出とります。主に保守の論陣ですね、テレビ・新聞のコメンテーターとか評論家、雑誌の記事などを見るとですね、非常に明瞭ですね、もうすでに。「原発が危険であるか?」という議論はほとんどありません。むしろ、「日本は電気が必要なんだ」と、「それに反対するのは非国民だ」っていう、これはまぁ、事故前の論理と同じなんですよ。
「原発に反対できない」 「原発の安全性を言うのはタブーである」ということですね。私もあの、原子力安全委員会の色んな地震とか指針委員会におりましたけど、私たちが危険を指摘しても、そこにいるNHKを始めとしたマスメディアは全く報道しません。安全という方向しか報道しません。例えば、地震基準ができますとね、NHKなんか「地震基準ができた」と、「こういう風に改善された」という風な政府のステートメント(公式の声明)を伝えるだけで、その議論の中で委員が抗議して辞任したり、色々反対意見が出てこういうとこが危険であるということは一切報道されません。
つまり、「原発が危険である」と報道するのは非国民なんですよ、日本では。ええ。神話を信じる方が良いわけですね、それは事故起こっても変わりません。で、日本人は、まだこの日本人の理屈を変えてないんですね。変えてないから、再開される事になると思います。私はテレビとか色んなところの論調がですね、「被曝は大した事ない」 「大丈夫だ、大丈夫だ」と、「法律は守らなくて良い」 「危険か安全か、あまり議論しなくて良い」 「それよりか、電気が足りるか足りないかだ」ていう議論はですね、正に事故前の議論と一緒です。
何故そうなるか?もちろん、これはまた、あらゆる機会に述べていきますが、現実は、地方の人が農林業、水産業、工業で日本に貢献してるんだけども、その収益はほとんど全部が東京がピンはねします。つまり“従業員が働いてるものを重役がピンはねしてる”わけですね、ええ。そういうようになりました、日本は本当はそうじゃなかったんですよ。日本はそうじゃなかったんですが、現在はそうなってしまったわけですね。
で、その金がもう一回、回ってきますね。そうすると、その金にひれ伏すのが地方の人、とこうなるわけですね。これはあの、会社でもよくあるんですよ。地方に工場ありまして、そこが一所懸命ものすごく良くやるので非常に大きな収益を上げるんですよ。しかしその収益は全部本社に吸い取られてですね・・・私も会社ん時そうでしたね。若い人連れて本社に行きますと、本社の私よりか若いのが「武田さん、ちょっと銀座に飲みに行きましょうや」つって、銀座に行く。そいで、そこでですね、綺麗なママさんがですね、「あら、何とかさん」なんつってですね、入魂(じっこん=親密であること)なんですね。そこで飲んで、それで金をドカッと本社の人が払うんです。ほいで、地方から来た人はそれをありがたがって帰るという・・・のようなことがありましたね。そういうのと非常に似てるわけですよ。
元々それは自分たちがですね、夜、雨の日も風の日も長靴を履いてプラントん中を一所懸命走り回って、そして維持してきた生産によってなされたものなんですよ。だけども、本社っていうのは怖いとこでですね、人事権も何も全部握ってますからね、金も。上納してますから、やられちゃうんですね。この「ピンハネ構造」、ま、「ハイエナ時代」と言っても良いし、この頃「シロアリ退治」なんて言われてますけどもみんな同じですね。
ま、一つだけ事故によって変わったことがあるようにも思います。それは「原発の地元は加害者である」ということですね。地元は自分たちがお金が欲しいので、「危険を安全」と言って「苦渋の選択」で原発を受け入れるわけですが、それは良いんですけども、事故が起こるとですね、一つの県に留まらない、被害が。それが明らかになったわけですね。
今後はですね、ここだけは変わると思います。つまり、原発を受け入れた県で事故が起こったら、その償いはその県がすることになるでしょうね。誰も助けないと思います。だって自分たちの判断で危険なものを苦渋の選択で受け入れたんですから、それでお隣さんに被害を与えたわけですから。そりゃあね、そりゃ問題なわけですよ。自分の得になるから引き受けた、そういう場合は大人はですね、それによってお隣さんが被害を受けたら加害者ですからね。これは大きく変わったと思います。
そいから、まだまだもちろん残ってるものがいっぱいあるんですね。今日はあの実はこれ、緊急検討の(2)でですね、実はあの大飯の原発の再開っていうのは今までの我々の考えと一緒だったと、これから原発が次々と再開されるのも同じだ、と。もうすでに日本の保守層を中心とする評論家はですね、事故の前の状態に戻っているということですね。もちろんあの、事故直後からも「被曝は大した事ない」とか言ってんのは全部そうなんですが。これをですね、その前の状態、つまり「危険」を「安全」と言う、ということをですね、我々は日本国民として認めてくのか?ということですね。
そして更に、残ってる問題、大きな問題二つあります。一つは、「核廃棄物を片付けずに子供に任せて、我々は原発の電気だけ欲しがるということを続けるのか?」と…この問題と、もう一つは、「電力会社はこんなに巨大なリスクを背負って、何故原発をやりたいの?」と、この二つの巨大な謎が残ってるわけです。
最初は、「私たちの我がままに起因する謎」であり、二番目は「全く分からない謎」ですね。電力会社は電気の安定的供給が一番問題であります。しかも、石油・石炭を主力とし、原子力発電所が8%しかないアメリカは、電気代が日本の1/2であります。何故こうなってるのか?ここのところにメスが入ればですね、(原発の再開は)止められるかもしれません。しかし、私はもうそれしかですね、再開が止まるという原動力はない、何故ならば、もうすでに日本国民が原発の事故の前の論理に戻っているから、というのが私の指摘であります。
(文字起こし by danielle)