知の侮辱(9)・・・知に働けば角が立つ? | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

知の侮辱(9)・・・知に働けば角が立つ? (2/12)

「知に働けば角がたつ。情に棹させば流される」とは夏目漱石の小説に有名なものですが、確かに理屈を言うと角がたち、そうかといって情に訴えると流されると言われるとさすが漱石!という感じです。


でも、私のこれまでの人生のいろいろな場面を振り返ってみると、知に働いたから角がたつのではなく、知に働いているのに情が絡むと角がたつという感じです。


たとえば、原発の問題で、原発推進派と反原発派の間で「知に働いたこと」は無かった様に思います。原発推進派は政府や権力者からの豊富な資金と権限をもって強引に原発を進めようとしましたし、それに対して反原発派も「知は要らない。運動だけ」ということで反原発運動を繰り返しました。


どちらが正しかったかというと、押し切ろうとした推進側が強引だったのが最初です。本当は国民が主人公なのですから、隠し事をせずに民主的手続きを貫く必要がありましたし、反原発側も民主主義の手続きを求める必要があり、その結果を尊重しないのは問題がありました。


日本では長く自民党が政権をとっていて、原発についてはハッキリと推進でした。ですから、全体として原発が推進されるのは民主的な国家として適切だったと思います。しかし、原発は作るけれど「核廃棄物の貯蔵所」はどこにも作れないという状態でした。


奇妙なことです。ある人がアパート経営を志して営業を開始したとします。その時に「部屋は快適ですが、トイレがついていません」と宣伝したら入居する人はほとんどいないでしょう。家主にとっては部屋は貸してもトイレがなければずいぶん、管理は容易になりますし、アパートも汚れません。


でも、「家賃は欲しいけれど、トイレを作るのはイヤだ」と言ったら、アパート経営アドバイザーから「それでは入居する人はいないでしょう。お金は欲しい。損はしたくないでは・・・」というでしょう。


大人なら原発を作って電気を買うなら核廃棄物の貯蔵所は必要です。私は「トイレの無いマンション」というのは反原発のスローガンとしては適切ではないと考えています。原発はトイレがないからダメというのではなく、原発も電気も核廃棄物貯蔵所も一緒に考えて賛否を言うようにしないと、いかにも子供のようです。

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原発推進派と反原発派の人は「知に働くと角が立つ」ということで、まったく議論をせず、妥協点を探ることもしませんでした。この過程で原発の安全議論は硬直化し、「安全だ」という人と「危険だ」という人が感情的にいがみ合い、それが今度の福島の子供たちを被曝させる原因の一つになったのです。


かつての日本は社会が単純で、純情な人がほとんど、それにまれに見るほど庶民のことを考えるお殿様・・・という構成でした。だから、政治も人生もお殿様に任せておけば良かったのですが、今は違います。



選挙と代議員制度をとっている日本で、「何が民意なのか?」ということもハッキリしていないと感じます。歴代の首相の交代を見ても、マスコミが世論を形成するために特定の人の人気をあおり、その人が首相につくと突然マスコミが態度を豹変させて、悪いことばかりを報道するというのが続いています。


首相を選ぶときも政策的ではなく、選ばれた首相は直ちに考え方が変わるわけではないのに、マスコミは1ヶ月も経つと叩きにたたきます。今の原発再開問題も、「原発を再開するべきかどうか」についてのエネルギー、環境、安全性、温暖化などの主要な課題を議論することなく、「ストレステスト」なる用語だけが宙に浮いて活字が踊っているのでは、また同じことの繰り返しでしょう。


ここらへんで日本も「知に働いても角がたたない」という社会風土を作りたいものです。

(平成24年2月12日(日))

--------ここから音声内容--------

えー、夏目漱石の小説の中にですね、「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される」というですね、有名な文章があるんですが。さすが夏目漱石ですね、使う言葉の感じが違いますね。よくこういう良い言葉を選んでくるな、と。ま、こういうふうに思いますが、それに感心してるばかりではありません。





ええと、本当にこの言葉を見ると、確かに知に働いたから角が立つんだなぁと思うことはあるんですが。実は、もう一つ深く考えてみますとですね、私はですね、知に働いたから角が立つんじゃなくて、知に働いてるのに情が絡むので角が立つ、って感じがするんですよ。もしも「知」だけならいいんですが、漱石もそういうこと言ったかもしれませんね。人間は知を働かせてるつもりで、情が絡むんだ、とまぁ言っておられるかもしれません。





