日本だけ(11)・・・清少納言とアフラベーン | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
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日本だけ(11)・・・清少納言とアフラベーン (6/13)




天照大神(女神)以来、日本人は女性を大切にし、女性が活躍してきた.その一つが清少納言、紫式部など西暦1000年前からの女流作家である。世界で女性がものを書き始めたのはそれから700年後にもなる。



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(平成24年6月13日)




--------ここから音声内容--------




「日本だけ」もですね、最も難関な広島を抜けましてですね、いよいよ戦後の世界に入ってきます。この戦後の世界でもですね、やはりこの日本だけは大きく影を落とすというか、光を与えるというか、そういうとこあるわけですが。





第一回は、明るいスタートを祝してですね、「日本の女性は尊敬されていた」と、「今でも尊敬されている」ということをお話したいと思います。まあ、これはもう簡単でですね、西暦996年、清少納言が枕草子を書きます。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて・・・」という風につながるですね、この書き出し。また、才女と言われた清少納言がですね、その随筆を書くわけでありまして。それからほぼ4年後、紫式部が源氏物語を執筆いたします。登場人物400人、70年に渡る宮廷ドラマをですね、大小説にするわけですね。





この当時、女性は小説を書いて良いんだけども、男性は記録文書しか書いちゃいけないという規則がありまして、紀貫之がですね、土佐日記を書くときに女性に変身して書くと、こういうことがありましたね。これはどうしてかって言いますと、日本では男性は「実」、実際を担当しますから、戦争とか田畑、記録文書、こういうものを担当しますね。





女性は「虚」を担当しますから、虚というのは“虚ろ”と書く「虚」ですね。宗教、小説、お金、こういうのを担当するわけですね。男性は「実」であって、女性が「虚」であるという役割分担を担当します。この役割分担という言葉を使いますと、大変にバッシングを受けることがありますが、元々女性が子供を産むという役割分担がありまして、これはもう避けられないことであります。それから男性の筋肉が強いということもありまして、こういった体の構造というものからくるですね、適切な役割分担というのは、何ら問題はありません。そしてまた日本の場合はですね、その男女の役割分担が極めて良い形で行われていたということですね。





で、もうすでに日本では西暦1000年て言いますと、日本で内戦が盛んになった奈良時代程度からはですね、もうすでに300年ぐらい経っておりまして、やや男性が上位になってきた時代であります。もちろんこの日本でもですね、戦争の無かった時代、四面を海に囲まれておりましたことあって、外敵はほとんど来ませんでした。従って、内戦が少なければ、男は田を耕すだけになりますので、女性の権力が強くなりまして、有名な日本の初めての王様は「卑弥呼」という女王であります。





それから、それが大和朝廷に移るときも神武天皇という男もいましたけど、「丹生都比売」(にうつひめ/におつひめ)というですね、お姫様もかなりの力を発揮する。「持統天皇」(じとうてんのう)に至るまで天皇も男女が代わりばんつ(代わりばんこ)にやるというような、代わりばんつと言うか確実に代わりばんつじゃありませんが、そういうような時代でありました。





日本では男女差別というのは存在しないんですね、元々が。女性のやるべきこと、男性のやるべきことがあって、それぞれ人間としては対等である。この場合はですね、男性が記録文書、女性が小説と、こんなようなですね、区分けがあっただけであります。大変に日本の男性は女性を尊敬しておりました。ところが諸外国はそうではないんでですね、例えばヨーロッパではですね、女性というのは男性の「付属物」であります、「所有物」と言っても良いわけですね。





従って、例えば女性が小説を書くなんていうのは冗談じゃないということで、紫式部から見て約670年後になって初めてフランスでですね、アフラ・ベーンが小説を書きます。しかしこの小説は夫が亡くなってから22年後でありまして、当時、女性の力がある程度上がってきたというものの、実は離婚したり死別したりしないと小説が書けないという状態でありました。イギリスではそれから更に100年以上経った1788年に女性の小説が出てきます。





ここで私がですね、実は“女性が尊敬されるのは「日本だけ」”というのを出したのはですね、日本における女性参政権ていうのは1946年であります。同時期にフランスでも女性参政権が認められておりますが、一般的に例えばヨーロッパとかそういうのが女性の解放の先頭だという風に考えられておりますが、実は女性参政権が一番早いのはトルコですね。

トルコにはアタチュルクという非常に優れた大統領がおりまして、確か私の記憶では1936年(1934年)だったと思いますが、女性参政権が認められます。一般的にトルコはマホメットっていうのは回教徒ですからね、イスラム教徒ですから、女性が虐げられてるように見えるんですけども、世界で最も女性参政権の早いのはトルコであるということもですね、我々は注目しなきゃいけないと思います。


常にヨーロッパだけを、白人だけを見て生活してきた日本ですが、もうそろそろですね、アジアも含めた世界というものを見て我々は行動しなきゃいけないんではないかという風に思いますですね。





もちろん、現代に至ってもそれはまた非常に力を得てまして、今から20年ぐらい前の調査だったと、京都府だったと記憶しておりますが、夫婦のどちらが財布を握っているのかという調査がありまして、私ちょっとこの数字極端だと思いますが、調査の結果のまま言いますと、妻92.8%、夫1.8%、といういう風にですね、ほとんど全ての夫婦が妻が財布を握ってると、こんなわけですね。





