あの明るかった日本に戻るために(1)・・・現代日本の病根と治療 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

あの明るかった日本に戻るために(1)・・・現代日本の病根と治療 (3/27)


東北大震災と福島原発事故を起こしたもの、それは現代日本に救うかなり深い病根です。そしてそれを治療することが私たち大人の役割と思います.

病根の第一は「拝金主義」、第二が「空気を事実とすること」、第三に「ウソの容認」、そして第四は「黙れ!じいさん」です。いずれも傷はかなり深いので、一つ一つ考え、日本社会から変えていく必要があるでしょう.

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第一の拝金主義: 日本の文化はお金を蔑みました(さげすむ)。特に社会の指導者として精神的な高貴さを大切にした日本の武士は、金銭に近づくことをいやがり、このことは新渡戸稲造の武士道に詳しく書いてあります。



明治生まれで京都大学の数学をでて大学の数学の先生になった私の父も、まだ武士の面影を持っていて、お金を嫌っていました。「京都大学」という大学は世俗のこととは離れた一風、変人が多いのですが、学問の府としてはとても立派なところだったと思います.湯川秀樹や朝永振一郎という日本で最初にノーベル賞を受賞した立派な学者が京都大学だったと言うことも偶然ではありません。



最近は「お金(研究費、会議費)をとれば優れた学者」ということになり、官僚と癒着し、ワインの種類に精通し、派手な背広をきる東大の教授が出現しています.私が会社の技術者から大学に移り、東大の先生などと頻繁に会合を持つようになって、最初に驚いたことは「東大の先生は勉強が嫌いなのだな」と言うことでした。



東大ばかりではなく、多くの大学の学長など本来なら人格高潔、学問一筋のはずが、出世することが目的で学長になった人が多いのにもビックリしました。



このような傾向は大学の先生ばかりではなく、官僚や政治家でも同じです.本来なら、大学教授、官僚、政治家などの職業は「お金」が目的ではなく、その社会的使命に没頭できる人でなければつとまりません。それが全く違うのです。



その意味では、私はプロ野球南海ホークスの鶴岡監督が「球場に銭が落ちている」と言われたのが日本の職業意識が大きく変わったキッカケになったと思っています.鶴岡監督自身は「プロ意識」を育てようとしたのです、それまでのスポーツ選手は「お金のためではなく、野球のために野球をする。俺は野球ができれば幸福だ」と言うことだったのですが、鶴岡監督の一言があまりに強烈で、またその時期に日本社会が「魂からお金」に代わるときだったので、彼の言葉は人口にも膾炙し、「お金まみれのスポーツ界」に変身しました。



契約金などが話題になり始めると最初は違和感をもっていた私たちも、いつの間にかプロスポーツの選手はお金で評価すると言うことになり、さらに高等学校までお金の影がちらつくようになったのです。



「好きで学問をする」、「日本のために政治や行政をする」、「野球がしたいから野球をする」という人はほとんど絶滅しました。このような行動パターンは「貧乏になる」と言うことではありません。私の言う「お布施方式」です。



「お金のために学問をしたり、本を書いたりするのではないが、たまたまが研究が評価されてノーベル賞をいただき賞金を手にするとか、良い書籍を書いたのでベストセラーになり、結果的に印税が入る」というのが私の言うのがお布施方式です.



お坊さん、先生、お役人、政治家というのは基本的には貧乏が似合っています.移動するのも車などは使わず、古びた鞄を持ってとぼとぼと歩いてくる偉い先生というのではなくてはいけないと思います.でも、時としてお礼の金子をいただき、ちょっと豊かになるという職業なのです。これが逆になっては社会がダメになるのです。



「古い時代を懐かしむ」というのではなく、それが「お金で人を判断しない日本文化」だからです。このような感覚の差は江戸時代の終わりに多くのヨーロッパ人やアメリカ人が日本を訪れ、日本人がお金に執着心のないことにビックリしています.むしろ、「お金を蔑む」という風潮は殿様にも庶民にもあって、殿様は質素を旨として板張りの部屋にゴザを敷いて生活し、江戸っ子は「宵越しの金は持たない」と言うことをホコリにしていました。



日本はキリスト教的な契約社会ではありません。精神構造も契約的ではなく、あうんの呼吸で全体を把握し、それに従って生きるという民族的特徴があります。だから「お金でものを測る」ということ自体がそぐわないと思います.

