知の侮辱(11)・・・野蛮人? | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

知の侮辱(11)・・・野蛮人? (2/16)


2011年の原発事故から約1年が経ちました。この大きな事件でさまざまな面で日本の後進性、知に対する侮辱が見られました。その中で「日本って、こんなに野蛮だったか!」と驚くことも多かったのです。



私は自分でつけたタイトルですが、「野蛮人」という言葉に抵抗があります。この言葉はヨーロッパ人の思想に近く、「文明が人間を人間らしくする」という基本的な仮定があるのですが、自然の中でゆったりと暮らしている人と、競争に明け暮れて訴訟ばかりしているアメリカ人とどちらが「人間として」優れているかは判らないからです。



でも、ここであえて野蛮人という言葉を使ったのは、街角で犯罪人の首をくくり見せしめにする、災害があると普通のおばさんを捕まえて魔女として火あぶりにする・・・こんな現象はやはり野蛮な行為ではないかと思うからです。その点ではここで言う野蛮人というのは、中世のヨーロッパなどの野蛮な行為を意味しています。



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福島原発事故で私がもっとも野蛮だと思ったのは、「被曝に負けない子供」という言葉です。県民税、市民税が減ると生活に影響があると心配しているとしか思えない人たちは地域から人が逃げていくのをいやがり、「被曝に負けない子供」という奇妙な発想をしたのでしょう。



水俣で水銀中毒事件が起きたときでも、「水銀に負けない子供」という標語を作り、水銀で汚染されたサカナを食べさせるようなことはしませんでした。新型インフルエンザが流行した時も、「新型インフルエンザに負けない子供」ということで学級閉鎖をしない、隔離しないということもありませんでした。



科学が進み、魔女がいなくなった今の日本で、まさか「被曝に負けない子供」という言葉を作って、子供たちの被曝をそのまま放置する方法の一つとして活用したのは野蛮な行為であり、私は気分が悪くなります。



これに似たのが「農家の人を助けよう」という言葉で汚染された野菜、牛肉を売ったことです。確かに汚染された農作物を食べたいという人はいませんが、「農家の人を助ける」と聞くと「私の食べないといけないかしら」と思うのは、「こころ優しい日本人」のような気がしますが、決してそうではないと私は思います。



被曝した農作物を出荷するという行為は農家の信用を落としますから「農家の人を助ける」ことにもなりませんし、それを食べる人の「健康を損ねる」ことにもなります。もともと「人が食べるのにはふさわしくない」というものを出荷する人は「農家」ではないでしょう。



「農家」という名称は「そこから出荷される農作物を食べて命をつなぐ」というのではないでしょうか。あまりにも当然ですが・・・・・・



これと似た野蛮な言動が「風評被害」という言葉でした。風評被害というのは実質的に被害がないのに、噂を立てて被害を生じさせることを言いますが、1年1ミリ以上の被曝が法律上許されないのに、セシウムだけで1年5ミリシーベルトの被曝を認めた暫定基準を決め、おまけにセシウム量も測らずに出荷する農作物を買わない人に対して、政府が「風評被害だ」といったのには、これも気分がわるくなりました。



ある東北の知事さんが「県民はベクレルなどと言っても判らないから、安全か危険かだけ言うのが良い」と発言したのはびっくりしました。民主主義ですから、知事は「公僕」ですから、県民の召使いです。それが「主人はバカだから数字はわからない」と公言するのですから、なぜ知事になりたいのかも理解できません。



原発事故の直後、「直ちに健康に影響は無い」と政府は繰り返し、1年経ったら、「被曝の影響がすぐ現れることはないのは常識だ」と原子力安全委員長が会見で発言するのですから、これも驚くべきことです。


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このようなことはここ1年で数限りないほどあり、それは多くの人の心をかなり痛めたような気がします。「自分の住んでいる日本、こんなに誠実で学問を尊重してきた日本、子供を大切にしてきた日本。それが本当の姿はこんな社会だったのか!」と残念に思います。



(平成24年2月16日(木))




--------ここから音声内容--------



ええと、あの2011年の原発事故は、非常にいろいろな意味で日本の社会の後進性を明らかにしたように思います。その中で、「日本って、こんなに野蛮だったか!」というように驚いたことも多かったわけですが。







私は実は「野蛮人」という言葉に抵抗があります。どうしてかって言いますと、この言葉はどちらかというとヨーロッパ思想に近くてですね、「文明のとこに住んでいる人間が人間である」っていう、ちょっと傲慢な感じなんですね。だけども、実際には自然の中でゆっくりと過ごしている人と、競争に明け暮れて訴訟ばかりしてるアメリカ人と、どちらがまぁ「人間として」優れているかってことは、ちょっと判らないからですね。










ですけども、ここであえて私は、この野蛮人という言葉を使ったわけですが、それはどういう意味かって言いますと、いわゆるヨーロッパ流の野蛮人っていうことではなくて、街角で犯罪人の首をくくって見せしめにする社会とか、それから災害があるとその原因が普通のおばさんだっていうんで、それを捕まえて魔女として火あぶりにする。こういった行為はですね、ヨーロッパなんかでもどんどん行われていたわけですが、やっぱり野蛮な行為じゃないかと思うからですね。ま、その方が分かりやすいって言った方がいいですね。