この問題で、最近の問題では原発ですね。原発推進派と反対派。これはね、「知に働いたこと」がなかった、と思うんですよね。原発推進派は最初っから、政府や権力者の豊富な資金と権限で、強引に原発を進めるんですよ。これに対して、やっぱり反原発派は、どちらかというと権限が無い人たちだったので、反対をもう体を張ってやるんですが、しかしそのうちに「知は要らない」って言い出すんですね。えー、そうするとまぁ、変なことになっちゃうんですよ。





もちろん、どっちが悪かったかとかいうことは、あまり言いたくないんですけど、感じとしては、やっぱり民主的手続きを踏まなくて、強引に押し切ろうとした推進派がいけなかったんだと思います。やはり、国民が主人公でしたらね、隠し事をせずにやる必要がありました。ただ、原発推進派にはおごりがあってですね、「反原発派は何も分かんないのに、原発ばっか反対してる」と。「そんなことしたら、そんなの理解させてる暇があったら、やっちゃえ!」ていうんで、やっちゃいましたね。





あの、自民党がそうです。自民党は、原発にハッキリと推進でした。ですから、もし日本が民主的な国だと言うんであれば、原発に協力しなきゃいけないんですね。ただ、自民党自身も中途半端で、原発は造るけども、「核廃棄物の貯蔵所」はついに、長い間政権を取っていながら造らなかったですね。ま、造る気がなかったっていうことですね。





だけども、原発を造ってそこからの電気を貰い、経済を発展させたけども、核廃棄物の貯蔵所は造らないっつうんじゃですね、子どもですね、子ども! 大人っていうのはですね、あることをやるときに、そこの起こる汚いこととか、それから苦労することも一緒に背負い込むんですよ。だから原発をやれば、当然廃棄物出てくるわけで、廃棄物の貯蔵所造らなきゃ、原発造っちゃいけないんですね。これは当たり前なんです。





これはね、国民の方に問題あんですよ。国民が、原発を支持してきたんですから。これは厳然たる事実ですね。「私は反対した」って言うけど、それはダメなんですよ。民主主義っていうのは、必ず反対者いるんですね。だけど、きちっとした民主的手続きを踏めば、反対してはいけないんです、その後。決まった後は。




いや、ほんと奇妙ですね。ある人がアパートを経営して、「部屋は快適ですが、トイレは付いておりません」(と)言ったらですね、それはアパート経営が成り立ちませんよ、そういうことですよね。大人だったら、原発を造って電気を買うならですね、廃棄物の貯蔵所を認めるっていうことですね。私はあの、反対派の人によくですね、「トイレの無いマンション」を攻撃すんのは、見当外れだって言ったんですよ。「原発を造れば、必ず廃棄物は出てくる」と、「トイレは要るんだ」と。だから、トイレが無いから原発はダメなんじゃなくて、原発っていうのは、そもそも「発電所と核廃棄物のセット」ですから。これをセットにして反対しないとですね、「ずるい」っていう、私は感じがしますね。





まぁこれは、国側がね今みたいに、ほんとにこうウソをつく、金の貰った先生で委員会を作るっていうから、まぁしょうがない手段ではあるんですね、気持ちは分かるんですけど。だけど、やっぱりダメだと思うんですね。



で、原発推進派と反対派の人は「知に働くと角が立つ」ということで、ほんとは知に働かなかった。妥協点も探さない。そのうち硬直化しました。「安全だ」という人と「危険だ」という人が感情的にいがみ合って、それが今度の福島の子どもたちを被曝させる原因になりました。大人が子どもを被曝させました、ね。ほんとにいけなかったですね。




かつての日本社会は単純でありまして、純情な人が多くて、まれに見るほどお殿様は庶民のことを考えました。従って、政治も人生もお殿様任せで良かったわけですね。しかし現在、選挙で代議員制度をとっている日本で、「これがほんとに民主主義か」と、私なんかはちょっと疑問に思いますね。ま、政治学者はあんまり言いませんけども。





えー、例えば歴代の首相の交代を見てもですね、マスコミが世論を形成のために、ある特定の人の人気をあおるんですよ。例えば「福田さん、素晴らしい人だ!」、こう言うわけですね。「麻生さん、いや素晴らしい!」「鳩山さん、もっと素晴らしい!」。ところが、首相になって一ヶ月ぐらい経つと、叩きに叩きだすんですよ、ええ。