・・・・・・・・・一例を挙げます・・・・・・・・

40年前から「明日にも来る」と言われ続けてきた東海地震はまだ来ていません.その代わり、阪神淡路大震災、2回の新潟地震、北海道太平洋側の地震、それに今回の東北大震災などの巨大地震が連発しました。



なぜでしょうか? これもまた拝金主義の結果です.もともと地震予知ができないから「地震予知の研究を開始しよう」というのが東海地震の研究ですから、論理的に言って「東海地震型の地震に先立って起こる」ということはあり得ないのです.



東海地震が先に来ることが学問的に判っていたのではなく、東大地震研に税金(地震予知の研究費)が行ったから東海地震が先に来ることになった、その結果、他の地域の研究がおろそかになって、阪神淡路大震災の6000人、東北大震災の2万人が亡くなったということですから、拝金主義の罪は深いのです.



今回の原発再開問題でも、福井県の原子力安全委員の多くの人(大学教授)が審査の相手になる関西電力などからお金をもらって審査をしていたと言うこと、九州の玄海原発を受け入れた町長の兄弟が原発関係の仕事の9割近くを受注していた、瓦礫を引き受けるのに熱心な市長とその受注者が瓦礫引き受けに反対する一般市民を恫喝する・・・などなど拝金主義のために私たちは安全な生活が何かも判らなくなってきています.



原子力安全委員が2011年3月に福島原発が爆発した後、責任をとって辞任しなかったのは1650万円の年俸と関係があると考えて良いでしょう.事故を起こした当時に社長だった東電の社長は2億円から5億円の退職金を受け取ったと言われます.本当に武士としては恥ずかしい限りです.

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まずは学校で「人生はお金ではなく、仕事に命をかけることが大切」と言うことを教えることです。日本には宗教があまり強い影響を発揮していないので、このような日本文化の基本の基本は日本人が合意して教育に入れていく必要があります.



第二に、新聞やマスメディアが拝金主義の報道を止めることです。例えばプロ野球選手やその他のスポーツ選手の契約金などの報道を止めるか、もしサッカーなどでお金が目的の場合「スポーツ」に分類しないことが大切と思います.



社会は色々な楽しみが必要ですから、「エンターテイメントなったスポーツ」も存在価値がありますが、それはあくまでもエンターテイメントであって、スポーツではないと思います。その点で、今のプロサッカーは全くスポーツではなく、ラグビーの方はスポーツと分類できると思います。



拝金主義を変えて行くには、庶民のお酒の席の話から、NHKのニュースの「今日の円ドル相場」の放送の中止など、あらゆるところでお金の話をせず、お金をバカにすることからでしょう。それによって、「お金を蔑み、学問、文化、魂を尊重する」という社会に少しずつ戻していく必要があると思います。



まず我々ができることは「お金持ちを軽蔑し、お金を軽蔑すること」で、朝起きたら「今日も朝が来たか」ということを神様に感謝し、その日を精一杯生きる、そういう昔ながらの日本文化を取り戻せば、日本は再び良い国になると期待されます。

(平成24年3月27日)


--------ここから音声内容--------



えー、最近の状態ですとですね、皆さん、多くの人がえーまぁ、「暗いなぁ・・・」と、「圧迫されてるなぁ・・・」と、「あの明るかった、元気だった日本に戻りたいなぁ」と思ってる人は多いと思いますね。ま、そういった今の日本を作ったのは、ま、第一に「拝金主義」である。金、第一。




第二が、まぁ私が最近言ってんですが、「空気を事実とすること」。事実を事実とするんじゃなくて、空気を事実とすること。ま、それから「ウソがまぁ良いじゃないか」と言うこと。それから第四に、「黙れ!」と言うじいさん。これは民主主義の手続きに不足してるって事ですね。