で、福島原発事故でもっとも私がショックって言うか、野蛮だなと思って嫌な気持ちがしたのが、「被曝に負けない子供」という標語ですね。これはまぁ、人がいなくなっちゃうと県民税とか市民税がなくなって、生活がダメになっちゃうと考えた、まぁ知事とか市長がですね、地域から人が逃げてくのを嫌がって、「被曝に負けない子供」という非常に奇妙な標語を作ったわけですね。









まぁ、かつて水俣で水銀中毒事件が起きたわけですが、そのときでもですよ、今からもう50年以上前なんですが、「水銀に負けない子供」なんて標語はありませんでした。水銀で汚染された魚を子供に食べさせる、なんてことはしませんでしたね。最近では、新型のインフルエンザが流行したときもですね、「新型インフルエンザに負けない子供」なんてことで、学級閉鎖をしない、隔離しないなんてこともありませんでした。









科学がこれほど進みですね、「魔女狩り」がなくなった今日の日本で、まさか「被曝に負けない子供」という標語が登場するとは思いませんでした。しかし、その標語のおかげでですね、そこに住まざるを得なくなり、子供たちの被曝を増やしたというのに活用されたわけですから、まぁ到底、なんと言いますか、受け入れることはできない野蛮な行為ですね。








これにちょっと似てるんですが、「農家の人を助けよう」という標語があったわけですね。で、汚染された野菜・牛乳を売りました。確かに汚染された農作物を食べたいという人はいませんが、「農家の人を助ける」っていうことを聞くと、「私も食べないといけないかしら」と思う、ま、この人は野蛮な日本人って言うと可哀想なんですけどね、「心優しい日本人」ではないと私思います。ていうのはですね、被曝した農作物を出荷するという行為そのものがですね、もう農家の人には信用を失うからダメでしょうね。それから、それを食べる人の「健康を損ねる」わけですから。









だから、農家って言うのはどうなんでしょうかね。「人が食べるのにふさわしくない」というものを出荷する人っていうのは、農家と言っていいんでしょうかね。私、それ「農家」じゃないと思うんですよ、なんか別の職業分類にしなきゃいけないですね。農家っていうのは、人が食べても良いって言うか、「人が食べたら健康なるとか、生きていけるってものを出荷する」から農家なんであって、ちょっとこれも少しおかしかったですね。









あるシンポジウム、これは草加市じゃなかったかと思うんですが。ええと、福島の議員さんがですね、「農家を助けてくれ」と言ったんですね。そしたら誰かが「汚染された農作物食べると、食べた人は健康の被害が起こるんじゃないですか?」と、「それは何で農家を助けることになるんですか?」っていう質問をしましたね。ま、みんな心ん中でそう思ってるような気がします。









これと似た野蛮な行為に、政府が言った「風評被害」ってありますね。もちろん風評被害っていうのは、実質的に被害がないんだけど、噂を立てて被害を生じさせることを言うわけですね。日本の法律で1年1ミリ以上の被曝は禁止されているのに、セシウムだけで1年5ミリシーベルト、全体で17ミリシーベルトってなぐらいですが、それを認めた暫定基準を政府が決めてですね、それを買わない人、つまり法律を守る人に対して、政府が「風評被害」だと言うわけですから。これもちょっと気分が悪くなりましたね。









それから東北の知事さんが、「県民はベクレルなどと言っても判んないから、安全か危険かだけ言うんだ」と、まぁこういうふうに言ったのもビックリしました。元々あの、民主主義ですからね。知事さんになりたいっていう人は、県民の召使い、つまり「公僕」になりたいっていう人ですからね。その人が「主人はバカだから数字が判らない」と言うんだったら、知事にならなきゃいいんで、これもちょっと、嫌な感じがしましたね。









もちろん原発事故の直後に、「直ちに健康に影響は無い」と繰り返した政府もですね、約1年経った…最近ですが、原子力安全委員長が「大体、被曝したら影響がすぐ現れることがないのは常識じゃないか」なんて発言されるというのもですね、ま、なんていうか、こう野蛮な国に住んでるなぁって感じがしますね。








えー、福島原発(事故)から1年、まだ少し1年に多少足りないですが・・・数限りなくありました、こういうことが。これは、私は自分の心が非常に痛んだですね。何で痛んだかって言いますと、「私が住んでる日本、誠実で、ほんとに学問を尊重してくれたんですよ、ええ。子供も大切にしましたね、日本は。そういうふうに思ってきた日本が、こんな社会だったのか!」と、いうことを何回も思った1年でした。非常にガッカリしました。









しかし、もし一般の方がですね、政府とかそういう、まぁいわば野蛮になった政府って言うんでしょうかね、野蛮になった専門家(音声が途切れて途中不明)…別れを告げて、やっぱり日本の野蛮ではない社会というものをつくっていきたいし、そういう人と一緒に生活していきたいなと、ま、いうふうに思います。









日本の農家の方も、「私たちは、汚染された農作物を出すんだったら農家というふうに言ってはいけない」って言うぐらいですね、日本人らしく潔く考えてもらいたい、と。農家の方を救わなきゃいけないのは当然でですね、これは電気を貰ってた我々の責任ですから。漁ができなくなった漁民の人も、農作物が汚染された農業の人も、これは国民を上げて、保障したり生活を守ったりしなきゃいけませんし。









あと、子どもたちはできるだけ被曝しないように、それから女の人重要ですからね、女の人のお腹ん中にある卵子はですね、我々の次の日本民族でもありますから。ですから、ほんとに国民を上げてですね、被害が起こらないように万全を期さなきゃいけない、と。野蛮な国では、やっぱり我々は我慢できない、とまぁいうふうに思います。


(文字起こし by danielle)