この前、テレビで私が、「結婚したら財産は全部妻の物だ」なんつって言ってですね、だいぶ議論になってスタジオが沸きましたけども、日本ていうのはそういうもんだったっていうことなんですね。ま、夫婦で財布を分け合うとか、そういうのは日本の文化ではないんです、良い・悪いは別ですよ。私はもちろんこの方が良いと思いますが。





元々ですね、奥さんというもの、妻というものはですね、家庭を全体を見るわけですよ。子供を産み、育て、家族を見、それを色々巣立っていったりすんのは全部、妻が中心なんですね。そのうちの一人に夫がいましてですね、「いってらっしゃい」つって外に出たらですね、一所懸命働いてお金を持って帰ってくると、これがまぁ非常に大切なわけですね。これが日本の妻であります。そういうことでですね、これが私は非常に望ましいことだと思ってるわけですね。





まぁあの、実は悪い点もちょっとあるんです。それはですね、あまりに日本の夫婦は一心同体なんですね。日本ていうのは個人個人がはっきりしませんで、集団の中の一人ということがあるんですね、家族の一員、夫婦の一人。ところが、ヨーロッパなんかでは逆で、個人がまずあって、それで結婚生活をするというか家族生活をするわけですね。





そうしますと、日本の場合はちょっとこう、夫婦のいざこざが多いんですけど、このいざこざはですね、夫婦でいつも一心同体でいようとするんですね。考えてることも同じ、この財布も妻が握って一緒、という風になるわけですね。そいから、夫が一所懸命働くものを妻が支える、と。これですね、夫が働いてることを妻が支えるって言うとですね、何となく妻の地位が低いようで・・・そうじゃないんですね、これ一心同体なんですよ。夫の稼ぎは妻の稼ぎでもあり、財布も一緒だから、「まぁ、頑張って行ってきなさいね。お風呂も沸かしとくから」と言うのを、こういうことになるわけですね。だから財布を妻が握ってるということと、夫の働きを妻が一所懸命助けるってこれ、一緒のことを言ってるわけです。





ところがこれがですね、行き過ぎてですね、全部合わせようとするわけですよ。昔は「男子厨房に入らず」、それからまぁ女性は女性の動きをし、男は男の動きして、だから日本文化の夫婦とは調和してたんですね。ところが、そこの部分だけ外国が入ってきました。それで男性も台所に入る、一緒に買い物に行く。こういうことになるとですね、何が混乱するかって、「一心同体」と混乱しちゃうんですね。





あの例えば欧米はですね、一心同体ではないんですよ、元々。夫婦の関係って日本よかずっと浅いんですね。夫という人間と妻という人間がいて、たまたま一緒に住んでる。つまり、Aという人間とBという人間がいて、それで夫婦を作ってるというだけなんですよ。ですからお互いにですね、「あ、このことは彼がやることだ」とこういう風に思っちゃうんですね。だから自分の価値観も及びません。日本では、夫婦は一応同じ価値観を持ってるわけですね。それは財布も同じ、働くのも、まぁ形式的に夫が働いてるだけで、妻も働いてる気分なわけですね、夫と一緒に働いてる気分なわけですね。





つまり、人間ていうのはご飯食べなきゃ働けませんしね、色々こう・・・下着も交換しなきゃいけません。それを全部やってるよりか、「まぁ分担しようや」というのが日本の夫婦なわけです。ですから日本でですね、破局に陥りそうな夫婦が外国に行くと結構上手くいくんですよ。何でかって言いますとですね、日本にいますとね、何からかにまで干渉しますからややこしくなってくるんですけど、外国行きますとね、周りの夫婦は全部、お互いに夫は夫、妻は妻ですからね、財産も分かれておりますから。だから、「それはそれで勝手にやんなさいよ」って言うわけですね。この差が現れて外国に行くと、その夫婦関係が上手くいくという例もあるわけですね。





えー、いずれにしても日本の夫婦の関係、もしくは男女はもう平等とか平等じゃないとかいうことの概念が無いんですよ。もう女性と男性が協力して人生を送っていくという概念しかないんですよね。そういうところに、お互いに財布を別にするとか、買い物も一緒に行くとか、そういうことやりますとね、それはやっぱり日本文化とは調和しないわけですね。





いずれにしてもここでは、戦争が終わって、いよいよ新しい時代に入ってまいりました。フランスと同じ年に日本も婦人参政権があります。このフランスでの婦人参政権が成立したのは、「女性も権利がある」という意味で婦人参政権が認められます。日本で婦人参政権が認められたのはそうじゃなくて、ほんとは政治は男性だけでやった方が女性も面倒ってこともないんだけど、まぁ「女性もひとこと言いたいから」っていうことで、ちょっと意味合いが違うんですね。あの、権利を女性に与えたっていうんじゃないんですよ、日本の女性参政権っていうのは。まあ、「女性も何か意見言いたい?あ、それだったらどうぞ」という感じなんですね。





今までだったら、それまではですね、「いや、もう面倒臭いから政治には関わりたくないよ」と女性が言うから、「じゃ、参政権は無くて男だけでやろうか」と、家庭はご婦人だけど、「家庭にはまぁ政治はあんまり関わりは及ばないから、外だけあなたやって下さいね」と、まぁそんな感じだったんですね。この日本文化を今後どうするか、非常に私は大切な文化ではないかと思っております。





テレビで私が「結婚したら、全財産妻(の物)だ」と言ったのも、実はそれを受けて、そこんところちょっと考えて下さいね、ほんとによろしいですか?、ヨーロッパ流でほんとによろしいですか?ということの問い掛けでもありました。


(文字起こし by danielle)