生活の鱗001 財布はどっち? 妻?夫? | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

生活の鱗001 財布はどっち? 妻?夫?



生まれてこの年になるまで、私は「財布」というものを持ったこともなく、貯金通帳のある場所も知らない人生を送ってきました。小さいときには母に、結婚して妻に、そしておそらく呆けてきたら娘にお小遣いをもらうようになると思います。



世界広しといえども、日本の夫婦関係、男女関係は特別です。もともと、神代の時代(イザナギ・イザナミ)から「生活は女性、外は男性」という役割分担はあったけれど、「どちらが上」などという感覚自体がありませんでした。この点では「女は男のあばら骨からできたから、女性は男性の所有物」と考えるヨーロッパとはかなり日本は違います。



それは天照大神(あまてらすおおおかみ、女性で神々の神)、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ、日本最初の国の王(女性))、東征で活躍した丹生都姫、そして持統天皇などの多くの女性の天皇陛下など、日本はやや女性上位の歴史をたどったが、もともと「女性上位」とか下位という認識そのものが日本の男女関係を正しくとらえていません。



日本はもともと男女は平等でしたから、「男女平等」という用語自体がやや意味がないのです。卑弥呼の時代が終わり人口密度が高くなってきた奈良時代から戦争が続きましたので、戦争に適した男性が力をつけました。しかし、戦国時代、大将である夫が戦死すると、妻がそれに殉じる(一緒に死ぬ)ことがあり、このことが女性の地位が低かったと誤解されていますが、死に臨んで妻が残した手紙、遺言などを読むと、妻と夫は一体であるからこそ殉じるのであり、死ぬときの彼女の気持ちは夫と上下関係の意識がないからこそ殉じたのです。その意味では夫と妻という関係でありながら、一方では母親と息子の感覚もあったようです。



第二次世界大戦後、日本では女性の権利が高まり、「男女の役割分担」の排斥、「男女共同参画」へと進みました。でも、ヨーロッパの共同参画とは「男女が同じことをする」ということですが、日本の男女共同参画は「男女の特性を生かしてともに社会を築く」のが日本の男女にはあっているような気もします。


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その典型的な例が日本の「夫が稼ぎ、妻がお金を管理する」という風習です。私ばかりではなく、10年ほど前の京都府の調査では、実に90%の夫婦が「夫の収入を妻が管理する」という日本型だったのです。この中で妻がアルバイトやフルタイムで働いている場合、「夫の収入も妻のも妻が管理」というのがほとんどでした。


お手伝いさんたちのブログ 古い図でタイトルなどが書けていますが、棒グラフの赤とピンクの合計が「日常的な家計は妻」という家庭です。妻が働いていない場合は95%が妻、妻がアルバイトをしている時も90%が妻、それより驚くのは共働きでも、夫が妻に給料を渡すのが約80%の家庭だということです。



最近では妻の給料が夫を上回る例も珍しくありませんが、妻が働いていても、二人の収入はあくまで「家庭を維持するため、子供のため」であり、けっして「2人の独立した社会人が単に一緒に住んでいる」という夫婦関係ではないのです



私も私の給料は妻が精通していますが、私は妻の給料を聞いたこともなく、何に使っているのかもまったく関心がありません。ぼんやりとは「私の給料は生活費に、妻のお金は洋服や食事などの楽しみに使っているのだろう」ぐらいしか考えたこともありません。



これに対してヨーロッパ型の夫婦は、夫が妻に生活費を渡すということで、結婚しても一心同体の夫婦にはならず、単に2人が共同生活をしているというだけの場合もあるようです。そうすると時に夫が上で妻が夫に媚びてお金をもらうという関係も見られます。もちろん、一心同体の夫婦もおられますが、かなり日本とは割合が違うようです。


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夫婦間の問題、男女の関係は男から見た場合と、女性がみるのと大きく異なることも特徴的です。次の文章は江戸の漁村の日常を描いたものですが、私から見るとほほえましく、ある女性から見ると「役割分担を固定する古い日本の悪い家庭」と見えるようです。



「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。……漁師のむすめ達が臑(すね)をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。


婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」(イライザ・シッドモア。(1884))



新しい時代になってまだ男女の「正しいつきあい方」が練れてないように思います。男女は「いがみ合って喧嘩しながらの毎日」ではなく、「お互いによく理解して笑いの絶えない日常」の方が良いに決まっています。そのためには「何のために男女がいるのか?」ということを根本から考え、日本文化との調和の上で新しく、楽しい生活を作っていくことでしょう。

(平成24年4月4日(水))





--------ここから音声内容--------




ええと、生活の鱗っていうのをちょっとですね、えー今日は書いてみようか、と。えー、「財布はどっち?」っちゅうわけですね。私は実は生まれてこのかた、まぁ幸いなことに財布というものを持ったことなくてですね、貯金通帳なんか全然ある場所なんかもわかんないし、えー、銀行行って貯金おろすのもどぎまぎしちゃうんですけども、えー、小さい時は母親に、結婚してからは妻、それからまぁ、たぶん、あー、そのうちボケますとですね、娘にお小遣いをもらうように思いますね。





えー、世界広しと言えども、こういうふうな男女関係、夫婦関係ってあんまりないんですね。もともと日本はですね、神代(かみよ)の時代から生活は女性、外は男性って決まっておりまして、これは役割分担でありました。この役割分担って言うとですね、女性の方にボカっと怒られるんですけども、えー、どちらが上かなんていう話は日本ではちょっとないんですよね。そういう点では女は男のあばら骨からできたとか、ま、女性は男性の所有物…これはまぁ狩猟民族に多いんですけど、ま、こういったヨーロッパなんかとかなり日本は違うんですね。ま、あの、ヨーロッパ、アメリカと違うばかりでなくて、えー、中東地域なんかともかなり違いますしね、アフリカとも違いますし。まあ、東南アジアでもかなり違うという感じがしますね。





ま、その後まだ戦争のない時代は、日本はですね、なにしろ神様の中の神様は天照大神…これ女性ですよね。それから最初にできた国の王様は卑弥呼…これも女性ですね。ま、こういうふうにですね、ま、天皇陛下も、えー、最初のころは女性がずいぶん多かったわけです。えー、だからこれはですね、女性が上位だ…という人がいるので、僕は…私は違うと思いますね。日本はそんな女性が上位とか下位とか言うケチな話はない。えー、元々平等であります。えー、男女平等という言葉自体が日本には意味がないですね。





えー、ただ、あのー、人口密度が少なくて戦争がない穏やかな時代は女性がある程度活躍し、戦争が始まると男性が活躍するってことはあるんですよ。これはまぁしょうがないですね。ただ、戦国時代であってもですね、えー、大将である夫が戦死するとなぜか妻が準じて死ぬんです。これ、殺されるんじゃなくて自害すんですね。なかなかこれはないですよ、ほかの国にはですね。えー、妻が所有物の時には、勝った男が相手の妻を取るということがありますけども、えー、日本では死んでしまうんですね。で、ま、これは女性の地位が低かった、ということを書いてる人いるんですけど全然違います…と私は思いますね。えー、死に臨んで妻が残した手紙とか遺言を読むとですね、「なんで死ぬの?」 つったら、えー、 「夫と一体だから」っていうわけですね。





上下関係があったら死にませんね。その意味では、えー、おそらく妻と夫という関係もあるし、母親と息子っていう感覚もあったように思いますね。えー、第二次大戦後ですね、日本の女性の権利が高まりますと、権利意識っていうんでしょうかね…高まりますと、えー、男女役割分担を排斥する、もしくは共同参画するっていうことですけども、ヨーロッパの共同参画はですね、男女が同じことをするっていうことなんですけども、日本の共同参画はもっと進んどりましてね、元々。男女の特性をいかして、共に社会を築くっていうのが、ま、日本の男女なんですね。