えー、態度を豹変させたのは、マスコミですね。「突然マスコミが、・・・」と書くべきですね。マスコミが態度を豹変させて、今度、悪いことばっか報道するんですよ。そうすっとね、国民はどういう感じかと言うと、「あれ、あんなに良い人だったのが、どうしてこんなに悪くなったの?」 「何で私たちがそれが見抜けないの?」ってことになるわけですね。




福田さん、麻生さん、鳩山さん、菅さん、まったくこの4人、ほとんど1年も持たなくて辞めたこの4人。この人たちがね、良い人なんだか悪い人なんだかって、要するに能力のある人かない人か、全然判んないんですよ。全然判んないのは何故かって言いますとね、今は皆さん、この4人の名前を出すと「あぁ、ダメだ、ダメだ!」って言うでしょうけど、だって首相になるときはすごい人気だったんですよ。まぁ、福田さんなんかね、ものすごい人気なんですよ。何ですかね、あの人気はって感じなんです。鳩山さんもそうですね。しかし、鳩山さんが首相になったらもう、とんでもないことが続いたわけじゃないですか、そういうふうに見えるじゃないですか。




で、僕ら、よくお酒なんか飲んだらですね、「いや、鳩山さんがあんな人だと見抜けなかったね」と話すんですけど、「見抜けない原因は誰が作ったんですか?」つったら、この前ね、「それは朝日新聞ですよ」って言うんですよ。「いや、もうとにかくね、民主党が政権とるまでは、朝日新聞が鳩山さんの悪いこと一切書かずに、良いことばっか書いた」と。「今度は首相になったら、悪いことばっか書く」と、ま、いうふうにその人は言ってましたけど。私ちょっとね、最近朝日新聞を読むとちょっと変なことなっちゃうんで、ときどきしか読んでないもんですからですね。きちっと、そう話せないんですけどね。




だって首相は結構、歳も歳だし、思想も決まってるし、人間は特に決まってますからね。ですからマスコミは、首相になんないと分かんないっていうこともないんじゃないか、と思うんですよ。これは、今の「原発再開問題」でもそうですよ。これはですね、エネルギー問題、環境問題、安全性の問題、温暖化などの問題がですね、たっぷりとあるんですよ。ところが「ストレステスト」なんかの用語が出てくると、それだけ(用語だけ)活字が躍ってるという感じなんですね。





これはほんとに民主主義なんでしょうかね?民主主義をマスコミが操作してんのか、どこが操作してんですかね?ま、あるいは広告会社だって人もいるし、もっと、いや裏があるんだと、闇の勢力なんだと、こういっぱいあるんですね。ちょっと分からないんで、これ政治学者がですねやんないと、私なんかにはちょっと分かりませんね。




私は、まずここで2つ指摘したいわけですね。知に働いても、角が立つ、立たないということはあり得る。つまり、「知に働いてる間、情を動かさない」っていうことですね。これをまず日本社会が克服できるか、って問題があります。第二に、やっぱり私は「民主主義」がいいと思うんですよ。民主主義はダメだという人がいますが、やっぱり私は民主主義は良いと思いますね、今では一番進んだ制度だ、と。





そのためにはですね、この4人の首相の前後、っていう状態をかなりよく調べて、一体我々は何故、福田さん、麻生さん、鳩山さん、菅さんが良いと思って首相にし、・・・これね、あの自民党とか民主党が選挙で決めたんじゃないんですよ。やっぱり世論の動きで決まりました。ええ、世論の動きを見て、議員さんたちが投票したんで、その意味では正しく代議員制度が活きてました。ただ、その世論の動きをですね、誰かがコントロールしたんだと思うんですね。そうしないと、首相になった途端で180度、新聞報道が変わるってことは起こりえませんからね。ですから、何故そういうことになったのか?我々は4回も失敗したのか?





これもですね、合わせて「知の(に)働いても角が立たない」…これ、なんで関係してるかって私が思うかと言いますとね、本当に我々が情に関係なく…ま、それは難しいですけど、首相を選んでいれば「政策」とかそういうんですからね。首相に就いたから、突然変わるってことはありえないんですよ。しかし、我々はムードで今まで首相を選んできた。そのムードを作ったのは誰なのか?これは故意だったのか、どうなのか、と。ま、そんなことをちょっと考えたわけであります。

(文字起こし by danielle)