ま、この辺を無くせばですね、私は、ま、傷は深いけど、日本社会は私たちで変えていけんじゃないかってな気がしますんで、それをちょっと書いていきたいと思います。




拝金主義。ま、これはですね、日本の昔の文化と全然違うんですよ。日本の昔の文化って・・・日本の文化と違うんですね。現在でも、お金蔑(さげす)んでますね。特に、ま、社会の指導者、ま、こういった人たちはですね、精神的な高さを大切にしますから、金銭に近づくこと嫌がりました、ええ。これはあの、新渡戸稲造の「武士道」なんかに詳しく書いてありますが、ほんとにそうでしたね。





まぁ私の・・・自分のこと言っちゃいけないんですが、まぁ私の父は明治生まれで、ま、京都大学の数学を出て、大学の数学の先生になったわけですが。まだ武士の面影がありまして、お金を嫌ってましたね。元々、あの「京都大学」っていう大学はですね、えー、京都の、この…吉田山んとこにあってですね、まぁちょっと世俗と離れてるんですよ。ま、変人が多いつったら怒られちゃいますけどね。





まぁ学問の府としてはとても立派で、だからこそ湯川秀樹、朝永振一郎というですね、最初に、ま、日本でノーベル賞受賞するという、立派な学者が続々出たわけです。私の友人、私の後輩にも、京都大学出身者、偉い人…立派な人ですね、いっぱいいます。“あぁ、あの人に会いたいなぁ”と思う人がいっぱいいますね。





ところが最近はもう、研究費とか会議費って言いますか、国際会議費なんかを取れば優れた学者ということで、えー、ノーベル賞でもですね、一つ取るのに1億円とか言ってですね、金に換算してますけど。そうすっと、まぁ官僚に癒着しないと金、来ませんし、外国に行ってワインでも飲まないといけないんでワインに精通し、まぁ派手な背広を着て“この人、どうしたの?”っていう東大の教授なんかが出現してるわけですね。





えー、私が、まぁ会社の技術者から大学に移って、驚いたことはですね、「大学の先生が勉強が嫌いなんだなぁ」ってことなんですよ。“どうしてこんなに勉強嫌いな人が、先生になってんのかなぁ?”って思いましたね。で、学長なんかにお会いする機会が増えますとですね、私は学長つったら人格高潔、学問一筋!なんて自然と頭が下がるような人ばっかかなぁと思ったら、全然違うんですよ。ま、みんな欲得にまみれててですね、俗世間と変わんないんですね。





だけども私はね、やっぱり違うと思うんですよ。大学教授とか官僚とか、政治家っていう人たちはですね、やっぱり「お金」が目的じゃいけないと思うんですね。やっぱり社会的使命が目的であって、それに没頭できる、ま、それじゃなくっちゃ、やっぱ社会っていうのは上手くいかない。武士と一緒ですね。





そういう点で私はあの、人柄も好きで、ええと非常に良かったんですが、プロ野球の南海ホークスのですね、鶴岡監督が、ま、「球場には銭が落ちてんだ」と、ま、こう言われたわけですね。これはあの、甘かった当時の日本のプロ野球の選手に、大きな刺激を与えたわけですね。「プロは職業なんだ!」、こういうわけですね。




しかし、それまでスポーツ選手はですね、「お金のためではなく、私は野球が好きだから野球をするんだ」と、「俺は野球ができれば、それで幸福なんだ」と、まぁいうふうに言っておられたわけですが。えー、この鶴岡監督の言葉があまりにも強烈で、しかも日本社会がちょうど変わるとこでしたね。「魂からお金」に変わる時だったんで、大変にこれがまぁ蔓延して、いっぺんに「お金まみれのスポーツ界」になりました。





私はずっとあの、スポーツの人がお金を問題にするの嫌だったんですよね。契約金がどうだとか、この頃ではですね、なんかこうその、スポーツ選手をなんかモノのように、“落札する”とかですね、“入札する”とかですね、あなた何?って感じでね、「人間の魂をそういうふうに扱う、アメリカの文化に毒されちゃいけない!」とこう思うんですけども、最近、高校生までそうなりましたですね。





しかし私は逆だと思うんですね。やっぱり、「好きで学問をする」、 「日本のために政治や行政をする」、 「野球がしたいから野球をする」っていうのがほんとだと思うんですね、これ絶滅しました。このような行動パターンはですね、「貧乏になる」ってわけでもないんですね。私はまぁ、「お布施方式」と言ってるわけですね。