その一つが一番最初に書きましたように、「夫が稼いだら妻がお金を管理する」っていう。えー、10年ぐらい前の京都府の調査ではですね、90%ぐらいの夫婦が夫の収入は妻が管理するという、まあ、そんなようなものなんですね。で、この図はちょっと古くて、もう、少しぼけてるんですけど、えー、赤とピンクの色のところは「日常的な家計は妻」っていうわけですね。そうしますと妻が働いてない家庭は95%が妻が管理し、妻がアルバイトしてる時も90%が妻(が管理)なんですよ。ま、それよりか驚くことにですね、共稼ぎして夫と妻の給料がほとんど同じなのに、それでも夫は妻に給料を渡して…っていうのが80%。あとの20(%)ぐらいがですね、それぞれに管理するっていう、そういうやつなんですね。




まあ驚いちゃうですね。最近では妻の給料が夫を上回る例は珍しくないんですけども、妻が働いていても、二人の収入はあくまでも「家庭のもの」なんですね、子供のため。決して二人の独立した社会人が単に一緒に住んでいるという夫婦関係じゃないんですね。





えー、私の家庭ももちろんそうで、私の給料は妻が精通しとります。私は妻の給料を聞いたこともありません。時には働いてるかどうかもよくわかんない時もあります。えー、何に使ってるのかまったく関心がありません。たぶん、ぼんやりと、私の給料は生活費に使われてんだろうなぁ、と。妻のお金は妻が洋服買ったり食事などの楽しみに使ってんだろうなぁ…まぁそれはそれでいいや、とまぁこう思っとるわけですね。





ま、ヨーロッパ型がいいかもしれませんが、単に二人が共同生活する、そうすると時にはですね、夫がまぁ上で…やっぱりお金持ってますからね。あー、妻が夫に媚びてお金をもらうという関係もあります。えー、日本ではとにかく妻がお金持ってますからね。えー、「すいません」つってお小遣いをもらう。えー、お小遣いをもらう時に妻に一言嫌味を言われる、ま、それで、えー、私の行動が制限される…まぁこんな感じですね。ははっ(笑)





ええと、んー、ま、しかしですね、まだですね、練れてないんですよ。この夫婦間の問題とか男女の関係ってのはですね、女性と男性とまったく違うんですね。えー、次の文章は、私はね「微笑ましいなぁ」と思って読んだらですね、ある女性に見せたら「これは良くないよ」と。「役割分担を固定する古い日本の悪い家庭の例だ」…と、こう言われましてね。「へー、女性はそう思うのか」と思いましたね。





えー、「日の輝く春の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。……漁師のむすめ達が臑(すね)をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。子供らは泡立つ白波に立ち向かって利して戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。


婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ。」(イライザ・シッドモア。(1884))





あの、これは1886年にイライザ・シッドモアという女流の、まぁ、えー、旅行家が書いた文章であります。えー、確かにこれを読みますとですね、私はいいなぁと思ったんですが、えーっと、女性が食事を作って、男はそれを食べるという役割が分担されてんじゃないかといって反撃されたんですが。ま、男もですね、波の下にもぐって作業しますから、けっこう辛いことは辛いですね。ま、筋肉が強いのでそれが合ってるというだけで、私なんかこれを読んだら、まぁ、男女の特性をいかした、えー平等社会というふうに思いますけどね。





しかしまあ、やっぱり男女の関係は練れていかなきゃいけない。えー、最近ではですね、いがみあってケンカしながらの毎日っていう人もいるんですけども。そうではなくて、お互いによく理解して笑いの絶えない日常の方がそりゃあ良いに決まってますね。ま、そのためには何のために男女がいるのか、っていう根本問題もそうですし、それからお互いにですね、「ああ、そうか」と。やっぱり男女っていうのはすぐには理解できませんからね。





やっぱり「ああ、女性はこう思うんだなぁ」とかですね、「男ってのは、こん(この)時こう思うんだな」っていうことがお互いに理解して、そして、えー、笑いの絶えない日常を過ごしていけるようにした方が、まあ、前向きなんではないか、と。私はそう思いますが。なんたって男女の話題ですからね。えー、かなり激し…厳しい反撃も期待され…あ、えー、恐れられますが、まぁそれもそれで、えー、たまにちょっとこういうのを書いてみました。