「お金のために学問をしたり、本を書いたりするんではないけども、たまたま研究が評価されてノーベル賞貰うときもある、賞金をドサッと手に入れる。もしくは良い書籍を書いたので、それ結果的にベストセラーになって、印税が入る」というのがですね、“お布施方式”なんですね。




えー、「お金のために本を書く」っていうふうに言う人がいるんですけども、そういうことは学者はほんとは無いんです。私に「言いたいことがある、これをぜひ世の中に訴えたい!」…で、やむにやまれず本を書く。そしたらたまたま、それがベストセラーになる、ってその順序ですね。





しかしまぁ、お坊さん、学校の先生、お役人、政治家っていうのはですね、やっぱり基本的には貧乏が似合ってるんですよ、ええ。あー、とぼとぼと歩く、と。古びた鞄を持ってとぼとぼと歩いて、地下鉄に乗って行く、というのが偉い先生なんですよ。偉い先生が車でターッと乗り付けるとですね、それだけで鼻白んじゃうんですね。(はなしらむ=興ざめする)





時として金子(きんす=金貨、金銭)を頂いて、ちょっと豊かになることもある、と。で、それで一杯ちょっと飲んで、“あぁ、今日は良かったな”と、ま、これがですね、ま、先生っちゅう職業の基本なんです。お役人もそうですよ。お役人は公僕ですからね。やっぱり肩で風切っちゃいけないんですね。「お前たちを指導してやるぞ!」なんてお役人が言ってますからね、困っちゃうんですよ。





こういったことは、古い時代を懐かしむと言っちゃいけないんです、そうじゃないんですよ。えー、もっとね、立派なんです、日本文化っていうのは。お金で人を判断しない、っていうことですからね。これはもうほんとにね、江戸の末期に日本に訪れた外国人が一様にビックリしております。お殿様も質素に生活し、「お金を蔑んでいた」わけです。江戸っ子も「宵越しの金は持たねぇ」っていうんで、誇りにしてたわけですね。





これ色々な背景がありまして、ここで一つすぐには言えませんが、日本にはキリスト教的な契約社会ではないんですね。えー、あ・うんの呼吸で全体を見ながらやるっていうことで、そういう社会ではお金という数ですね、100万とか200万という数はそぐわないんですね。ま、そういった文化的な背景を持って、日本の文化が成り立ってるわけですね。





一例を挙げましょうか。えー、40年前に「明日にでも来る」と言われ続けた東海地震、まだ来ません。その代わりに、阪神淡路大震災、新潟地震、北海道の地震、そして今回の東北大地震など、巨大地震が連発しました。

何故なんですかね? これは拝金主義の一つの例なんですね。元々地震予知ができないから、地震予知の研究をしようって言うんで東海地震を先にしたわけですから、論理的に言って東海地震が先立って起こるってことあり得ないわけです。だって判らないんですからね。





ところが、何で東海地震が先に来るってことになったかって言うと、東大地震研に税金…つまり研究費が行ったんで、東海地震が先に来る事になったわけですよ。それ以外にありませんよね。その結果、他の地域の地震研究がおろそかになって、犠牲者が2万6千人出た、と。





これがですね、もし拝金主義が無ければですね、例えばこういう事なりますよ。えー、「まぁ東海地震に少し重点を置くのも良いけども、やっぱり我々は予知ができなくてどこから地震起こるか判んないんだから、あんまりみんなに『東海地震、起こる、起こる!』って言うんじゃなくて、やっぱり全体的に地震を注意しながら生活し、まぁ50年後ぐらいには地震予知に成功するかもしれないから」っていうような、まともなですね…要するに学問的な意見が出たと思うんですね。しかし、ダメでした。





今度、私のブログにも書きましたけど、まぁほんと私もビックリしましたね。福井県の原子力安全委員の多くの人が、審査の相手になる関西電力から金を貰ってる。えー、九州の玄海原発を受け入れた町長の兄弟がですね、どうも、なんか原発関係で、えー、その、9割ぐらいの受注をしてると・・・ですね。瓦礫を引き受ける熱心な市長と、その瓦礫を引き受ける人が一般市民を恫喝(どうかつ)するっていうような、そんなことが報じられてます。ま、ほんとかどうか分かりませんが。何しろ拝金主義の影が次々と来てるわけですね。





私ね、原子力安全委員の人もね、あの、釈明するべきだと思いますよ。えー、2011年3月に原発が爆発した後、辞任しないんですよ。年俸がこれ、1650万円だと私思うんですけども。えー、どうなんでしょうかね?そりゃやっぱり、ちゃんとあの、釈明した方が良いです。




それから事故を起こした当時の社長だった東電の社長、これあの、2億円とか5億円とか言われて退職金ハッキリしないんですが、ま、これも武士として恥ずかしいですね。えー、原子力安全委員も東電の社長もですね、社会の指導者ですから、「申し訳なかった、判断を誤った。私の罪だから何も頂かずに、職を去ります」と。まぁ詰め腹を切れ(=強制的に辞職させられること)とまでは言わないから、そういうふうにして欲しいですね。





で、これを解決するために、まず第一には学校で教えることですね。日本には宗教ありませんから、学校で十分に「人生はお金じゃありません」と、「仕事に命をかけることが大切です」と教えるべきでしょうね。えー、このような日本文化の基本中の基本を教えるということ、でも今難しいんですけど。これは合意をしてですね、教育に入れる必要があると思います。





それから新聞とかマスコミですね、これもう拝金主義の報道を止めるって事ですよ。例えば、契約金報道止めるとかですね。サッカーなどで、どうしてもお金が入るんだったら、もう「スポーツ」に分類しないって事ですね。別に、スポーツじゃなくてもエンターテイメントで良いんですよ。エンターテイメントにも道があるような気もしますけどね、私。実はエンターテイメントもお金を中心じゃなくて、エンターテイメントに徹することによって、結果的にお金が来る方がほんとだと思いますが。まぁ、そこら辺ですね。





いや、昔のですね、新聞の記者なんつうのはほんとにそうでしたよ。えー、手ぬぐいなんか腰にぶら下げて、そこで赤提灯で一杯やる、と。これが良かったんですね、何故かって言いますと、そうしないと事実を追い詰められないんですね。ま、サッカーがお金がまみれてるんで、私はこう、ラグビーなんかの方が何か良く見えるんですね。





えー、それからまぁ、庶民のお酒の席でもお金の話を止める、NHKのニュースなんかでも「今日の円ドル相場」なんかを放送しない。あらゆるところでお金の話をしないで、お金をバカにすることから始めたが良いですね。「お金を蔑み、学問とか、文化とか、魂を尊重する」。ま、そういう文化の、学問の報道、文化の報道、魂の報道、全部しちゃったら、ま、円ドル相場ぐらい良いですけど。ま、順序を逆にするっていうことですね。これが必要があると思います。





えー、私たちはすぐできるってこと、「お金持ちを軽蔑すりゃいいんです」よね、ええ。あのお金持ちって数が少ないですからね、お金持ち軽蔑する、みんなが、庶民がすればですね、いいんです。お金はまぁ、できるだけ隠しといてですね、軽蔑する、と。





えー、そして私のモットーです、朝起きたら「あー、今日も朝来たか」と、「良かったな!」ということを神様に感謝し、その日を精一杯生きる。そういった昔ながらの文化…日本文化。これはもう本当に、鎖国が解けてヨーロッパ・アメリカから来た人が最初、日本を野蛮だと思うんですよ。そのうち、“あぁ自分たちの文化よりか、日本の文化の方が優れてるなぁ”、とみんなが思ったわけですね。だからやっぱり我々は、そこに返る方が良いと思います。これは昔を懐かしむんじゃないと思います。昔を懐かしむってことと、良い事を良いと思うこととは違います。





私はまぁ、政府とかもうね、えー、大学の先生とかあてになりませんから。我々でそういう社会を作っていって、その結果、まぁそういう金の人は登場しない、というふうにすればですね、ま、徐々に日本も世界に尊敬される昔の日本に戻るんではないかと、まぁそういうふうに期待しています。


(文字起こし by danielle)